先週から今週にかけて、色々な方に授業を見ていただいている。なかでも、福井県立若狭高校の渡邉久暢さん、元・上士幌中学の石川晋さんは、お二人とも以前から親交があり、尊敬していて、僕も授業を見学させていただいたことがある方だ。そのぶん勉強になることも多いので、メモしておこう。
目次
渡邉さんとの振り返り
なんのために読むのか?
先週いらっしゃった渡邉さん。同じ高校生を教えている渡邉さんとは、評論っていったい何を教えるんだろう、というここ最近改めて感じる基本的な疑問が中心だった。その中で、僕と渡邉さんの立ち位置の違いも明確になる。渡邉さんの授業は、読む方略のような話は紙1枚で済ませて、あとは頻出テーマのもとで複数の著者の文章を読ませる。生徒同士の活動もかなり多く取り入れて、最終的には、文章に対して評価をして、自分なりの価値観をあぶり出させたい、とおっしゃっていた。
一方の僕は、一斉授業もするけれど、軸足はリーディング・ワークショップのような、生徒が自分で本を選んで読む多読にある。生徒が自分で読む本を選んで読んでいく。それによって当然できることとできないことがある(例えば、自分で興味を深めて読み進めたり、多くの文章に出会ったりすることはできるけれど、一つの本を読んで全員で議論するということは、リーディング・ワークショップではできない)。
で、そこから「何のために読むのか?」というところに行くと、渡邉さんは、読むことを通じて自分の価値観を揺さぶって「言語行動主体」(状況や他者と関わり合いながら絶えず自己を相対化した上で、内面から自己を変革していく主体的存在)となって欲しいそうだ。以下は渡邉さんから事後にいただいたコメント。
授業後の懇談でもお伝えしましたが,私自身は生徒のものの見方・考え方を鍛えていくことを通して,成長を促したいと考えています。例えばAIに関連する文章を読むことで,自身が「人間」とはどのような存在なのかについて,どう考えているのかを自己認識することなどを期待しています。
一方の僕は、読むということを、自分の人生を幸福にする手段として上手に使えるようになって欲しいと思っている。そして、こう書くと渡邉さんの方が断然かっこいい…(笑)!
生徒にどこまで委ねるか問題
次の違いが、「生徒にどこまで委ねるか」と言う問題。生徒に委ねるというと、何だか生徒を信頼していて良い先生のように聞こえてしまうが、実際問題、「委ねる」ことと「コントロールする」ことのバランスをどのようにすれば学力を伸ばせるのか。そして、その場合の「効果」の内容的時間的射程はどこまでなのか。これもリーディング・ワークショップの論点の一つ。何でもかんでもゆだねれば良い、という話でもない。
もちろんこれは程度問題なのだが、ざっくり言うと、大村はまは「教材や授業の文脈を教師が決めてこそ、教材研究も万全にできるし、生徒をよく伸ばせる」という立場だったと思う。一方、「生徒が(一定の範囲の制限はあれ)自分で自分にあった教材を選ぶからこそ学習するんだ」がナンシー・アトウェル。渡邉さんが前者、僕は後者。僕は、「教師が全員を相手に一つの教材で教えるよりも、一人一人違う本を読む方が学習効率が良い」と思っているのだけど、「本当にそうなのか?」というのは自分に向かって問わないといけないし、この二項対立も固定的に捉えすぎないようにしたいといけない。
ミニ・レッスンの位置付けは柔軟に
授業への具体的な助言としては、渡邉さんから、「ミニ・レッスンの位置付けはもっと柔軟に考えていいのではないか」と言われて、それはそうだなと思う。日によって長さも違えば、やらない日もある、くらいでいいのかも。確かに、今の生徒には評論の読解の基礎的な方略は渡しているので、あとは色々な評論を紹介したり、ひたすら読んだりするほうが大事かもしれない。そう思って、その後のミニ・レッスンは軽めに、プリントを作らずに教科書の評論を背景知識とともに紹介する程度に留めている。
そもそもミニ・レッスンは、「教えはするけれど、その日の読む時間はそのトレーニングの時間ではない。だから、使っても使わなくても良い」というスタンスなのだけど、「使わなくてもいいなら、なぜ教えるの?」という疑問も持たれたようである。この辺は、以前に自分でも課題と思っていた「ミニレッスンをどう保存し、活用するか」とも関わる問題。
石川さんとの振り返り
身体との関わりという視点で授業を見る
今週の石川晋さんとの振り返りは、他の見学者や研究者の方も交えて合計8名で実施。まず驚いたのは、石川さんが二時間の授業見学で、うちの生徒の特性を本当によく見ているということだ。その特性も踏まえながら、「本を挟んで会話する」というコミュニケーションのあり方が、ここの生徒には合っているのでは、という話を聞いた時に、なるほどなあと思った。
ミニレッスンをしている時とカンファランスをしている時の僕の息継ぎや声のトーンの違い、そしてカンファランス中の生徒との身体的な距離感についての観察もあった。「カンファランスをしている時の方が楽しそうで、ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップの授業スタイルの方が、あすこまさん自身の居心地の良さとも結びついているのではないか」という指摘をもらって、言われてみるとこれも納得。
他にも、カンファランスの時の生徒との距離感の近さ(今のところこれでうまくいっているようだが、多様な子を相手にした時にチューニングが必要ではないか)、非言語的な情報で生徒に対して働きかけているけど、これも相手次第では伝わらないことがあるのでは、という視点ももらった。石川さんと話してて気づいたのだけど、どうも僕の授業は、僕が思っていた以上に「生徒の均質性」に支えられている部分が多いようだ。しかも、僕自身がここの卒業生なので、僕もその均質な集団の一員でもあるのだから、とても楽だ。相手に応じたチューニングができるようになるには、何かを意識する必要がある。
それにしても、どういう訓練をしたら石川さんのように授業を見られるんだろうか。今の僕にはできない見方。今度、練習方法を聞いてみよう。
カンファランスをするかしないか?
