あけましておめでとうございます、2023年がはじまりました。お正月は実家に帰省し、4日にはふたたび上京して、東京にいた頃からずっと出ていた勉強会に日帰り参加しました。今年の新年度エントリは、新年の抱負とかじゃなくて、僕にとって大事なこの勉強会のことを書いてみようかな。読者のことは考えてない、自分の記録のための自己満足エントリです。
目次
今年で15年目。僕の「ホーム」の勉強会。
僕には、「ホーム」と呼んで良い勉強会がある。2008年に始まったその勉強会は、もともと、吉田新一郎さんが日本で「ライティング・ワークショップ(作家の時間)」を広げるための中高教員向け研修会に参加したメンバーが母体となってできたグループで、当初は『作家の時間』の中高版実践本を書くのが狙いだった。
ただ、日本の中高でライティング・ワークショップを全面展開する難しさもあり、この狙いは頓挫した。かろうじて、『増補版 作家の時間』として、僕が中高での実践の章を書き加えたにとどまる。
しかし、勉強会自体は、ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップを関心の一つに起きつつ国語の授業について学び合う会として、出版を諦めた後もずっと続いていった。
実践者としての僕を育ててくれた勉強会
「ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップの実践者」としての僕を育ててくれたのは、間違いなくこの勉強会である。ナンシー・アトウェル『イン・ザ・ミドル』を読みながらの自分の感想や実践をこの会で共有してはコメントをもらってきた。この勉強会のおかげで、僕がアトウェルの『イン・ザ・ミドル』を吉田さんや小坂さんと翻訳する道がひらけていったのだと思う。
もちろん、この実践に限った話ではない。授業の相談にはいつも乗ってもらっていたし、他の人の実践報告や問題提起からもたくさんの刺激をもらった。
僕にとってラッキーだったのは、この会に集うメンバーに、「実作者」の人が多かったことだ。俳句。脚本。短歌。漫画。ショートストーリー。論文。本当に多様な「書き手」の多い勉強会で、「作文指導者は実作者でもあるべき」という僕の信念もまた、この勉強会に影響されていると思う。それぞれが得意を生かしたワークショップをやってくれたのも、良い学びになった。
『中高生のための文章読本』を僕とともに作った二人の共著者(森大徳さん、仲島ひとみさん)もこの勉強会の初期からの仲間だ。信頼できる相手だからこそ、お互いに遠慮せずにいいものを作れた。これは胸を張って言える。
うまくいかない時間を共有してきた仲間たち
そんな勉強会も、2008年から始まって今年はもう15年目。随分長くなった。会の中心を担ってくれている方は、当初は40代後半から50前後。その人がもう定年を迎える。そして、当初は30歳そこそこだった自分が、今や40代後半。「そうか、あの時の、あの人の年齢になったのか…」と思うと感慨深い。
その15年もの長さを共有すると、そのあいだには色々なことが起きる。もちろん良いことばかりではない。これだけ長いとメンバーの誰にも不順な時期がある。職場での苦悩も、描いていた理想とは違った転職も、離婚も、肉親との死別も、授業に情熱を失うことも、様々にある。大病を患って闘病中の人もいる。そういう「うまくいかないこと」も含めて共有できるところが、この勉強会が僕にとって「ホーム」である理由だ。
来る前よりも元気になって帰る会
「教員同士の勉強会」と聞くと、何も知らない人は「気鋭の実践者や熟練のベテランが揃って、お互いに意欲高く学び合う場」をイメージするかもしれない。でも、実際はそうではなくて、「うまくいかないこと」の連続なのだ。颯爽とした、良く練られた、目の覚めるような実践ももちろんあるのだけど(こちらの記事に載った森さんの「夕凪の街」実践は、この勉強会で生まれたそういう実践の一つ)、多くはそうではない。うまくいかないことを中心に置いて、あーだこーだ言っている。
教員の勉強会って、別に「気鋭の実践者の発表からみんなが学ぶ場」ではないということ。むしろそういう整った実践発表や雑誌原稿には決して載らない日常の泡沫をその場限りで語り合い、聞き合って、帰る時には来る前よりもみんな少し元気になっている場であること。
少なくともこの勉強会は、そういうことを体現している場だ。「素晴らしい実践者同士が互いに批判しあって切磋琢磨する場」ではないからこそ、僕もその一員として続けてこられた。
僕とこの勉強会の関わり
