In the Middle初版の読書日記。125-125ページに、アトウェルが年度の最初に生徒(中学二年生)に配布する「ライティング・ワークショップであなたに期待すること」というプリントがあって、そこに「生徒の役割」と並んで「私(アトウェル)の役割」という項目があったのが面白かった。つまり、ライティング・ワークショップで教師がするべきことを文章にして公開しているのだ。
ライティング・ワークショップの教師の役割
その「私の役割」、全部で15項目もある。
- あなたたちが何を書いているか、どの段階にあるか、書き手として何が必要かを記録する。
- あなたたちの書き手としての成長と努力に基づいて、年に4回成績をつける。
- 毎日書いて、文章を完成させる。
- あなたたちが次に何を知らないといけないか観察したことに基づいて、ミニレッスンを用意して実施する。
- あなたたちがトピックを探すのを手伝う。
- あなたたちが書き手として安心してリスクを取れるように、予測できる授業の構成を提供する。
- あなたたちの書き手としての様々なニーズに合うように教室内を整備する。
- あなたたちが文章の推敲や字句の修正の技術を身につけるのを助ける。
- あなたたちの文章の最終校正者になる。
- あなたたちが自分の文章を出版する機会を設ける。
- あなたたちがコピーしてほしい完成作品をコピーする。
- あなたたちが書き手として必要にする備品を用意する。
- あなたたちの言うことに耳を傾け、考え深く助けになる質問をすることで反応する。あなたたちが他の書き手にもそうできるようになるのを助ける。
- 文章を書いている時、カンファランスをしている時に、誰一人邪魔されないことを保証する。
- 書くことがあなたに何をしてくれるか、あなたが見つけ出す手伝いをする。
アトウェルの教師観・教育観が色濃いリスト
どれも大変な仕事だと思うけど、個人的に特に面白いと思うのは、(3), (6), (15)あたりだろうか。どれも、アトウェルの教師観や教育観が色濃く現れている。
(3)は、教師も書き手として活動することを生徒に誓うことだ。作文の教師はまず実際に書き手でなければならないということ。
(6)は生徒が安心してリスクを取れるように、普段の授業の構成をルーティーン化すること。授業の流れがルーティーン化していることについては、第三版でも書いてあった。僕はつい目先の教材の面白さや目新しさに頼りたくなるので、ルーティーン化しているからこそのメリットを、僕はもう少し認識する必要があるだろう。
そして圧巻なのは、最後の(15)。これこそ書くことの授業の最終目標だとアトウェルが思っている、ということだろう。「作品」ではなく「書き手」を育てるという彼女の作文教育観がとても濃くうかがわれる文章だ。
正直なところ、ここまでを生徒にオープンにして約束するだけの覚悟が僕にはないなあ。もちろん僕とアトウェルでは生徒数が違うということはあるのだが、それでも頭が下がる。でも、教師が自分の責任をこのように明示することが、授業の目標を生徒自身にわかりやすく伝えることにもなるのだろう。ここまで充実したものでなくても、何らかのリストを示そうかな?