たくさんのファンレター! 書くことを通してコミュニティができるといいなあ。

今日は嬉しかったことを個人的に記録しておきたくて更新。4月末に出版した「作家の時間」作品集『フシギな五行詩の世界』だが、保護者の方からなんと115通ものファンレターが届いて、驚くと共に、本当にありがたい限り。応援してもらっていることに感激してしまった。授業でも、今週はそのファンレターに返事を書く時間をとった。もらった枚数が多い子は予定時間内に終わらなかったけど、みんな一生懸命書いていたな。「これを丸写ししてもいいよ」という「初級編」を板書してたけど、みんな「上級編」(ファンレターに書いてあったことに反応して書く)にチャレンジ。やっぱり、ファンレターをもらえるってとてもエネルギーになるんだろう。今日はそのふりかえりエントリ。

写真は、このゴールデンウィーク中にいった小浅間山の山頂(東峰)から見える群馬の山々。青のグラデーションが綺麗だったのと、妙義山のギザギザっぷりが際立つ。

まず、次回以降に向けて覚えておいた方がいいこと。

  1. できるだけ保護者にも作品集を手渡しできる機会を作る。
  2. 今後もファンレターをもらったら、子どもから「お返事」を書く。

目次

保護者にも作品集を手渡しする

風越に来てから、デジタル図書館での出版なども試してきたけれど、物理的な「モノ」としての本や冊子の存在感を、デジタルの経験を経て改めて感じている。これは、保護者も同じなんだと思う。できれば、子ども用とは別に、保護者用にも作品集を用意できるといい。加えて、実際に対面で渡すことができたら、僕自身も熱量を持ってメッセージを伝えることができる。

具体的には、「作家の時間」作品集の出版タイミングを月1回の保護者会に合わせるとか、それがうまくいかない時には「出版記念パーティー」を開いてそこに保護者を招待するとか、そういう機会を作っていきたい。

ファンレターの返事を書く

そして、ファンレターの返事を書く。これは「作家の時間」「読書家の時間」実践仲間のトミー(冨田明広さん)の助言でやったのだけど、手間をかけるだけの価値のある取り組みだと、今回やって本当に実感した。小さなものも含めると、ファンレターの返事を書く実践には、ざっと次のような効果がある。

  1. 手書き機会が確保できる(これが少ない風越では無視できない)
  2. 自然な文脈の中で、手紙を書く練習ができる
  3. 返事を書く際に、ファンレター(自分の作品への好意的批評)を丁寧に読むことを通じて、自分の作品を見直すことができる
  4. 書くことを通して、保護者と子どものコミュニティを作れる

中でも一番大きいのは「4」だ。ファンレターとそれへの返事というやりとりを通して、保護者の側も「我が子」だけではない他の子に関心を持つことができるし、子どもの側も「誰々のお母さん/お父さん」が少し身近になる。学校というのは色々なトラブルがつきものの場所なので、トラブルが起きる前の平常時にこういうコミュニティ意識を持てるかどうかは、結構だいじ。書くことを通して人と人がつながるという、書くことの根本的機能の一つが「手紙のやりとり」にはある。

問題は、かかる手間の量…

ただ、問題もある。これをやるには、印刷部数を増やしたり、レターセットを買ってファンレターの返信を保護者別にまとめて封筒に入れたり…みたいな、地味で大変な作業がともなう。良い実践を目指すには、やはり手間がかかる。これはシンプルな真理だ。アトウェルも、大村はまも、とても身近な場所のモデルでは甲斐利恵子も、多くの優れた国語教師は、膨大な手間をかけて授業準備をしている。僕も毎日12時間以上職場にいる。中高の国語教師と違って小学校担当で空きコマがほとんどない中で、「国語教育の実践家」を目指す以上、一面でそれは仕方ないことと割り切ってもいる。

ただ…そうは思っていても、かかる手間の量が増えれば増えるほど、やはり日々の生活を圧迫する。忙しくて読書量が減っている傾向にあるのも、自分の国語教師としての土台を削っているようで残念だ。何より、昔のようにまた倒れないように、どう仕事量を調整するか…それは、本当に悩ましい問題。

でも、継続していきたい!

とはいえ、実際にやってみて効果を感じたら、それを止めるのもまた難しい。どうやって日常の業務負担を調整するかを考えながら、「作品集を保護者にも手渡しする」「ファンレターの返信を書く」の2つを継続できるように考えていきたい。

 

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