書き手としての自分をつくる大切な時間。「作家の時間」の出版のあと。

僕の「作家の時間」は、作品を出版してからがけっこう長い。出版までに10コマを使い、出版後、その単元を閉じるまでに6〜7コマくらい使っている。「けっこう長いんですね、何をしてるんですか?」と驚かれることもあるので、一度、現時点(2023年度時点)での自分の実践の記録として、ここでその内容を詳しくまとめておこう。さらに、次年度に向けて、ぼくの「ファンレター」とりんちゃんの「批評」の違いについてもちょっと考察しておきたい。

2023年のうちは全く雪のなかった今年の軽井沢。2月から3月にかけて雪がけっこう降ったけど、三月後半にはさすがに気温があがって雨になった。雪景色の浅間山も、そろそろ見納めかな。写真は2月の黒斑山山行のときのもの。

目次

まずは子どもたちと製本作業から。

出版のあとに何をそんなにすることあるの?と思う人もいるかもしれない。たとえば、2023年度の最後のテーマ「特別な一品(ひとしな)」(2024年1月〜2月に実施)では、こんな感じだ。

まず、子どもの作品が出揃ったら僕と国語のサポートスタッフをしてくれたニシム(西村隆彦さん)で編集をして、僕が印刷をして机の上に並べておく(これは休日出勤で一日がかりの仕事になる)。そして、週明けには子どもたちと1コマかけて製本作業だ。34年を担当するKAIさんは保護者と一緒に製本しているんだけど、今のところ、僕は子どもたちとやるほうがいいかなって思う。自分の作品集を自分でつくっていく手応えが得られるからだ。

ちなみに、子ども人数45名に対して、80部はつくる。ライブラリーに収めたり、アウトプットデイで展示したり、保護者会に来てくれた保護者に配ったり、出版後の授業でミニレッスンの素材としてみんなで使ったりするからである。近隣の小学校の先生に勉強会であげたりもして、ここは多めでいいかな。

出版後の「読み合い」とファンレター

こうして、全員の作品集がてもとに出揃ったら、ようやく「出版」の終了。次の授業では、作品集のタイトルを考えてくれた子や、表紙をデザインしてくれた子の「出版おめでとう!」の乾杯の音頭とともに、ジュースやチョコレートを片手に作品を読み合いをする。ジュースやチョコがあるのは、まあ、お祝い感を出すための小細工です(笑)。「読み合い」の最初の1コマは、決められた子にファンレターを書き(これは全員にファンレターが行き渡ってほしいので)、次のコマでは自由にファンレターを書く、という流れにしている。

この間に、保護者にもファンレターの依頼をしている。「出版」の時期はできるだけアウトプットデイ(風越学園の学習発表会)にあわせて、アウトプットデイでも展示してファンレターをもらう。全員にファンレターがいくといいなと思っていて、保護者にはけっこうしつこく督促させてもらっている。ご協力ありがとうございます…。

恒例の「書き出し選手権」

また、2022年度から恒例で「書き出し選手権」という書き出しの人気投票をしていて、その投票もアウトプットデイ期間に並行して実施中だ。子ども同士の投票はもちろん(これは、製本作業をする直前にする)、保護者やスタッフ、アウトプットデイの来場者にも投票の協力を呼びかけている。

この書き出し選手権は、当たり前だけどけっこう実力差が出る舞台だ。書き出し選手権を年間複数回やると、準優勝→優勝→優勝みたいな、「その年のチャンピオン」になる子が出る。5位まで表彰するのだけど、入れ替わりもありつつ、上位はやはりある程度メンバーが似かよる感じ。僕自身も、これは書く力がある程度はある子向けのイベントとわりきっている。「うまい文章を書くことが「作家の時間」の目標じゃないよ」とみんなに言いつつ、一方では、まあこういうのもあっていいよね。

これはいい!ファンレターへのお返事

アウトプットデイが終わり、書き出し選手権の結果発表が終わると、保護者からのファンレターが届いてくる頃合い。2023年度は、実践仲間のトミー(冨田明広さん)の助言で、ファンレターにお返事を書く時間をとった(保護者からのファンレターを一通ももらえない子は、幸いなことに、2023年度は一人も出なかった。これも協力してくださる保護者のおかげ…)。100均で売っているミニ便箋に、作家としてファンの読者にお返事を書くのだ。

ファンレターへのお返事は、子どもたちは好きな時間だと思う。書く姿勢が前のめりなのだ。なかには7通くらいもらう子もいて、「大変だ〜」と言いつつ嬉しそうだ。受け持ちクラスにはそもそも字を書くのが苦手な子もいるのだけど、そんな子も一生懸命イラストまじりのお返事を書いたり、辞書で漢字を調べたりしていて、「自分の書いたものに反応をもらえる」ことが、こんなに書き手を勇気づけ、書き手意識を高めていくのかと、今更ながらに驚いた記憶がある。

