「ただ聴く」ができない…インタビュー実習で痛感した欠点!

11月後半から、大学の授業課題でアンケート調査実習とインタビュー実習を進めている。

面白いインタビュー実習

自分で関心のあるテーマで実習して良いということなので、知りあいの皆さまに色々とお世話になって進めているのだけど、かなり面白い。アンケートの項目ってこうやって信頼性をチェックするのか、とか、インタビューにはこういう利点や欠点があるのか、とか、今まで知らなかったことがたくさん。うまくいかないことも多いけど、面白い! やっぱり、自分でプロジェクトを立てて学んでいくのは、ワクワク感があっていい。

「ただ聴く」ことができない…

このうちのインタビュー実習を通じて、自分の欠点を改めて痛感している。それは、「人の話を『ただ聴く』ことができない」ということ。

僕はインタビューをしながら、「それはつまりこういうことですか?」「さっきの話と合わせて考えると、今のお話との間にこういう共通点がありますよね?」と、相手の言葉をパラフレーズしながら、つい自分の言葉で「まとめ」「図式化」してしまうのだ。悪くすると1時間くらいの話を1つか2つの軸ですっきり図式化してしまうので、インタビュイーの方が僕のまとめに引きずられて「ああ、そうですそうです」となってしまうことも。

「まとめてしまう」ことの暴力

にわか勉強の知識によると、インタビューは単に情報を引き出す行為ではなく、インタビュアーとインタビュイーの協働による意味産出行為なので、この二人の相互関係がとても影響する。これは「Power」の問題として色々な論文で論じられていて、基本的に権力を持つ場面が多いインタビュアーが安易にインタビュイーの発言を「まとめて」しまうことは、たとえインタビュイーがそう思わなくても、ある意味でとても暴力的な行為になりうる。


加えて、そもそもインタビューの目的は他者の感じ取っている世界をそのままに理解することであって、自分の持っている既存の枠組みの言葉で他者の言葉を綺麗に整理してしまったら、一見すっきりしても、見えなくなるものがたくさんある。

わからないことに耐える

この欠点、二人目のインタビューの時に気づいたのだけど、三人目のインタビューでも結局修正できなかった。自分の癖なんだと思う。思い起こせば、インタビューの時だけじゃない。哲学対話に参加している時、人ととりとめない話をしている時、生徒と面談している時。そういう色々な場面で、自分が短気であること、忍耐心がないことを感じる。哲学対話でも、「わからない」ことに耐えてじっと待つことができず、つい頭の中をすっきりさせたくて小器用なまとめをしてしまう。普段も相手の言葉の後に「それってつまりこういうこと?」とパラフレーズして確認しまう。子供との会話でも「今の話はさっきの話とどういう関係かな?」「ええと、結論は?」。要するに(あ、またまとめてるぞ!)、僕には「ただ聴く/ひたすら聴く」ができないのである。

最後はこの言葉

下手糞の上級者への道のりは己が下手さを知りて一歩目(安西先生)
 


思考の癖なんだから、自覚して意識化すれば、少しずつでも前進するはず。すっきりまとめない、図式化しない、いったんわからないまま引き受ける。やらねば!


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