石川さんとの振り返りでは、リーディング・ワークショップがうまくいかない時、どこに働きかけるのかという話がとりわけ面白かった。「うまくいかない時があったら、あすこまさんは何が原因だと考える?」と聞かれて、僕は「面白い本に出会ってないこと」と答えたのだけど、石川さんは、そういう時にクラスの集団に働きかけるのだという。
ここは面白いなあ。僕は(かっこよく言うと)本の力を信じている。その子にとって面白い本に出会えれば絶対に読み浸るはずだと思っている。
そしてリーディング・ワークショップの本質を「生徒個々の文脈の中で教える」ことだと思っている。アトウェルがやっているのは、まさにそういうことで、彼女は生徒の文脈の中で直接介入して教えているのだ。
でも、石川さんは(そしてよくお話に出ていた国立第一中学校の井上太智さんも)カンファランスをしない。二人は生徒に直接は介入しないで、集団に働きかけることで状況をよくしていく。いわば、集団の力を信じている。こういう違いが面白いなあと思う。
この問題については、「授業づくりネットワーク」29号の、井上太智さんの授業を見た後の岩瀬直樹さん・石川晋さんの対談も参考になった。
この号では、井上さんがカンファランスをしないことについて触れていて、なぜそうなのかという点についてのご自身の分析もある。井上太智さん、まだお目にかかったことはないけれど、いつか授業を拝見したいと思う。
ただ、「なるほど、集団の力を使うという方法もあるか」とは思ったけど、今のところ、「カンファランスしない」という選択肢は僕にはない。カンファランスをしないライティング/リーディング・ワークショップというのは、少なくともアトウェルらの英語圏の「ライティング/リーディング・ワークショップ」の定義では、ちょっと考えられないからだ(だからダメ、というのでは全くないので、誤解なきよう)。僕は今の所、愚直にアトウェルのフォロワーとしての道をゆく。
集団の力をどう使う?
とはいえ、僕はアトウェルにはなれないので、上記の石川さんや井上さんに倣って、個人カンファランスの他にどういうアプローチができるのか、集団への働きかけを考えることも可能なはずだ。これについては、去年リーディング・ワークショップを見てくださったある大学の先生が、
今のところ、この授業で誰よりも読書について学んでいるのはあすこま先生ですね。
とおっしゃってくださったのも気になっている。これは、生徒がお互いにカンファランスをすることで、また違った展開が生まれるのでは、という示唆だと受け止めている。
幸い、リーディング・ワークショップも昨年度から通算で10回を超えて、生徒がクラスメートの薦めた本を読む場面も見られてきた。こうして読書共同体っぽい雰囲気を作っていけたらいいな。
僕がカンファランスで聞いていること
ちなみに、今回の授業後の振り返りを通じて、僕がカンファランスで聞いていることが整理されたのも、とてもありがたかった。今、自分のカンファランスを全て録音しているので、これについてはいずれ見える形で整理しようと思う。
自分がやっていること、見えていないこと、やりたいこと
以上、渡邉さん、石川さんとの振り返りのまとめおしまい。こうやって他の人に授業を見てもらうと、自分がやっていることや見えていないことが、少しずつはっきりしてくる。今後も授業を見に来てくれる人の力を借りながら、ちょっとずつ改善していきましょう。
お世話になっております。先日は授業見学、ありがとうございました。
私のところは実施3回目で、私自身、まだ初心者です。
生徒は週1回のこの時間が好きで、「リーディング・ゾーン」に入る状況も実現しています。
今一番気になるのは「選書」です。「この生徒はもうちょっと難易度の高い本を読めるのではないか。」という教師側の思いを、どのように伝えるべきかということです。つまり「どこまで委ねるか」。今の本校の生徒だったら、「この10冊の中から好きなの選んで読んで」でも、素直に読むように思いますが、あえてそうしなかった理由は、やはり「その人に合う本は一人一人違う」からです。「回数を重ね、好きな本を思いっきり読んだ後に「じゃ、たまには違うジャンルを読んでみるか。」になるのでしょうか。読書時間の提供の次は「何のために本を読むのか」を生徒に示せるよう、もう少し考えたいです。今後とも、よろしくお願いします。
こんにちは! おっしゃる場面、まずは制限せず、その生徒本人の読みたいものから始めた方が良いと思います。理由は、本人に「自分が選択肢を持っている」という感覚を持ってもらうのと、その生徒の好みや読書レベルをこちらが知るのにも時間が必要だからです。僕の生徒も、去年は小説ばかり読んでいた子が今年は評論にも手を出すという場面があって、少し待つことは効果的だと思いました。