昨日、国語科教員&演劇部顧問であり、ご自身も脚本の創作経験が豊富な筑田周一さんを講師お迎えして、8名の参加者の方とともに、脚本のワークショップを開催しました。講座の内容の備忘録も兼ねて、面白かった点を個人的にメモ。なお、僕は脚本について話をきくのはほぼ初めて。知識のある方はそのつもりで読んで下さい。
目次
菊池寛「父帰る」からのオープニング
オープニングは課題読書となっていた菊池寛「父帰る」を読んでの感想交流から。僕の感想は「ひどい父だな…」という小並感あふれるものだったのだけど、この作品、講師の筑田さんが大学生の時に脚本の書き方をはじめて学んだ時に、「これを読め」と言われたものだったとのこと。
青空文庫 菊池寛「父帰る」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/502_19914.html
「情報量の差をつくる」のが会話促進のコツ
この「父帰る」、どこかすぐれているのか? 筑田さんのお話で「ほほう」と思ったのだけど、この脚本は、登場人物間で「父」についての情報量が異なる(インフォメーション・ギャップがある)ため、会話が促進されやすい仕掛けになっているのだそうだ。通常は、こういう情報量の差を生むためにセミ・パブリックな空間(ある程度人間関係ができているけど、外からも人が入ってくる空間)を設定することが多いが、菊池寛の場合は、家という完全なプライベートな空間でそれをやっているのがうまい、とおっしゃっていた。加えて、こうした情報量の差が、父に対する思い入れの差となり、それがドラマを生んでいると。なるほど、情報量の差をつくるのかあ…。
「〜したいけど、できない」状況をつくる
同様にドラマを作り出す方法として、「〜したいけど、できない」状況を作り出す方法がある。昨日はこのアイデアを出す方法として、ブレインストーミングならぬブレインライティングを経験。「〜したいけど、〜できない」の連想ゲームですね。例えば最初に「横断歩道を渡りたいけど渡れない」ではじまった僕の文章は、みんなの机を一周して返ってきた時には「愛人になりたいのに愛人になれない」になっていた。途中に「一線を越えたいのに越えられない」があったのが鍵ですな。こんな風に、連想ゲーム的に発想を広げられるのが良いね。
キャラクターを「外」から作る
もう一つ、よい脚本には観客が感情移入できる登場人物が必要というのも、強調されていたこと。キャラクターの設定はかなり作りこむと良いようで、脚本家さんには、個人個人の履歴書を書く方もいるらしい。そういう性格設定や、「〜したいけどできない」状況を設定することで、観客が思い入れを持つ登場人物を作り出すということだ。
ただし、脚本は小説と違って、内面を直接描くわけではなく、あくまで「外」から行動として描く。そのため、最初に書いた脚本では描き足りないところも出てきがち。筑田さんの場合は、そこがご自身の弱点とも思っていて、実際に自分が書いた脚本を演劇部の生徒に演じてもらって、生徒の声を取り入れて書き込んでいくとのこと。
短い脚本を制作!
