まさかのお休みスタートの新学期。復帰週の「窓の詩」に元気をもらった。

1月7日に更新して以来、なんと20日ぶりの更新。というのも、新学期早々に、10年以上前に患っていたメニエール氏病を再発してしまい、お休みをいただいていました。発作をおこしてからの一週間は、ただ横になるだけ。文字を読んだりパソコンの画面を見たりすると気持ち悪くなる感じで、「ああ、昔もこうだった…」と、なにやらなつかしささえ覚えるほどでした。先週から、お休みをとりながら職場復帰して、ここ数日はようやく上り調子に。まだまだセーブ気味に働かないといけないけど、検査の結果も回復基調が明らかで、ブログもそろそろ復活させます。

トップ画像は、今月の「窓の詩」で投票1位だった立原道造「のちのおもひに」の一節。あとでも書くけど、この詩の「火山」とは浅間山のこと。この詩の奥に、雪を被った浅間山がそびえているのがめっちゃいい。

目次

自分でも好きな実践・「窓の詩」

復帰した先週は、「未来読書研究所」の田口幹人さんに授業にきていただいたり、「作家の時間」に見学の方がいらして色々とおしゃべりしたりと、それなりにイレギュラーな週。でも、いちばん「授業っていいな」と思えたのは、金曜日の「読書家の時間」にやった「窓の詩」選びの時間だった。いい機会なので、今日はこの実践について書いておきたい。

「窓の詩」は、教室の窓に詩を書く、言ってしまえばただそれだけの実践。まず、月に1回程度の頻度で候補の詩作品を一緒に読み、子どもたちの投票で上位数作品を決める(数には変動があるが、最近は候補が6作品、窓に書くのは3作品になりつつある)。上位の詩を僕が窓に書き、希望する子に、その詩に添えるイラストを描いてもらっている。

ちなみに、窓に詩を書く時はブラックボードポスカの白色ペンを、それにイラストを添える時はキットパスを使っている。

「窓の詩」が生まれた経緯

もともと「窓に文字を書く」発想は、地元の公立小学校勤務のS先生が、スイミーの授業で窓に海の中の絵を描いたお話を聞いて知ったもの。今年の受け持ちの子たちには、「文字を読むのは苦手だけど絵を描くのが好き」な子が複数いたので、それにヒントを得て、「僕が窓に詩を書いて、そういう子にイラストを描いてもらったら、詩について話すきっかけになるんじゃ…?」と思ってはじめたのが、去年の5月のことだ。最初は窓に書く詩は僕が決めていたのだが、7月にある子が「あすこま、窓に書く詩をみんなで決めたらいいんじゃない?」と言ってくれて、それ以降、僕が候補作品を出してみんなで読み、そこから投票で上位の作品を選ぶようになった。今年の風越で僕がやってきた試みの中でも、個人的にも好きな実践の一つだ。

自分と環境と子どもの調和

僕がこの実践を好きなのは、「自分と、風越の環境と、子どもたちの興味が調和している」ように感じられるからである。第一に、僕は詩が好きだ。もともと僕の大学時代の専門は近代詩で、今でも読んだり書いたりする。お正月のエントリでも書いたが(下記参照)、「自分という存在を授業の中でどう最大限に活かすか」を大事にして授業づくりをしたい僕にとって、詩は、大事な要素の一つなのだ。僕は一般的な小学校教師に比べると多くの詩を知っているし、なにより好きな詩を声に出して読んでいると、僕自身が幸せな気持ちになる。

「はじめに自分ありき」。自分にあった授業を模索したい、2024年のはじまり。

2024.01.07

また、風越の校舎。森があり、遠くに浅間山が見えるこの校舎の窓も、詩を書くのにふさわしい。景色と詩が、ときにすばらしい調和を見せるのだ。今月の投票1位に選ばれた立原道造「のちのおもひに」を、真冬の浅間山を背景に書いている時は、思わず胸がいっぱいになった。だって、あの詩の「火山」は浅間山のこと。夢が眠る真冬の時期に、「うららかに青い空には陽がてり/火山は眠っていた」のだから。

そして、第三の理由が、子どもたちも詩を聞くこの時間を楽しんでくれていること。話を聞くのがあまり得意でない子が多いのだけど、月に1回、詩をみんなで読む時間は、僕が詩を読む声を聞いている感触がある。声で楽しんでほしい詩もいっぱいあるので、一緒に声に出して読む時もあるのだけど、そんな時も楽しんで読んでくれる。そういう様子に、僕自身もとても嬉しい気持ちになる。選出された詩が決まるときも、「おおー、これやっぱり1位なんだ」という声や、「えー、私あの詩好きだったのに」と、落選した詩を支持する声もある。候補を選んだ時点で僕はどの詩も好きなので、自分の好きな詩に子どもたちが共感を寄せてくれているのが、とても嬉しい。自分の「好き」と、風越という環境と、子どもたちが調和しているように思える。

どんな詩が選ばれている?

候補作品を選ぶ時に気にしているのは、季節感と、候補の詩にバリエーションを持たせることだ。他にも、候補作品のうち少なくとも一つはクラシックな近代詩を、一つは海外の詩人の詩を入れている。最初は、その小学校5・6年の教科書に載っている詩も候補に入れていたのだけど、それが支持されることもなさそうなので、これはもう気にしないことにした。なお、大前提として、すべて僕が好きな詩であることは言うまでもない。

以下に、子どもたちが選んだ詩を掲げておく。見ると、意外にクラシックな近代詩がよく選ばれていること、海外の詩がここまで必ず選ばれていることが面白い。リルケ「秋」は、小学生にはさすがに難しいかなと思ったのだけど、雰囲気だけは何か伝わるらしくて投票1位になって僕も驚いた記憶がある。今月も1位は立原道造「のちのおもひに」である。彼が追分にゆかりのある詩人であることは話したけれど、詩の解説はほとんどしていない。それでも1位なのだ。いったいどういうわけかわからないが、変に子ども向けの詩ばかり選ばなくても良さそうである。

7月 谷川俊太郎「ネロ」 竹中郁「足取り」 クリスティナ・ロゼッティ「風」
有馬敲「せみ」
9月 長田弘「原っぱ」 阪田寛夫「そうだ村の村長さん」 ジャン・コクトー「耳」
10月 ライナー・マリア・リルケ「秋」 島崎藤村「はつ恋」 八木重吉「素朴な琴」
11月〜12月 チェーザレ・フライシュレン「心に太陽を持て」 中原中也「月夜の浜辺」 谷川俊太郎「ないないづくし」
2月 立原道造「のちのおもひに」 ナンシー・ウッド「今日は死ぬのにもってこいの日」 島田陽子「ハガキ」

詩は個人の好き嫌いがあるし、どちらかというと苦手な先生も多いのかもしれない。だから、別にこの実践をみんなに広めたいなんて気持ちは全くない。でも、僕自身、やっていて楽しいし、自分の「好き」をこういう形で活かせる実践ができたことは、ラッキーだったな。病気から復帰した週、この「窓の詩」に元気をもらって、また来週も授業ができそうな気持ちになっている。特に来週はイラストレーターを募集して詩に添えるイラストを描いてもらうのだけど、その時にまたちょっとだけ、その子と詩の話ができるのも楽しみだ。来週の国語の授業を楽しみに、また頑張りたいなと思う。

 

 

 

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