ここ最近ずっと書いていた課題を締め切り当日になんとか提出。語彙力のなさを痛感するととともに、どうやって自分や生徒の語彙力を伸ばしたら良いのだろう、ということについて書いてみる。ちなみに過去の課題提出時の感想は下記エントリを参照。
目次
今回は小さな課題を3種類
本日、締め切りギリギリで課題を提出した。今までの課題で一番苦労したと思う。アトウェルの学校訪問に時間を使ってしまったせいもあるのだが、一番の理由は自分の語彙力不足にある。
この課題の授業名は「研究のコミュニケーションとデザイン」で、課題は以下の3つの課題を組み合わせるというもの。
- この授業から学んだことのリフレクション(1500 words)
- ある一つの学術論文の、非専門家の読者を想定した レイ・サマリー(1000 words)
- 研究機関に提出することを想定した研究計画書(2500 words)
最初は、「これまで5000words書いてきたんだから、この程度の文字数なら簡単」と思っていたのだけど、大いなる誤解だった。3種類のタスクがあるので文献調査にしても3種類あるということの煩雑さもある。また、リフレクションを書くこと自体の難しさもある(これは次回にでも話題にしたい。)しかし、それ以上に、語彙力を要求される課題だったのだ。
文章を短く削るには語彙力がいる
第一に、字数制限が厳しければ厳しいほど「今書いてある内容の何を削るか」「同じ内容をどれだけ簡潔に書くか」という点が重要になる。前者は文章の構成についての判断だが、語彙力のない僕には後者が厳しかった。類語辞典を使ったり他の論文の表現を借りてきたりしたけれど、最初合計で7000wordsくらいあったものを5000 wordsに収めるのに相当苦労したのである。
読者を想定した言葉の使い分けが大変
また、今回の授業は研究者のコミュニケーションが一つのキーワード。この課題でも、非専門家向けの雑誌を自分で選んで学術論文をわかりやすく書き直すレイ・サマリーと、研究機関向けに提出される研究計画書があり、それぞれの読者層を想定して書きわけないといけなかった。
それだけ聞くと国語教師ならできそうなことだけと、実に大変なもんですね。特にレイ・サマリー。単にわかりやすく書くだけならまだしも、何しろ僕は学術論文や作文教育関連以外の英文を読むことがほとんどないので、「どの表現がアカデミック寄りで、どの表現はノン・アカデミックな雑誌でも使っていいのか」という判断基準が皆無だったのである。また、リフレクションの文章も「ナラティブでありながらアカデミックなトーンを保つように」という指定だったので、どの程度論文風に書いていいのか正直よくわからなかった。これも、そういう文章や雑誌の例を見たり、類語辞典を調べたりしながら、亀の歩みで書いた次第。
ただ、この「書き分け」問題は英語特有の話だけではない。日本語でも例えば論文、新書、レポート、報告書、メール、チャットと色々な媒体や読者がいて、その書き分けには、やはり「適切な語彙レベル」の判断が必要になってくる。文章を書くのが苦手な子や語彙に乏しい子がこういうレベルでつまづいている可能性もあるなあと思った。
語彙力をどう伸ばすかという課題
というわけで、「文章を書くのには語彙力がいるなあ」という当たり前のことを実感した課題だった。ブログを書くだけなら、文字数の制限もないし、読者を想定して使い分けることもしない。とすると自分の語彙力の範囲内でしか文章を書かないので、語彙力不足に気づくことがあまりない。そういう意味で、僕にとってはこのように読者や場面の設定を強制される課題というのもやはり必要だったのだと思う。それは、生徒にとっても同じことのはずだ。
そして、この先には自分の貧弱な語彙力(授業者としての立場でいうと、生徒の語彙力も)をどう伸ばそうかという問題がある。まず、今回の課題自体がいい訓練にはなったので、「実際に使う場面を通じて覚えていく」というのはやはり有力な方法なのだとは思う。例えばアトウェルの学校では、自分が書いている文章から文法や書き取りの語彙を見つけて、それを毎週練習していた(関連記事参照)。こういう風に、できるだけそれぞれの文脈の中で語彙を増やしていければいい。
またドリル的な学習についても、僕はこれまで国語の単語帳(用語集)を自分が使ったこともなければ生徒に薦めたこともないのだけど、語彙力不足を痛感して勉強したい人が使うには、いいツールなのかもしれない。ただ、そういう自覚がないとただの作業になるから、使い方には注意したいところ。
いずれにしても、語彙力をどう伸ばすかという課題にはあまり取り組んでこなかったので、ちょっと真面目に考えないといけないなと感じた今回の課題だった。
「語彙・読解力検定」という検定も担当していますが、最近は「読解力」に注目がいき、語彙力についてあまり言及されない風潮に違和感があります。とにかく詰め込む、というのも乱暴ですが、効率的に詰め込む方法はあるだろうと思い、脳科学系や認知系の研究を探索しているところです。
おお、本当に手広くされているのですね。場合によってはドリルや丸暗記もとても有効だと思うのですが、その準備が生徒の側に整っていないとただの強制作業ですし、個別化できると良いですよね。
リフレクションについてもそうですが、「強制」モデルがこれまでの学校の在り方(だけではないと学校の大切さを信じていますが)で、ある意味、成功モデルだったとすると、自主性の引き出しやアダプティブは、それに反する流れかなとも思いますので、ちょっと時間がかかるでしょうね。知識の積み上げの効率化、効果の向上には、とくにアダプティブが有効かと思いAIだとか使えないかと考え、研究中です。
アダプティプは確かにドリル分野にはいいですよね。以前のエントリで書いたのですが、スマホでは個別化するサービスも出てきていますし、生徒のスマホでできるといいなと思います。http://askoma.info/2015/07/14/1157
先生が書かれているのに近い?イメージてま暗記学習を効率化、効果的にする研究に取り組まれている大学の先生がいらっしゃり、実証研究する予定です。この部分の時間を子供たちに返し、考える時間につかってもらえるといいなあと思います。