ここまでのレクチャーを受けて、いよいよ短い脚本を実際に書いてみよう! となりました。課題はこんなもの。
ある人物が座って本を読んでいます。やがて、2人の人物が訪れます。そのうち一人は無言、一人は話します。やりとりがあって、人物は本を読むことをやめてたちあがります。
場所・人物の性別・年齢などを自由に設定して、脚本を書いて下さい。
(制作のための時間はおおよそ1時間、上演時間の目安は90秒くらいから)
より長い脚本を書くための「発想を強制的に広げる」方法
その後は、より長い脚本を書く方法として、大塚英志「物語の体操」で使われている方法も紹介された。タロットカードのようなものを使って、ストーリーの大枠を決めていくやつです。「外的な強制力の助けを借りて、ストーリーの発想を広げていく」ツールですね。
実のところ、自分のライティング・ワークショップでは、こういうツールって、そんなに積極的には紹介しない。人によって合う合わないがあるだろうなと思うし、僕はツールの利用よりも自分の好きな作品からの真似を推奨するからなんだけど。でも「道具箱」の中にある「道具」のように、誰もが使える状態にしておくのは大事かもなあ。こういうツールの良さ、あらためて見直してみたいし、これを使って実際に書いてみよう。
「本物の迫力」を感じた4時間
とまあ、脚本を書く基礎のところをたっぷりお話を聴き、体験させてもらった、あっという間の4時間。面白い話、参考になる話は色々とあったけど、一番印象に残っているのは、講師の筑田さん自身が「実際に書き続けている」ことの強みである。
実は僕は、筑田さんとはライティング・ワークショップをきっかけにした勉強会仲間である。おつきあいはもう9年くらい。それでも、勉強会では「国語の授業」の話題ばかりで、ご本人がずっと続けていらっしゃる演劇部の脚本制作の体験やノウハウについて教えていただいたのは、実はこれが初めてだった。
今回、脚本創作の話を重点的に聞かせてもらって「なるほど、この筑田さんだから、ああいうライティング・ワークショップになるのか」と感じるところが多かった。筑田さん自身が「作家ノート」を持ち歩いていて、毎日ネタを探しながら生活しているし、実際に脚本を書く際には、時代背景などの取材を綿密にしている。自分なりのルーティーンを確立していて、自分の脚本家としての強みや弱みも知っている。こういう、表現者としての筑田さんの側面を見られたのが、今回の一番大きな経験だったかも。
僕が印象に残った、
脚本は座の文学だと思っているんです
頭の中だけで書くと薄っぺらくなるから。
脚本を舞台にあげると、キャラが生きてくる。
などの言葉も、そういう自身の体験に根ざしたもの。だから、本物の迫力を感じた。
また、筑田さんには、キャラクターの名前を決めたらそれを筆ペンで縦書きにして書いてみる、というルーティーンがあって、そのエピソードが個人的にとても好きだった。作家が持つ、自分だけのちょっとした儀式。普遍性はないけど、こういうその人だけのこだわりが、実は作品を生む大事なキーなんじゃないかな、という気がする。
創作を日常の中に入れられるか?
このブログで何度か話題にしているとおり、僕自身、「生徒に出す課題を教師が一緒に書くことが大事」という点を意識している。生徒に出す課題と同じものを書くようにしているし、平均的な国語教師よりも、たくさん書いているんじゃないかなと思う。
でもそれは、あくまで授業の時だけだ。ブログはただの備忘録なので創作性はあまり必要ないし、筑田さんほど、日常的に創作をしていない。「作家ノート」も持ち歩いていない。
でも、今回筑田さんのお話をきいて、この筑田さんの「あり方」は、ライティング・ワークショップの教師の「王道」だなあと思った。「実際の作家がやっていることを教室に取り入れよう」という、1970-80年代のアメリカのライティング・プロセス・ムーブメントで目指されていたのって、こういう教師像じゃないかなあ。
ということで、脚本づくりの基礎から「表現者」としてのあり方まで、多くのことを学べた会でした。講師の筑田さん、一緒に勉強してくださった参加者の皆さん、あらためてありがとうございました。
おまけ:人生初の脚本!
大病院の待合室。平日午後で外来客が一段落し、入院客の診察や検査が行われる時間帯。患者用の服を着た中年の男が、診察を待つ間、長椅子に坐って読書をしてすごしている。そこに、大きな荷物を抱えた中年の女が、老婆の手をとってやってくる。
女 入る部屋はこの奥だから。急がないと。
(老婆、うなずくと同時に咳き込む)
女 もう、荷物も重いんだから。
(女、抱えた荷物を長椅子に置こうとして、男の肩に荷物が触れる)
女 あら! 申し訳ありません。
男 (本からちらりと視線をやって)いや、大丈夫です。
女 ほら、おばあちゃん、ここに座って! あ、まだそれつけてるんですか。取りますからね。
(女、老婆を座らせて、老婆の腕に手をやる。老婆、腕を押さえる)
女 これは病室に持っていけないんですよ。先生に言われてるの。わかる?
