デジタルペーパー効果 もあって、滑川道夫『日本作文綴方教育史』をいま読み直している。いや、もともと生活綴方を中心につまみ食い的に読んできた本なので、明治篇の最初から通読するのは初めてと言っていい。
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この前書きが重い。
わたしが、このささやかな労作を続けながら、奇妙な思いにかられたのは、ひとつは、いまのわかい世代の優秀な作文教育者諸君が、意外に作文教育史への関心度が低いことである。眼前の実践指導の多忙さのためであろうか。
もうひとつは、明治・大正の作文・綴方教育者が、すでに創造的に開発している指導方法や原理論が、発展的に積み重ねられることが少ないということである。次の時代の教師は、継承発展させる方向に主要な努力を注がずに、ふたたび初歩的段階から試行錯誤をくり返えす傾向がある。いつも、新たな出発点に立って、模索しているかのような印象を受けるのである。すでに解決したはずのもの、あるいは当然受け継いで実践すれば解決したはずの問題意識を放置して、また、同じ出発点からやり直しているといった効率の悪い実践を反復しているようにさえ思えるのである。
…それにしても、なんと、作文綴方教育史は、先輩の貴重な経験を実践指導に生かすことのすくない歴史であったことだろうか。
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思わず「ごめんなさい」と謝りたくなる。これ、昭和52(1977)年の文章だけど、40年近くたった今でも状況は変わってない。それどころか、こういう作文教育史の本すらぱたっと書かれなくなってしまったような…。とりあえず、きちんと明治篇/大正篇/昭和篇を通読しよう。まずはそれから。