強制と偶然の力で詩をつくる「ラッキーディップ」が面白い。

風越学園の国語の授業は、作家の時間と読書家の時間をメインにやっています。僕の受け持ちクラス(6・7年生を基本にしたクラス)では、作家の時間には最初にエッセイを書いてから「詩人の時間」へ。詩の創作のアプローチを整理したり、横濱先生とやりとりしたり、詩創作に関する本を読んだりしていたのも、全部この授業の準備でした。

「詩の書き方」をどう教える? 4つのアプローチを整理してみた。

2020.07.11

[読書]丁寧にステップを踏んだ詩作の手引き。石毛拓郎『詩をつくろう』

2020.07.23

結局のところ、4コマの授業を、最初はある程度型や外部の力で詩を書く経験をして、その後、自分の創作へ、という流れで作りました。

  1. 最初の授業では他の詩の型を使って詩を書く。(牟礼慶子「見えないだけ」を利用した)
  2. 次の授業では、ラッキーディップをする(詳述)。
  3. 自分で詩を書く。自由に書いても、他の詩を使っても、ラッキーディップをしても、アクロスティックでも良い。

今日のエントリでは、このうち「ラッキーディップ」について書きます。

「ラッキーディップ」ってそもそもなに?

「ラッキーディップ」(lucky dip)とは、もともと「福袋」「プレゼント袋」の意味。でもこのエントリでは、サンディ・ブラウンジョンのTo Rhyme Or Not To Rhyme? の27ページに載っている、詩を使うゲームの一つだ。

やり方は簡単。まず、参加者で10行の詩を作る。次に、その10行をハサミで一行ごとに短冊状にバラバラにする。そうしてバラバラになった短冊をまとめて袋に放り込み、その袋から、見ないで10枚の短冊を取り出す。それから、その取り出した10行を並び替えて、新たな詩を作る流れ。

僕の場合は、既存の詩を使いました

ブラウンジョンの本では子供たちが最初の10行を書くことになってるけど、僕は最初は既存の詩を使った。使った詩は以下の3つ。

  1. 牟礼慶子「見えないだけ」
  2. 鈴木敏史「手紙」
  3. 門倉詇「こころ解かれて」

中学校教科書にも載っている「見えないだけ」は使うことを決めていて、残りの2つの詩を選んだ基準は、行数がほぼ同じ(12〜14行)こと、雰囲気が違う詩を入れること。あとはまあ、なんとなく(笑)

この3つの詩のコピーを生徒に配布する。生徒は、一行ごとにハサミで短冊状に切り、合計38枚の短冊から12枚の短冊(つまり12行ぶん)を取り出して、それを並び替えて詩を作るのだ。今回は、短冊を全て使い、チェンジは不可にした。与えられた12枚でなんとか作らないといけないわけ。

面白い作品が続々と…

これ、やってよかった。生徒も楽しんでいたし、面白い作品が続々と生まれた。許諾を得ていないので作品はここには載せないけど、例えば「のらねこの声も/野はらを走る 風のように/庭に舞いおりる」という素敵な表現や、「あんなに確かに在るものが/たんぽぽの わた毛」という予想外の言葉のつながりの面白さも生まれて、言葉を組み合わせることで生まれる表現の可能性を感じさせる時間だった。

12行を全て使って組み合わせた後は、自分の作品にタイトルをつけて終了。タイトルをつけることで、子供達は自分の作品に「意味づけ」をする。タイトルがつくだけで、まるで元から意図的に作られた作品のように見えるのも面白いね。

冒頭の写真は、ラッキーディップのやり方をミニレッスンするときに示した僕の作例です。2つも引いてしまった「燃やしていますか」をどう使うかに頭を悩ませました(笑)

ラッキーディップの良いところ

ラッキーディップの長所はいくつかある。まず、どんな短冊を引くかは運次第なので、「うまくできなくても運のせいにできる」こと。「うまく書かなきゃ」がプレッシャーになる生徒にとって、これは大きい。実際に、もともとは別々の詩の言葉なので、出来上がった作品の優劣があまり目立たないのもいい。少なくとも、一行も書けずに白紙のまま、という事態はないのだ。それが、書くことが苦手な子への安心につながる。

その安心できる環境のもとで、手持ちのピースでジグソーパズルを組み立てるように、生徒は配られた短冊を並べ替えて詩を作る。まさに「言葉のティンカリング(あれこれといじりまわすこと)」で、雰囲気の近い行をくっつけてストーリーを組み立てたり、まるで異なる行同士の意外な組み合わせを作ったり、彼らは文字通り手を動かして「創作」に向かう。

もともと別々の詩をバラバラに組み合わせたのだから、どうしたってきれいにストーリーがつながらない行が出るのもいい。仕方なく生徒があれこれ手を動かすうちに、自分の創作では決して出てこない言葉の組み合わせ、非日常的な言葉の配列に出会う。やがて、「これ」という配列を見つけた時の生徒の手の動きや、新たに配列された言葉が世界を作っていく姿を見るのは面白い。これこそ散文にはない詩の魅力って感じがする。

「言葉のティンカリング」を楽しむ方法

このラッキーディップは、強制と偶然の力で無理やりに詩を「組み立てる」遊びである。言葉はすでにあり、書き手にできるのはそれを組み立てるだけ。事前に3つの詩をちゃんと読めば、「穴埋め短歌」よりもさらにハードルが低い、鑑賞と創作を繋げる方法にもなりそう。

自分のやり方はこれ。お薦めです、穴埋め短歌。

2015.05.03

外部から与えられた言葉を組み合わせて詩を作るラッキーディップは、自分の発見や思ったことから詩を書く方法の対極にある。しかしそれだからこそ、生徒は自分の「思い」をいったん傍にいて、言葉そのものと向き合わざるを得ない。そうしてできた詩の言葉は、自己表現としての詩とはまた別の詩の姿を見せてくれるはずだ。ラッキーディップの後で、その経験を振り返って「詩らしさ」とは何なのかを考えるワークもできると思う。

楽しみながら「言葉のティンカリング」をして、詩に出会う経験を提供するラッキーディップ。またやってみようと思います。

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