(老婆、なおも力をこめて手を押さえる。また軽く咳き込む)
女 もう、また、わがままばかり。
(女、老婆の手から力づくで何かを取ろうとし、引きちぎる。足元にバラバラと何かが散らばる)
女 ああ、また、もう!
男 あ、落ちましたよ。
(男、いったん本から目を離し、座ったまま足元に散らばったものを一つつかむ)
男 真珠…ですか?
女 (拾ってうけとりながら)ああ、すみませんねえ、いえ、この人の前の夫がね、あげたんだそうですよ。持って来られないのに、執着してねえ。ああ、無理に押さえるから修繕しなきゃいけないじゃないの。
男 ご家族の方ですか?
女 いいえ、私の夫の母です。もうずいぶん弱りましてねえ…あら、すみません。
(女の携帯電話が鳴る。うんうんとうなずいて聞いた後で)
女 おばあちゃん、ちょっと急ぎの用事ができたので、先に行って下さい。一人だけ。ほら、前と同じ部屋だから、わかるでしょ? まっすぐ。そうそう。 荷物、すぐあとで持っていくから。
(女、病院の入り口のほうに、荷物を持って電話をしながら退場。あとには男と老婆が残る。老婆、咳き込む。男は読書をしながら、ちらちらと老婆を見る)
(老婆、また咳き込む。その後、ゆっくりと立ち上がり、足をひきずるようにして、病院入口と反対側の病室の方向へあるき出し、退場)
(男、老婆のほうを見送る。そして、その床に白い真珠の玉が転がっているのを見つける)
(男、いったん病院入口のほうを見てから、椅子から立ち上がる)
男 あの…これ…落としましたよ!
(男、急いで老婆の方向へ退場)
昨日はありがとうございました。
参加されたみなさんがモチベーションが高くて、とても楽しく4時間を過ごすことができました。
私のようなものでもお役に立てたなら幸いです。
さて、これから脚本を一本仕上げます。
昨日は本当にありがとうございました!筑田さんほど書くことや授業に時間を割くことはできませんが、ブログ以外にも創作を書いてみようと思います。大変勉強になりました。
ワークショップの内容も、あすこまさんの創作も大変おもしろいと思いました。
思わず私も!となりました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。「私も!」と思っていただけるのはとても嬉しいです。やっぱり講師が実際に書いている方だと、違いますね! 脚本も頑張りました。
参加させていただき、ありがとうございました。
作品作りのノウハウや、戯曲に関するエピソードなど、インパクトがありました。演劇は「観る側」なのですが、「創る側」の体験が多少あるだけでも、舞台の観方に深みが増すような気がしました。
私自身、国語の授業では(とくに文学教材の場合)、「ロールレタリング」や「架空インタビュー」を読解プロセスの中に組み込むことがあります。これらは、作文のバリエーションの中では、「演劇的な手法」といえるかもしれません。
「ロールレタリング」では、人物の視点がかわることで、より深く入り込めるようになりますし、「架空インタビュー」(これは、こまつ座のパンフレットで、井上ひさしがよく書いていた趣向を真似しました)も、書いた後、朗読してシェアするのが楽しかったりします。
また、以前、カウンセリングの研修で訓練した「面接の逐語録作成」も、会話・対話の微妙な部分に気づくきっかけになったという意味で、「演劇的体験」といえるかもしれない、とふりかえることができました。
筑田先生がおっしゃった、「座」も重要な概念です。授業という形態そのものが、まごうかたなき「座」そのものですよね。
以上のように、連想がさまざまに広がり、楽しく有益なひとときでした。
感想ありがとうございます!自分では引き出しのない部分なので、なるほどと、新鮮な感想でした。