中1作文授業、続けていた採点が終了し、無事に生徒に返却できた!
添削記号を書き込んだレポートのプリントアウト、全体へのコメントと生徒個人へのコメントを書き込んだ個人別評価票、それに生徒から預かっていた大福帳(毎回の振り返り)と自己評価票(作品提出後の評価票)。それら全てを一人ずつまとめて返却する。
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この授業の原型は去年も中2でやっていたのだけど、その時と比べて返却の方法を2つの点で変えてみた。一つは、「レポートのコメントには学期末成績を書かない」こと、もう一つは「書き直す機会を与えている」こと。
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一つ目の「レポートのコメントには学期末成績を書かない」点については、生徒からは心理的抵抗があると思う。何しろ、コメントだけがあって肝心の点数が書かれていないのだから。コメント内容でおおよその雰囲気は掴めるかもしれないが、通知表が届けられるまで、自分が何点がわからないのだ。
それでもこの方法に踏み切ったのは、Gibbs, G & Simpson,C(2004) “Conditions Under Which Assessment Supports Students’ Learning” というフィードバックについての研究を読んだから。そこでは、点数とフィードバックを同時に受け取ると生徒は点数だけを見てフィードバックを読まない傾向にあることを、多くの研究が指摘していると書かれてあった。そして、フィードバックが生徒に「読まれる」ための条件として、以下の5つをあげている。
(1)フィードバックしてほしい点を生徒に書いてもらう。
(2)点数はつけない。
(3)自己評価させる。
(4)二段階でフィードバックする。
(5)成績はフィードバックした後に渡す。
たしかに、実感としてもそんな気がする。かなり苦労してコメントを書いても、それが「A」や「60点」という理由と一緒に返されると、生徒はまず点数に目をやり、コメントは「その点数であった理由」としか読んでくれないのだ。僕としては苦労して書いたコメントを読んでほしいのに、主従が逆転してしまう。この5条件の指摘は、納得できるものがあった。
だから今回のフィードバックの組み立ては、この5条件を意識した。ただ、2段階でフィードバックする(全員分を2回読んでコメントする)のは無理なので、下書きへのフィードバックは生徒の相互フィードバックに委ねている。
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二つ目「書き直す機会を与える」こと。下のエントリにも書いたけど、フィードバックはそもそも「それを活かす機会」がないと意味がない。
そこで、今回はこのレポートをクラスごとの作品集にすることにした(予算も、学年の先生にお願いして出していただくことにした)。生徒は、僕のコメントが付されたレポートを、作品集への収録に向けてもう一度書き直す形。こうすれば、僕が新たに読み直さなくても、生徒にフィードバックを活かす機会を与えられる。(これに加えて、成績が悪くなりそうな約1割の生徒たちにだけ、コメントに従って再提出すればそのぶん成績をあげることにした)
もっとも、作品集にするには、目次をつけたり表紙を書いてくれる生徒を探してデザインを相談したりという別の手間がかかるのだけど、また読み直すのに比べたらたいしたことはない。作品集が完成したら、生徒たちも自分たちの頑張りが形になって嬉しいだろう。
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そんなわけで、期末試験の直前まで探究レポートを書いていた生徒たちは、やっと期末試験が終わったと思ったら、今度は返却されたレポートを作品集向けに書き直さないといけない。我ながらスパルタだなと思う。三学期の最初に「今学期は作文だけで成績つけるから、期末試験やらないよー」と言われて喜んでいた生徒たち、今ごろ「騙された」と思っているに違いない(笑)