育てたい書き手像を、授業に反映したい。

もはや完全に連載となった火曜・木曜の中1作文授業。今日は7回め。下書きを読み合う回の2回目。今日は、5名の参観者の方をお迎えした。

三学期・中1作文の授業がはじまる

2015.01.14

"Writing is thinking and rethinking on paper"

2015.01.15

専業コーチよりもプレイング・コーチになりたい

2015.01.24

悩みます、公共図書館の利用指導

2015.01.27

ミニレッスンで「時間間隔」を伝える

2015.01.29

今週は下書きの読み合い

2015.02.10

今日の授業は、下書きを読んで発見した他の人の技術を共有したあとで、第6回の読み合いの続き。僕は基本的に前回の生徒の振り返りをもとにした気になる子のチェックと、読み終わった生徒同士をつなげる役目で動き変わる。3コマ同じ授業が連続しているので、最初の時間を見てもらったあとに改善点を教えてもらい、それを次の時間に活かすと目に見えて改善する。こういうのってとてもお得な感じで、授業を見てもらえる快感のひとつ。1時間目より2時間目、2時間目より3時間目のほうが、良い授業ができたと思う。


 
授業後は、2時間ばかり、授業をめぐっての感想と意見の交換。そこで感じたことを一言でまとめると、自分が授業を通じてどんな書き手を育てたいのか、その像をもっとストレートに出すべきだということ。 「作品ではなく書き手を育てる」(作品を書くことを通じて書き手を育てる)、「自立した書き手を育てる」ことが授業目標なのであれば、「これこれの具体的な技術が身についた」という点ももちろん大事だけど、それ以上に「自分は書き手としてどう振る舞ったか?」という自己についての省察を授業にストレートに持ち込むことが必要だという話をいただいた。具体的には、毎回の原稿用紙ファイルをウェブ・ストレージ上でバージョン管理して差分を振り返りやすくしておく、「書き手として何を学んだか」というディスカッションを挟む、というアイデアも。

また、書くことの喜びを共有するコミュニティをどう作るか、という課題も話題になった。文章によるフィードバックだけでなく、音声でのフィードバックを行う。誰かの文章の良い所は何かをグループでディスカッションする。誰々のおかげで具体的にこう良くなったことを自然に伝え合える場ができたら。一緒に書く仲間を作って、「単著を書くのではなく、共著を2本書くイメージ」でできたら。….良い方向へのイメージを次々といただく。次回の授業で、どんな形で盛り込めるか考えてみよう。そういえば今日の授業ではあるクラスの生徒が「先生、次回の授業でグーグルドライブを使って自分の文章へのコメントを募っていいですか?」と質問をくれた。もちろんOKしたんだけど、ああいう動きをもっと励ましていかなきゃ。あの時、もっと大声で彼の質問の内容を言いふらせばよかったんだ。

それにしても50分授業ってほんと足りない。2コマ連続の授業を週2回やりたい。書いたり、読み合ったり、振り返ったりするには、50分授業は短くって慌ただしすぎるよ。

今日はそんな風に授業を見てもらい、2時間ディスカッションしたあと、自分が担当である大きな業務の準備を6時頃までノンストップで終え、急いで 帰宅してご飯を食べて洗い物をして、英会話のレッスンもして、ウルトラマン(6歳)と20分の激闘の末に敗れて、子どもたちが寝た後にいまこうやってブログ書いてる。ああ、もう脳がパンクしそう。自分の授業について見てもらって考えるのって、こんなにしんどいのね。でも、学んでる実感がある。今週は土日もすべて仕事。来週の火曜日には5人、木曜日には3人の参観者を迎えての授業。色々な方が見に来てくださるのはほんとありがたいお話なので、 ノンストップで頑張ろうと思う。いつもこんなことができないのはわかっているので、今がチャンス。

この記事のシェアはこちらからどうぞ!