「主体性がある」ってどういうこと?

この秋の公開研究会で、助言講師のお一人だった筑波大学の長田友紀先生から、とても印象深い言葉を教えてもらいました。ジョンストン(Peter. H. Johnston)による、主体性についての定義です。出典は、Choice Wordsという本。

目次

ジョンストンによる主体性の定義

ジョンストンは、「主体性」という言葉を次のように定義しているのだそうだ。

自分が行動すれば、特に、よく考えて行動すれば、目標はきっと達成できる」と学習者自身が信じている状態

これはシンプルだけど好きな定義だなあと思った。僕たち教師って、生徒が一見活発に活動してたら「主体的」とか、教師の喜ぶ行動だけを「主体的」とか言いがち。でも、「主体的」って決してそういうことじゃない。つまり、「学習者が楽しそうに、興味深そうに学習に取り組んでいる状態」でも「学習者が教師の都合のよいふるまいをしている状態」でもなく、学習者自身が、自分の有能性を信じている状態のことなんですね。

この意味での「主体的」は、あくまで主観主義の言葉なので、実用の上では、「外形的にこうしていれば主体的」とはいえない欠点もあると思う。でも、主体的ってそもそもそういう内面的なものじゃないかなあ。主体性を外形的にとらえようとすることが、「教師目線で主体的にふるまおうとする従属的な生徒」を生んでいくわけだし、それよりもよほど健全な定義だと思う。

こういう意味で主体的な生徒であれば、教師がいなくなっても自分から勝手にどんどん行動していくでしょう。しかも、やみくもに行動するのではなく、よく考えて、戦略的に行動するでしょう。そりゃあ強いよね。

「主体性」を育てるには?

では、この意味での「主体性」を育てるには?ということで長田先生が述べておられたポイントは3つだった。

  1. 教師が子どもを信じていること
  2. 子どもたちが自分の世界観を揺すぶられること
  3. 好きなことを自由にやる選択の自由があること

どうしてこの3つなのか、というところまではお話されていなかったんじゃないかな?(…と思いますが聞き落としかもしれません…)。僕の受け止め方としては、1つめは教師の側が生徒の有能性に高い期待を持って、その状態に導こうとすること。「どうせできない」と思っていては生徒が主体性を持つうえで害にしかならない。2つめは、奈須先生が「資質・能力と学びのメカニズム」で書いていたような、教科特有の「ものの見方・考え方」への驚きや、古今東西の他者の考えと触れた時の驚きではないかなと思う。学ぶことで世界の見え方が変わる経験が、また次の主体的な学びにつながっていく、ということだろうか。そして3つめは、ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップでも言われる、「Choice」の重要さのことだろう。

[読書] 新学習指導要領と現場をつなぐ、わかりやすい解説書。奈須正裕「『資質・能力』と学びのメカニズム」

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作文教育の成否の鍵は、自律性を高める仕掛けにあり

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ジョンストンの本は、今後、翻訳が刊行予定!

今回の話の出典となったジョンストンの本、教えていただいたところによると、長田先生と吉田新一郎さん、上越教育大学の迎勝彦先生の共訳で、翻訳が刊行予定とのことです。楽しみに待ちましょう!

そしてここにも吉田新一郎さんの名前が…(笑) 岩瀬直樹さんがブログの下記エントリで「吉田新一郎訳の本にはずれなし!」と書いてますが、本当にこの分野における吉田さんの功績はすごい…。

いわせんの仕事部屋「学習者中心の学び実践編の決定版」

http://iwasen.hatenablog.com/entry/2017/12/26/210441

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