ファンレターをもらう枚数に差があるため、1コマだけでは時間がたりず、結局2コマくらいかかる。集まったお返事は、保護者別にソートしてミニ封筒に入れ、保護者会や面談などの機会にスタッフから直接手渡す。保護者の方も、ただファンレターを書くのではなく、それへのお返事がくるのはきっと嬉しいはず。喜んでくださることが多い。

この「ファンレターへのお返事」、子どもたちの「書き手」意識も高まるだろうし、書くことを通して子どもと保護者のコミュニティがゆるやかにつくられる感覚もあるし、作家の時間をやっている方には、本当におすすめですよ。2コマは使うし前後の処理(もらっている子を集計してまだもらってない子へのファンレターを呼びかけたり、ファンレターのお返事を封筒に入れたり)はたしかに手間がかかる。けれど、個人的には余裕でおつりが戻ってくるくらいの投資価値を感じている。

最後に「ふりかえり」で締めくくり

こうしてファンレターへのお返事が終わると、最後にふりかえりが待っている。ふりかえりは、今年はKAIさんとあっきーのPA講座・軽井沢AITCをへて、項目を整理した。これまでも聞いている内容としては一緒だったのだが、「学習内容のふりかえり」「プロセスのふりかえり」「自分についてのふりかえり」という柱を明確にした感じだ。まずは、作品の基本情報や、今回の取り組みの総合的な満足度やその理由を書いてもらったあとで、次のような問いに答えてもらっている。

(2)【学習内容のふりかえり】あなたは、今回のユニットで、書くことについてどんなことを学びましたか。
・何を「特別な一品」として設定して、どんな効果を持つように工夫したか
・自分の作品づくりの中でがんばって挑戦したこと
・句読点や文法など、書くときに意識したこと
・作品の中で実際に使った書く技術
・参考にした作品や、真似をしたこと
など、できるだけくわしく書いてください。文章で書くのが難しければ、箇条書きでもかまいません。でも、4行以上を目指して書きましょう。

 

(3)【プロセスのふりかえり】自分の活動のプロセス(最初からおしまいまでの経過。道のり)を、いろいろな視点からふりかえって、できるだけくわしく書いてください。
ふりかえりの視点には、たとえば次のようなものがあります。また、自分ではよくわからない場合には、近くで活動していた人に聞くのも良いでしょう。

・あなたはどんなことを感じ、望み、どんなふうに行動しましたか。
・あなた自身や周囲の人のどんな行動やサポートが、書くプロセスを前向きに進ませましたか。
・逆に、あなた自身や周囲の人のどんな行動やできごとが、書くプロセスを停滞(ていたい:ストップ)させましたか。
・いまもう一度やりなおすなら、書くときにはこうしてみたいと思うことはありますか。
・また次に書くときも、書くときにはこうしてみたいと思うことはありますか。

できるだけくわしく書いてください。文章で書くのが難しければ、箇条書きでもかまいません。でも、4行以上を目指して書きましょう。

 

(4)【他者からの評価】今回のあなたの作品へのフィードバック(ファンレターの手紙)の中から、嬉しかったもの、今後の自分に役立つと思ったものを一つとりあげて、その理由を書いてください。

 

(5)【自分についてのふりかえり】いまのあなたは、自分のことをどんな書き手だと思っていますか。自分についてふりかえる視点には、たとえば次のようなものがあります。また、自分ではよくわからない場合には、一緒に活動していた人に聞くのも良いでしょう。

・あなたが、書き手としての自分の傾向や気持ちについて、新しく発見したことはどんなことですか。
・あなたが、書き手としての自分の傾向や気持ちについて、「やっぱりこれが自分らしいんだよな」と改めて思ったことはどんなことですか。
・あなたが、書き手としての自分の強みや弱み、得意や苦手について、知ったことや発見したこと、あらためて実感したことはどんなことですか。
・あなたが、書き手として、前とくらべて変わったなと思うことはどんなことですか。
・あなたが書き手として、これからこう変わりたいと思うことや、このままでいいと思うことはどんなことですか。

できるだけくわしく書いてください。文章で書くのが難しければ、箇条書きでもかまいません。でも、4行以上を目指して書きましょう。

自分としては、この項目にも、順番にも理由がある。大きなユニットごとに書いてもらうので、僕の受け持ちの子たちは年間4回くらいはこれを書いている感じだ。2コマの時間をとっているけど、それでも終わらず、マイプロの時間に書いたり、家で書いたりする子が続出する。

小学校56年生には、そして風越は決して学力が高い子や読み書きの力のある子が揃っているわけでもないので、彼らには正直ちょっと過剰な負担かな、と思わないでもない。実際、筑駒の元同僚が僕の授業を見に来てくれたときにちょうどこの時間で、「これ、高度なことやってるよね」と驚いていた。「高度」というのはこの場合決してポジティブな評価ではないだろう。たしかにそうかもしれない。

