推敲とは「新たな始まり」である? 推敲についてわかっている大切なこと。

文章をより良いものにしようと練り上げる「推敲」(revision)。僕は、授業でも推敲を重視するタイプの教員だと思う。作文課題の時には、書いてそのまま提出ということはなく、必ず生徒同士の相互評価や相互質問を経て推敲する、というプロセスを踏む。今日は、作文教育の実践や研究で、推敲について語られてきた大切なことをまとめてみよう。大きく分けてポイントは2つ。「推敲は書くプロセスのどこでも起きる」ということと、「上手な書き手と未熟な書き手では推敲のやり方が異なる」ということだ。

ちなみに上の写真は、エクセター大学の敷地内のフットパス(散歩道)なんですよ。妻と30分ほど散歩しました。どこの山道だって感じですが、自宅(大学の家族寮)から徒歩5分でこんな散歩ができるのがスバラシイ!

目次

推敲は、書くプロセスのいつでも起きる

推敲は「清書」ではない

僕が子どもの頃は、小学校の先生からは「推敲」ではなく「下書き」に対応して「清書」という言い方で教わった記憶がある。ただ、当時の先生には申し訳ないけど、「清書」という言葉は「きれいに書きなおす」含意が強く、どうしても表面的な字句の修正に終始する印象を与える。この後の記事に書くように、実際の推敲は、全体的な構成の見直しも含んだ、もっと大掛かりなものだ。だからここでも「清書」ではなく「推敲」と書こう。

推敲は、「下書きの後にやるもの」ではない

文章を書くプロセスというと、「題材探し→構想→下書き→推敲→完成」という順番を思い浮かべる人が多いように、推敲というと、一般的には「一度下書きを書いた後で推敲する」というイメージが定着している(僕の授業でもそうだ)。ところが、実際には推敲はいつでも起きうるものだ (Flower & Hayes, 1981)。「いや、自分は書きながら文章を再検討するなんてできないよ」という中学生だって、自分で気づいていないだけで、実際には文章を書きながらでも小さなレベルの推敲を行っているし (Myhill & Jones, 2007)、上手な書き手ほどいつでも推敲をしている(後述)。

従って、「題材探し→構想→下書き→推敲→完成」という順序やそのサイクル図は、教える側や初学者には便利なものだけれど、実際に文章を書くプロセスはそんなに単純ではない。実際の書き手は、このサイクルの間をいったりきたりするのだし、推敲も、いつでも起きているのである。英語圏の作文教育研究では、pre-textual revision(文章を書く前の推敲)やon-line revision(文章を書く途中の推敲)という言葉を使って、いろいろな段階での推敲を表現しようとしている。日本語にはそういう言葉はないけれど、「推敲はいつでも起きる」という意識を持っておくことはやっぱり大切だろう。サイクル図はわかりやすいので僕も使うけど、これにこだわって「この通りに書きなさい」なんて指示すると、生徒が書くことを妨げてしまうこともあるから。

推敲は「終わり」ではなく「新たな始まり」である

上の続きの話だが、推敲を「読み直して見つけた課題を修正すること」と捉えるのも一面的な見方にすぎないようだ。推敲は、文章の読みにくさの改善などの問題解決のプロセスであると同時に、下書きの段階では思いつかなかった新たな考えに出会うための「新しい機会」でもある (Hayes, 2004)。多くの実践者や研究者が、推敲の「発見」としての側面を重視している。例えば、プロセス・アプローチの実践者として有名なドナルド・マレーは、推敲が「見直すこと、考え直すこと、言い直すこと」(re-seeing, re-thinking, re-saying)であり、したがって推敲は書くプロセスの最後にあるのではなく、実は最初にあるのだ、と説明している(Murray, 2001)。

上手な書き手と未熟な書き手では、推敲のやり方が異なる

1970年代以降の研究で、上手な書き手ほど自分の文章を長い時間をかけて再検討し、より頻繁に、そしてより深いレベルで推敲をすることが報告されている。次はその点をまとめてみよう。

熟練した書き手は、長い時間をかけて広い視野で推敲をしている

熟練した書き手と未熟な書き手では、同じ推敲でもやることがかなり違っている。さまざまな指摘があるが、全体的には、未熟な書き手がスペル・句読点・文法などの表面的特徴に終始するのに対して、上手な書き手は自分が書いている文章の目的・構成・首尾一貫性・関連性・読者のニーズといった、より包括的なことを考え、その観点から文章を振り返る傾向が強い(Beach, 1976; Bereiter & Scardamalia, 1987; Faigley & Witte, 1981;Flower & Hayes, 1981; Sommers, 1980; Sperling & Freedman, 2001)。

