文章を書かせると、それが特に自由度が高いものであればあるほど、「書くことがない」という生徒が出てくる。この「書くことがない」生徒は、本当に「書くことがない」のだろうか?これはけっこう難しい問題だ。
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これはどちらかというと事実より信念に属する問題なのだけど、僕は、「書くことがまったくない人間」というのは、(少なくともふだん自分が接している中高生では)いないと思っている。「読書しないから書くことがないんだ」と言う人もいるけど、別に本というメディアを通してでなくっても、世界に触れて、その世界を自分なりに理解している以上、それを書くことはできる。
というわけで「書くことがありません」という生徒に出会ったら、すぐにはそれを鵜呑みにせずに、「何が生徒の書くことを阻害しているのか」「『書くことがない』という言い方で、その生徒は何を伝えようとしているのか」を考える。
以下、そんなケースについて考えてみたい。
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(1) 何が求められているのかわかっていない。
これはあらかじめこちらが課題を決めて書かせる場合の話。課題が何なのかがわかっていないと、一体何を書けばいいのかわからないのは当然。まず、このケースがある。
(2) 課題に取り組む気がしない。
これもよくあるケース。要するに「やる気しない」を「書くことがない」と言い換えて、先延ばししているケース。まあ直前になれば思いつくだろう…というわけ。最終的に最低限の仕事はしてね、と笑顔でつっかえす…のでもいいのだけど、書くことはただでさえ大変なので、やる気もない課題に対して「最低限の仕事」ですませようとすると、悲惨な出来になって読むこちらも不幸だ。
(3)その課題についての知識がない。
その課題が生徒の知らないものだと、たいていは「書くことがありません」になる。もし知識習得の機会を設けていないのであれば、それは単純に授業の設計ミス。ただ、「その知識に興味がない」などの理由で本人が知識を学ぼうとしない場合もある。結局これを防ぐには、「その生徒の好きな話題で書かせる」「実際の読者を用意する」などの仕掛けで「本気にさせる」しかない。少なくともある範囲で自由課題であるほうが、まじめに取り組んでくれる生徒は増える。
(4)時間制限で焦ってしまって書けない。
短い時間制限は、書く作業においてプラスにはならない。残り時間を気にして焦るほど、アイデアは浮かばなくなる。これも、授業設計のミスに類する話。
以上の(1)〜(4)は課題設定や時間制限など、ある程度は授業者の工夫で防げるケース。以下は、もうちょっと大変。
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(5) 書けることはあるのだけど、自己内基準でそれを「除外」している。
これは、「ネタはあるのだけど、このネタはダメだろう」と本人が思っている場合。もしその「ダメ」と判断する理由が、ネタの検討が不十分であることに起因するのであれば、経験上はわりと話は楽。生徒と一対一のカンファランスをするか、生徒同士のグループ・カンファランスをするのが良い。他の人の質問を受けてそのネタについてしゃべってもらうことで、本当にダメかどうかの判断ができるし、そのネタ自体がダメだったとしても次のアイデアの端緒はつかまえることができる。
(6) 他の子に比べて劣っているから書きたくない。
僕が「時間がかかるかな?」と思うのは、「ダメだろう」と判断する理由が、周囲との関係性に由来するものの場合だ。「他の生徒と比べて見劣っている」「これは教師受けしないだろう」 などなど。この場合、即効性のある対応策というのはなかなかない。「周囲に見せたくない、だから書けない」というタイプに対しては、いわゆる「安心な環境づくり」というものに日頃から努めていくしかない。
書くことについて肯定的な相互フィードバックの場を作る。メンバーを頻繁にチェンジして色々な人と接する機会を増やす。人と関わることを強制しないで一人で取り組む余地も残しておく…。いずれにしても、時間のかかる作業だ。
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実際には、以上のどれか一つが原因とは限らないし、複合的な場合もある。また、どうしても文章を書けないという生徒もいる。そういう時は、最近はあせって書かせないようにしている。以前に「なんとかしてこの子にも書かせたい」と焦って失敗してしまった苦い経験を僕は持っているし、そもそも「書く」という行為は非常に複雑で、それだけで認知的負荷の重い難しい作業なのだから。
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「書くことがない」という生徒に出会ったら…色々と可能性を考えて手立てを講じてみて、それでも無理なら「まあ、そうだよね、難しいものね」といったんそれを受け入れるくらいがいいのかも。最近は、そのようにも思っている。