今日のIn the Middle読書日記は下記エントリの続き。アトウェルがこの本の中で批判対象にしているものを通じて、アトウェルの考えをはっきりさせようという主旨の記事です。
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カンファランスや生徒にフィードバックすることについての章で、アトウェルはこう書く。
作文の教師には、生徒にフィードバックするための公式もルーブリックも必要ない。私達は、文字通りの「読者」としての強みから始める。(p206)
前回のエントリ同様、ここでもアトウェルはルーブリック(評価基準表)に対して批判的な姿勢を隠さない。似たような言及は何度か出てくるのだけど、彼女が生徒の作文の良し悪しを判断する基準は「彼女自身が読者として何を感じたか」である。悪く言えば「俺がルールブックだ」的な感じ。
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こういう評価に対しては「評価の客観性は?」という声がすぐに聞こえてきそうなものだけど、アトウェルは全く動じないだろう。おそらく彼女は、自分のこれまでの書き手・読み手としての豊かな経験や、生徒の書くプロセスを丁寧に看取ってきているという自信に裏打ちされており、その自信は容易には崩れないのだと思う。そしてもちろん、その自信には充分な根拠があるのだ。
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今回紹介する最後の「私はこれをしない」は、なかなか強烈だ。
私はどの学校で英語を教えていてもーー都会の中学校でも、田舎の小学校でも、そして今のデモンストレーション・スクール(←アトウェルの学校のこと)でもーー生徒の個々の作文に成績をつけたことがない。(p300)
アトウェルは、生徒の個々の作文に成績をつけたことがないというのだ。しかも一度も! 作文教育に熱心な日本の先生方の中で、これ言える人がいるんだろうか? 僕はもちろんつけまくってます….。
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ライティング・ワークショップを知らない人の中には、「何をそんないい加減な」「作文に成績をつけないで一体何を指導するんだ」と思う人も多いと思う。しかし誤解してはいけないのは「成績をつける」ことと「評価する」ことはイコールではないということだ。アトウェルは、常に生徒を評価している。そして、その評価の向かう先は「作品」ではなくて「書き手」なのである。「作品ではなく書き手を育てる」と言われるライティング・ワークショップの、ある意味で真骨頂を具現化したような人である。
では、アトウェルはどのように書き手を評価しているのか? それについてはまた長くなるので、後日別エントリにまとめようと思う。
(3/6追記) アトウェルの評価はこちら。