In the Middle 読書メモ。今日は181ページ。
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わりとさらっと書いてあるのだけど、アトウェルはここで統合カリキュラム(integrated curricula)への批判的立場を表明している。統合カリキュラムとは、書くことを通じて他教科が教えるような内容も含めて教えること。たとえば「理科とコラボしてリサーチペーパーの書き方を教える」ような実践。アトウェルはそれに対して「読み書きの基本的技術を教える時間を奪う」「貴重な180日の一日だって、他教科のために差し出す余裕はない」と言っているのだ。
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アトウェルの考えは必ずしも一般的ではない。書くことの指導には「現実的な必要性に沿った場面」を用いると良いので、他教科で習うこととセットにして書くことを指導するのは、それなりの効果が見込めるからだ。大学のアカデミック・ライティングも、各学問分野の学習やリサーチの方法とセットでライティングを教える授業だから、統合カリキュラムのの一つと言える。
ちなみに、僕が下のエントリ以降で書いている中1の作文の授業も「図書館を活用して調べて書く」のがコンセプトなので、アトウェルが批判する統合カリキュラムの授業である(^_^;)
▼僕の勤務校では教科でも総合でも「図書館の活用の仕方を教える授業」がない現状。だから司書教諭として多少の義務感もあってこういうスタイルをとっている。しかし、実際に授業をやってみると、ただでさえ限られた時間のミニレッスンで「書くこと」と「調べ方」の双方を扱わないといけないので、どちらも内容が中途半端になる傾向を、たしかに認めざるをえない。実は、授業を見学に来てくれた同僚が「書くことを教えたいのか調査の方法を教えたいのか、どっちなんですか?」と聞いてきたんだけど、そういう中途半端な状態を見て取ったのだと思う。
中途半端ですめばまだましで、生徒の側から見ると「書く」と「調べる」というどちらも複雑な複数のタスクを要求されているので、ただでさえ大変な作文のハードルを、さらにあげている可能性がある。そうすると「教える時間は減り」「作文のハードルはあげる」わけだ。ううむ。なんだか良くない気がしてきたぞ。
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でも、色々な教科でレポートを課しているくせに、公共図書館を含めた図書館活用の方法(特にレファレンス・サービスとか)や資料の引用の仕方などを教える授業がないのはやっぱりおかしいよなとも思う。それを教えるとしたら、関心からいっても立場から言っても、やっぱり自分の勤務校だと僕になるわけだし。このへんは、作文教育的関心と、司書教諭的な関心が、僕の中でもぶつかりあっているんだな。