この秋は、10月28日(土)に、お茶の水女子大附属中の渡辺光輝さんが「お茶中ブックカフェ」という読書会の授業で公開授業をされる。僕は渡辺さんの授業には何度かお邪魔させていただいているけど(下記エントリ参照)、今回の公開授業には出席できない。でも、僕も11月には勤務校でリーディング・ワークショップ(個別読書)の公開授業をすることもあって、今週また見学させていただく予定でいる。
目次
お茶の水女子大学附属中学校教育研究協議会
http://www.fz.ocha.ac.jp/ft/menu/resarch/d001961_d/fil/1.pdf
その見学にあたって、一度、読書会と個別読書の違いについて整理したくなった。僕は「個別読書」重視なのでその立場からになるけど、「個別読書」と「読書会」のそれぞれの強みと弱みについて、いったん整理しておきたい。
個別読書の強みは、選択権と時間の確保
「読む本を選べる」ことの意味
個別読書の最大の強みは、「読む本をその個人が選べること」だろう。僕のモデルであるナンシー・アトウェルのリーディング・ワークショップでは、基本的に読書会をしない。明言はしないものの、おそらくその理由は「個人の選択を最大限尊重したいから」である。僕自身、プライベートでの読書会には参加するし、課外のイベント的な読書会は学校で開くのに、必修の授業で読書会をやっていない理由を考えてみると、やはり、この「選択」というところに行きつくのだと思う。
仕方のないことだが、必修で読書会をやるとなると、どうしても「こちらでリストを作成して、その中から選ぶ」ものになりがちだ。必然的に「たいして興味のない本で読書会をする」生徒が出てくる。そこに、ちょっと抵抗がある。
生徒が読む本を選べることがなぜ大事なのだろう。一つには当然読書へのモチベーションの問題があり、他には「自分にあったレベルの本を選ぶ」ことの大切さがある。特に、語彙強化学習としての読書について考えた場合には、自分にあったレベルの本を選ぶことはとても大事で、そうでない本を読んでも語彙は強化されにくい(下記エントリ参照)
個別読書なら、誰もが自分の興味や語彙レベルにあう本を手にとれるし、「あわないと思った本をやめる」ことも容易にできる。こうした点が、個別読書ならではの強みだ。
読書時間の確保と読書習慣の形成
加えて、個別読書は、授業時間の多くを(僕の場合は30分)実際に読書する行為に費やすので、触れる活字の量や読書量が最大限確保される。読書会、あるいはブックトークやビブリオバトルなどの「交流」に主眼を置いた読書活動では、活動が「その場限りのイベント」になって、日常の読書につながらない危険が少なくないと思うが、個別読書であれば、「交流」よりも「読むことそのもの」に時間を割くので、時間は確保しやすい。実際に、個別読書の効果を主張する研究で強調されるのは、実際に読む時間や読む量が、言語力に結びつく、という点である。
読書会の強みは、アウトプットと読みの変容・深化の可能性
一方、読書会には個別読書と明確に異なる強みがある。「アウトプットの機会を保証すること」と「交流による読みの変容の機会を与えること」だ。
アウトプットの機会による理解の深化
読書会では各自の読みを交流することが前提になる。この際に「アウトプットを意識する」「アウトプットを意識して読む」ことが、実際の読みに好影響を与える。実際に、読みの研究でも、さきほど紹介した本を始め、「単に読む」だけでなく、「読んだことについて話す」ことが読みの理解に影響を与えることはよく指摘されている。
PISA2009でも、「本の内容について人と話すのが好きだ」と答えた生徒の割合が高い国は、読解力平均得点が高い。これもアウトプットすることの好影響だろうか。
交流による読みの変容
また、他の読者と読んだ感想を交流させることで、「こんな読みもあるのか」「なるほど、そうも読めるのか」という経験ができる。個人的には、これこそ読書会の最大の面白さだと思う。一つの作品を全員で読む一斉授業型よりもカジュアルに感想や意見を交換できるので、気軽なおしゃべりの延長で、様々な読みに出会うことができる。これは、実際に経験すると本当に楽しい。僕が、夏休みのイベント的に「ぶらり読書会」という読書会をやっている理由でもある(ちなみにタイトルの画像は、今夏の「ぶらり読書会」より)。
本について話すことが、豊かな人生につながる?
さらに、学力とはやや異なる視点だが、子ども時代の読書が成人の意識にどう影響するのかを調べた調査を見てみよう。下記の論文は、子ども時代の読書の充実が、成人の意識や行動(自己肯定感・市民的教養・向上心)に正の影響を与えることを示唆している論文。面白いのは、ここでの「読書の充実」とは必ずしも読書量だけでなく、本を通じた他者との関わりも含んでいるという点だ。後の人生に好影響を与える豊かな読書とは、量だけではなく、それを通じた他者との交流も含まれる、という可能性が考えられる。
子どもの頃の読書が成人の意識・意欲・行動に与える影響
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sor/58/1/58_29/_pdf
個別読書では提供しにくい「交流」の機会
以上の読書会のメリットは、個別読書ではなかなか提供しにくい。例えば、僕の授業では授業中の僕とのカンファランスや、毎時間最後の「共有の時間」がアウトプットや交流の機会になっている。しかし、時間的に極めて限られたものにすぎないし、「共有の時間」も、下記エントリのように生徒の評価はあまり高いものではない。
アトウェルの学校では、話すかわりに「レター・エッセイ」を書いていて、それがアウトプットや交流の機会になっているの。だから、読書会がないことがあまり課題にならないのかもしれない。でも、僕の授業では…すみません、そこまで手をかけられてません。
個別読書の授業の中で、読書会をどう運営するか?
とまあ、「個別読書だけ」の弱みも多々ある。ただ、あくまで量をベースにしたい僕としては、理想としては、個別読書の授業の中で、有志で自然に読書会も発生してくれることかなあ…となんとなく思っている。
で、一学期は「読書会というのもあるよ」と呼びかけたけど、残念ながら希望者が出なかった。二学期は「コンビニ人間」を示して、「例えばこの本でやってみたい人?」と呼びかけの仕方を少し変えたら、3組というほんのわずかな人数だけど、ペア読書をやるグループが生まれた。次のリーディング・ワークショップでは、カズオ・イシグロのノーベル文学賞効果か、彼の本での読書会に興味を持つ生徒がそれなりにいそう。値段が高いのがネックだけど、高校生直木賞の「また、桜の国で」でもやりたいなあ。
というわけで、今週、渡辺さんの授業を見学して、リーディング・ワークショップの中で読書会を行うヒントを見つけたいなあ、と思っている。去年の冬に読書会の授業を見学させていただいた生徒たちなので、変化も楽しみ。勉強してきます。