僕も、ライティング・ワークショップに夢中になって家族の関係が深刻になった時期があり、勉強会メンバーに心配してもらったことがあった。熱中のあまり燃え尽きるように鬱状態になって入退院を繰り返した時期もあった。そこからまた回復して作文教育研究を志し、僕がエクセター大学に留学を決めた際には、メンバーが壮行会を開いてくれた。
筑駒をやめて軽井沢に来て一年目、周囲に国語のことを話せる人がいなくて元気のない僕を励ます意図で、わざわざ軽井沢で勉強会を開いてくれた。この時は本当にありがたかったな。
それ以降、コロナもあって長らくオンライン開催が続いてきたこの勉強会。長野県に移った僕からするとありがたいことだったのだけど、一方でオンラインだとやはり活力が失われたり、関係性が「与える-もらう」関係になりつつある感じもあったりしたので、今回は、中心メンバーが実際に集まって今後の方向性なども協議した。中心だった方の定年を機会に、世代交代していくことの必要も感じた。そういうことを話し合う、大事な時間だった。
この勉強会と自分のこれから
今回の話し合いで、この勉強会も、今年からはオンラインではなく対面中心の勉強会に戻すことに決まった。長野にいる僕には行きにくくなったが、でも、大事な、良い判断だったと思う。会の主要メンバーが15年分年齢を重ねてしまったので、これからは20代や30前後の若い世代も巻き込みながら、こういう場が続く手伝いができたらいいなと思う。自分が育ててもらった場なので、そういう恩はちゃんと次の世代に返していきたい。
…みたいなことを柄にもなく考えて、次の瞬間には自分って年をとったなあと愕然としている(笑) いやいや、僕は元々「他の人のために」という人間では全くなくて、自分の興味や実践を突き詰めるタイプなのだ。まだまだ自分は現場の最前線で伸びていくぞ、30歳そこそこのつもりでやっていくぞ、と、気持ちだけはずっと持ち続けていくよ。むしろ、今からが自分の最盛期だといつも思っている。
とまあ、今回のエントリは、「新年の抱負」ではない。今年やってみたいこと、風越にいる限りは挑戦をしたいことは僕にもあるのだけど、それはまた別の機会に書こうかな。今日は、実践者としての自分の「原点」でもあるこの勉強会について書いて、過去とこれからに思いを寄せた、そんなエントリでした。数年後の自分が、このエントリを読んでどんなふうに思っているかなあ。
過去の「新年」エントリを読むと…
最後に、毎年この時期に「新年」系エントリを書いているので、これまでのものをあらためて読んでみた。久しぶりに読み直すと、感慨深いものがある。
軽井沢風越学園が開校する前の2019年の年末、この時期は精神的にしんどかったんだな…。価値観の違いにモロにぶつかり、自分もまだまだ筑駒で教えていた頃の意識が抜けなかった。楽しく国語の話をできる人もいなかった。学会の仕事や原稿依頼など、外からの仕事は筑駒時代の人脈で来るのに、それに応える目の前の現場もない、そんな時期だった。いきおい、風越に来て失うものにばかり目が向きがちだった頃だ。
それが2020年の開校を経て、2021年の年度初めには、風越で自分が失うものだけでなく、そこで得られるものにも目を向けられつつある。それはやっぱり、「現場」ができて、そこで実践を通じて同僚の凄さを目の当たりにできたのが大きいのだと思う。筑駒時代とは違う意味での同僚の凄さに出会って、わくわくしてる感じが伝わってくる。
2022年になると、登山やウクレレも含めて、生活にもちょっと余裕や変化が出てきている。あと、僕はもともと「力をつける」ことにこだわって授業をしたいのだけど、その気持ちを持ちつつ、「力をつける」ためには、「書けなさを価値として大事にする」とか「自由になるための制約をかける」ことが大事、という、ちょっと違った角度で作文教育について考えるようになっている。これは風越での実践や出会いが自分の作文教育観に影響を与えているということ。「文化」を作りたい、という僕の気持ちがだんだん強くなってきているのも、このへんからだ。力とは、この方向に伸びなさいと引っ張られて伸びる面もあるけど、それだけでなく、文化の中に長く浸ることで、結果的に身についている面もある。今は、その両方を、ちゃんと見つめていきたい気持ち。
とまあ色々な変化が見える新年エントリだけど、個人的には弱音を漏らしている2019年末の自分のエントリがとても愛おしい。こういうエントリを大事にしたい。そして、こういう状態の自分を励まそうと軽井沢で合宿してくれた仲間たち、ほんとありがたいなとつくづく思う….。