詩の授業って難しい…

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今日は他校の国語の先生たちとやってる勉強会の日だった。この勉強会は、メンバーの入れ替わりがありながらももう7年続いている。 もともとはライティングワークショップという作文教育の手法に関心のあるメンバーが集まったのだけど、今では作文教育に限らず、国語の授業全般について実践を共有し検討する会になっている。

今日の報告では、新卒の国語の先生の詩の授業報告が一番面白かった。ご自身も短歌の実作者で、それだけに詩に対する思い入れもある人だ。伝達機能を主とする日常言語ではない詩的言語を、授業を通じて生徒に感じてほしいと奮闘していらっしゃる。なるほど、実作者の人は詩に対してこういう考えを持っていて、こういう授業を作ろうとするのか、というのがうかがえてとっても面白い。


 
 その先生が、詩の授業をやって、総じて、悩み苦しんだという。その先生が今回の授業を通じて考えた主な疑問は以下の通りだそう。

(1)授業後のテストを意識せざるをえないため、詩の形式や技法の話が必要になるのだが、これに意味があるのか。
(2)生徒の興味を惹きつけるのが難しい。興味ある生徒とない生徒の落差が他より激しい。
(3)詩の解釈の方法は、教師の解釈を押しつけるか、生徒に全て委ねる相対主義かのいずれかしかないのか。
(4)そもそも高校で詩の授業をやるということの意味はあるのか。授業は「役に立つこと」をやるべきなのかどうか。

どれも、そうだよなと思う。自分にも思い当たる節がたくさんある。多くの国語教師は、このへんを整理・追求できなくて、なんとなく詩の授業から遠ざかってしまうのだろう。幸い、そんな国語教師の心を見越してか、教科書に載ってる詩って基本的に「わかりやすい」ものばかりなのだ。

僕もいま、詩の授業で苦戦している。今年の僕の場合はちょっとアカデミックに行こうと思って、帯単元で明治の『新体詩抄』以降の近代詩史に沿って有名な詩を紹介していく形式を取っているのだけど、事前準備がけっこう大変なわりに生徒の反応は正直あまりよくない。詩は好きなんだけど、正面切って取り上げるには、苦手意識がある。

手応えが得られないままどういう詩の授業がいいんだろう、ともやもや考えている矢先に、若くて実作もする先生に出会えたのはとてもラッキーだ。この人の授業を教えてもらったり、議論したりして、もうちょっと詩の授業について考えてみようと思う。

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