中1作文の授業。いよいよ明日が提出日で、直前の最後の授業。
ミニレッスンは、提出物の確認をしたあとで、前回の引用の授業後に個別に受けた質問や大福帳に書かれた疑問点のフォローのような内容だった。他の資料を引用しながら文章を書くなんて初めての経験、それは、戸惑いもたくさんあるだろう。やっぱり引用の話に今日の時間をとって正解だった。ミニレッスンのあとも、いくつかの個別の質問に答えることができた。▼
何しろ明日が提出日なので、もう完成原稿を出したという子や、9割方以上完成している子もそれなりにいる。しかし一方で、超のつくピンチの子もいる。そういう子は大福帳で把握できれば僕から指示を出しに言っているのだけど、そういう子ほど「いついつまでにここまでやろう」とその場では合意をとっても、やってこないものなのだ。今日のカンファランスでは、そういう子のフォローに回るので精一杯だった。
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期限が明日なだけに、これから一日でいいものを書くというのは難しそうだ。そこまで楽な課題ではない。でも、そういう限界は承知の上で、今回の課題を通じてこの子に何を残せるだろう。あるいは、何を残さないでいられるだろう。書くことを嫌いにはしたくない。時期を待つことが必要なこともある。でも、その中でもとりあえず「書き終えた」「やり抜いた」という経験はできればさせたい。書き終えられないと、そのことは澱のように心の中に沈殿するだろうから。明日の締め切りと、それを受けての明後日の授業の後、もしかして書ききれなかった子たちとの個別対応がありそうだ。慎重なさじ加減が必要になると思う。
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授業見学に来てくださった方とは、授業後、ちょっとざわついたクラスの対処の仕方について話をした。最後に大福帳を書く時間は、本当は静かに自分の内面の声を聞いて欲しい時間。そんな時僕は「とにかく静かになるまで黙って待っている」ことが多いのだけど、その先生は、常に「よき交響楽団であれ」というメッセージを送っているのだろうだ。ふだんは個々に好きにやっていいけど、指揮者(教師だったり生徒の誰かだったり)がタクトを持ったらすっとそちらを向く交響楽団。そういう比喩もなかなか素敵だなと思った。
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また、その方との話を通じて、僕が「有効な推敲の手段の一つとしての生徒同士の交流」には価値を認めていても、よくも悪くも「生徒同士の交流活動そのもの」にはあまり重きを置いていないのだ、ということも自覚できた。僕にとって、書くことは(読むことも)究極的には「個」の営みなのだと思う。必要なのは「個別でありながら孤立はしていない」環境であって、常に誰かとつながっていることではない。誰かと繋がるのか、それとも一人でやるのかの選択肢は、やはり生徒に持たせておきたいし、一人で書くことが当たり前に尊重されるワークショップの場でありたい。
「個別でありながら孤立はしていない」。これは小学校の先生の岩瀬直樹さんがしばしば言っている言葉だ。安心して書くことにうちこめる場というのは、結局そういう場なんだと思う。場作り、書くことのコミュニティ作り。まだ僕の手に追えそうもないが、そういう場づくりは、少しずつでも目指さなくてはいけない問題だろう。