また、未熟な書き手が推敲を「文章を書き終えた後」に行う傾向が強いのに対して、熟達した書き手は書くプロセスのどの段階でも常に文章を再検討していることも報告されている。書く前だって、自分のアイデアに再検討を加えているのだ (Bereiter & Scardamalia, 1987)。必然的に、推敲をする時間は、未熟な書き手より上手な書き手の方が長くなる(Bereiter & Scardamalis, 1987; MacCutchen, 2011)。また、両者の推敲の結果についても、未熟な書き手の推敲は上手な書き手に比べて効果が低く、かえって悪影響を与えうることもあるという報告もある(Perl, 1979; Scardamalia & Bereiter, 1983; Fitzgerald, 1987)。

熟練した書き手の推敲のやり方は、千差万別である

このように、上手な書き手は推敲を重視するのだけど、面白いことにそのやり方は千差万別である。彼らは共通する特定の手順をフォローしているわけではなく、人によって様々な戦略を用いており (Torrance, Thomas & Robinson, 2000; Galbraith, 2009)、それぞれの戦略に強みや弱みがある。これはおそらく、書き手の性格とも関わってくるのだろう。だから、「この手順を踏めば完璧!」という推敲マニュアルは作れなさそうだ。ただ、熟練の書き手ほど、読者や文脈を意識して、いつなぜこの戦略を用いるべきかを意識し、調整できる点は共通している(Chanquoy, 2009; Lavelle, Smith & O’Ryan, 2002)。

推敲ができるとは、自己評価ができることである

推敲に関する知識として、Butterfield(1996)は以下の3つが重要だと指摘している (Butterfirld, 1996)。

  1. トピックに関する知識
  2. 言語と文章を書く技術に関する知識
  3. 評価の基準に関する知識

興味深いのは3番目の「評価の基準に関する知識」だ。当たり前だけど、推敲ができるということは、自分でゴールを決めて、それに応じて書き直す程度を決められるということだ(Oliver, 2013)。そこには自分の文章をメタな視点で眺めて評価する基準がある。だから推敲は、自己評価を伴うけっこう高度な知的作業なのである。

この時に問題になるのは、その「評価」の基準をどう定めるか、だ。単純に「文章を読みやすくする」だけが評価基準ではない。熟練した書き手であるほど、そのレベルで文章を評価するのと同時に、文章を書く目的や読者のニーズという観点からも評価でき (Lee, 2000)、同時に、自分にとっての効果(知識の増大や自己発見)も正当に評価できるという (Beach & Friedrich, 2006)。

推敲は、それが自分でできるようになる年齢があるようだ

上記のように、推敲には文章を客観的に評価する能力が関わってくる。ということは、この認識の発達が推敲の能力にも関わってきそうである。それがいくつくらいから可能なのかは、実践者や研究者の間でも意見が分かれている。実践者ドナルド・グレイブスは8歳くらいから推敲はできると言っているが、これに対しては、主に作文の認知モデルを研究する研究者から慎重な見方も出ている。例えばある研究者は、人が自分の文章執筆プロセスに対して自覚的になれるのは10-14歳にかけてだと述べている(Sharples, 1999)し、中学生が自分の文章について振り返って語れる言葉を持つための訓練の必要性を示唆する研究者もいる(Myhill & Jones, 2007)。

「文章を書くのが上手い人と下手な人の推敲の違い」や「推敲には一定の年齢が必要そうだ」という点は、僕たち現場教師にとってはなかなか示唆的な情報だと思う。上手い人の特徴を挙げてみるだけでも、生徒にとってヒントにならないかなあ?

書き手の意欲やトピックへの興味が推敲に影響する

また、書き手の熟練度以外に推敲に影響する要素としては、書き手自身の書く意欲の有無や、トピックへの興味の有無が指摘されている(Beach 1976, 1979; Faigley, Daly & Witte, 1981)。当たり前だけど、伝える意欲も興味へもないところでは、いくら推敲しろと言われてもその気になれないのだ。書くこととモチベーションについてのエントリ(関連記事)でも書いたけど、やはり生徒の意欲を尊重するというのはとても大切なのだ。それは別に「楽しいから」良いのではなく、意欲を持って書くことが、「書く力を高める」ために必要な条件の一つになっているのだろう。

男子中高生は作文嫌い!? 書く意欲を高める方法

2016.05.19

さて、授業にどう活かそう?

こうやって調べてみると、推敲を全体的なプロセスとして捉え直すこと、書くのが上手な人の推敲のプロセスを意識すること、生徒の年齢や意欲も推敲に影響しそうなこと…どれも授業に示唆を与えそうなことばかりだ。さて、授業ではどうしようかなあ?

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