ただ、「作家の時間」が「書き手としての自分をつくっていく時間」だと認識している僕としては、作品を書く時間よりも、このふりかえりの時間のほうがむしろ大事なのだ。ここで書くための参考になるように、毎回の作家の時間の最後には「オーサーズ・トーク」という公開ふりかえりをしているし、書く分量を増やせるように、「あなたの考えをつれてくるつなぎ言葉」と題して、接続詞の一覧表もくばっている。また、書く前にはこのお題で子ども同士でミニトークをする時間もとっている。ここが勝負と思って、「頑張ってたくさん書こう!」という声がけとともに、うてるだけの手をうっている。

出版のあとの時間の意味

こうして、作品を書いたあと、結局6コマか7コマくらいかけて、「作家の時間」のユニットを閉じていく。経験を重ねるほどにこの「出版のあと」の時間が大事だなあと思うようになってきて、結果的にそうなっているのだ。この時間は、「書き手としての自分をつくっていく」時間だ。書いた自分たちをお祝いする。ファンレターをもらい、それに返事を書く。仲間の作品にファンレターを書く。それをふまえて、書き手としての自分を最後に見つめる…。こういう経験によって、書き手としてのアイデンティティがつくられることを願っている。作品を書くことそのものではなく、その経験をどう意味づけるかで、「次の一歩」が決まってくる。ここで生まれた「私はこんな書き手」「こんな書き手になりたい」という思いが、次の書き手としてのふるまいにつながる。こうして、書き手としての物語をつくる。それが、出版のあとの時間の意味だと思う。

ファンレターと批評の違い

さて、僕とは授業スタイルが異なるが、風越の(というより日本の)国語の巨頭・りんちゃんこと甲斐利恵子さんもまた、「作品を書いたあと」の時間を大事にされる方である。ただ、ファンレターとは違い、りんちゃんの場合は「読み手としての自分が良いと思った作品への批評」を書いて、それもまた全員ぶん集めて製本・配布する、という手順をふむ。これは、僕のやっているファンレターがとてもパーソナルな、個と個のやりとりに閉じた試みであるのに対して、ある作品へのコメントをパブリックな場に開いていく、「批評」を書く営みだ。

これ、正直どっちにもどっちの良さがある。まだ歩き始めたばかりの書き手にとって「自分の書いたものが、この人に届いた」という実感、書くことが1対1のあたたかなコミュニケーションを生んだという実感は、力強く次の一歩を押し出してくれるものだ。その「パーソナルなやりとり」の良さを活かすのは、ファンレターの形式である。しかし、そのファンレターは当然ながら他の人が読むことはない。りんちゃんの批評は、ある作品への批評をパブリックな場で共有することで、作品を読むことを通したコミュニティの形成にもつながるし、「批評の言葉」を子どもたちが持つことにもつながる。書くことが、1対1から、コミュニティ形成につながる社会的な営みになっていく契機となる。

おそらく経験の順番としては、「ファンレターから批評へ」という流れが良いのだろう。りんちゃんの受け持つ中学校国語では「批評」が良い。小学校34年生は断然ファンレターだ。では、小学校56年ではどうすべきだろう。年齢的には、ファンレターでもいいし、批評に足を踏み入れてもいい、微妙な頃合いだ。目の前のこの子たちの実態を考えたときに、ファンレターと批評と、どっちがいいんだろう、というのを考えている。

いま思っているのは、「2024年度は両方やってみよう」ということ。年度の前半はファンレター方式にして、後半は、保護者からはファンレターをもらいつつ、自分が書くのは批評にして、それをさらに印刷・製本してもいい。僕は2021年度と2022年度の俳句の授業では、りんちゃん方式の俳句の批評文もセットで出版したのだけど(下記エントリ参照)、2023年度はコマ数がなくてできなかった。少なくとも来年度にこれを復活させることはできそうだ。

小学生にどこまで求める?俳句創作の授業ふりかえり

2021.10.09

やがて、自然に削ぎ落とされていくはず…!

とまあ、「あれもやってみたい」「これもためしたい」と、なんだかんだで「出版のあとの時間」がまた増えてしまう予感。ビルドアンドビルド状態なのは、ぼくの仕事量も増える一方なので決していいことではないのだが、その自覚を持ちつつも、おそらく、いまの僕は実践者として「幅を広げている」「手数を増やしている」段階なのである。風越の子に対応するために、筑駒時代のままでは全く太刀打ちできないので、それは必然というか、仕方ないことだと思う。

とはいえ、こうやって書いてみると、一方ではやっぱりちょっと過剰な気もする(笑)ただ、いずれ、もう少し削ぎ落とされて、本当に核になるものだけが残っていくはずだ。しばらくは今のスタイルを続けて、自然と自分の中で見極めがされていくのを待つ。そして、自然と何かが削ぎ落とされていったとき、自分は実践者として次の段階になるんだと思う。その日がくるのを楽しみに、来年度も頑張ってみよう。

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