2016.02.13
In the Middle
askoma
[ITM初版]アトウェルが試行錯誤の末にグループ活動をやめた理由とは?
In the Middleの第二版や第三版の中で、アトウェルは、生徒同士がお互いの作文について助言し合うピア・カンファランスについてはあまり多くを書いていない。生徒たちが自分で好きな時に自由に専用エリアに行ってカンファランスする、程度である。僕も第三版の感想で次のような記事を書いているだけだ。
特に、何人かでグループを作って行うグループ・カンファランスについてはほとんど記述がなくて、ちょっと残念に思っていた。
Nancie Atwell
Heinemann (Txt)
1989-11
日本ではグループ・カンファランスが良いのでは?
というのも、上でリンクした記事にも書いたけど、教師一人当たりの生徒数が多い日本の教室では、アトウェルの授業での標準である教師と生徒のOne-on-Oneカンファランスを継続的に行うのは難しく、グループ・カンファランスに頼る方が良いと思える側面があるからだ。実際、次の木村さんの実践記録でもグループ・カンファランスに焦点を当てている。
また、アメリカでも次の本はグループ・カンファランスについても結構書かれている(そういえばこの本のレビューも途中で止まってたな…)。
Mark Overmeyer
Stenhouse Pub
2015-02-28
ところが、第一版を読んで分かったのだけど、アトウェルも一時期はグループやペアの組み方について色々と試行錯誤していたらしい。
ライティングワークショップのカンファレンスは、これまで私がやろうとしてきた生徒同士の話し合いとは違っていた。何年もの間、私は「グループでの相互批評」を評価する方法についてのEnglish journalのすべての記事を読み、できる限りの方法を使い果たしてきた。帽子に名前を入れて取り出す、番号を読み上げる、子供たちに聞いて固定グループを作る、それから生徒の要望に応じて彼らの仲の良さが変わればそれに応じてグループを作り直すこともあった。(p41)
ほほー、色々と試しているじゃないの。何よりEnglish Journalにある記事の全てを試したってのがえらい。アトウェルは詩や小説が大好きな人だが、決して文学少女の延長で教師をやっているわけではなく、論文や実践報告も読んでそれを授業に取り入れている人なのである。
アトウェルの結論は「グループを組まない」こと
その結果、アトウェルがたどり着いたのは結局「特定のグループを組まない」という先に
示した結論だった。それについてアトウェルはこう語る。
English Journalは、核心を外していたのだ。大切なのは、どのように彼らのピア活動を評価し管理するかではない。大切なのは、生徒の一人一人がやろうとしている文脈の中で、その協力がどんな風にそれぞれの生徒を前進させるか、なのだ。 (p41)
大切なのは管理することではない。生徒の一人一人の文脈の中で、他人からの協力が、その生徒を前に進めるかどうか。これはなかなかすごい台詞だなあと思う。
僕たちは、何か活動を組むと、得てして「その活動がうまくいくこと」がゴールになってしまう。でも、本質はそこにはない。アトウェルはそれに気づいて、意図的にグループを組んだピア・カンファランスをしなくなったのだろうか。
先述の通り、僕は、日本の教室では教師と生徒のカンファランスは難しいと割り切っている。やるにしても大福帳を用いた「簡易カンファランス」だ(下記リンク先参照)。
だから、自分の授業ではいったん「下書き提出締切」を設けて、いわばそこでピア・カンファランスを強制する場を設けている。ピア・カンファランスをどう質の高いものにするか、それが課題だと思っていた。これは、アトウェルとは随分違う考え方だ。「生徒の一人一人の文脈の中で、他人からの協力が、その生徒を前に進めるかどうか」という点は納得できるので、どういう風にすればそれが良い形で現れるのか、やはりここは課題だなあと思う。