みとめる、みつける、たずねる、すすめる。カンファランスの4つの視点とは?

このブログにも何度か登場する「作家の時間」実践者・トミー(冨田明広さん)は、僕にとって自分の実践を映し出す鏡のような存在です。トミーと定期的に話をすることで、僕は自分の癖を認知し、その長所や短所も含めて少し客観的に考えることができます。先日も彼と話す中で、お互いのカンファランスの違いが話題になりました。
その話をもとにライティング・ワークショップ(作家の時間)におけるカンファランスの類型を図式化したので、今日のエントリはそれを報告します。

僕の源流は「教える」カンファランス

僕のカンファランスは、もともとナンシー・アトウェルやカール・アンダーソンの本の影響を受けています。彼らのカンファランスは、基本的には「教える」「導く」「促す」カンファランスです。例えばアトウェルは、子供の作品の良さを認めながらも、彼らができていないことを指摘することを恐れません。より効果的な表現の仕方、文法的な誤りなど事細かに言及していきます。アトウェルの真髄はまさにそのカンファランスの凄みにあるわけで、それについては下記エントリを参照してください。

アトウェルのライティング/リーディング・ワークショップの真髄は、カンファランスの凄み。

2017.12.30
正確に言えば、アトウェルのカンファランスは最初からそうだったわけではなく、「教えない」カンファランスから25年の間にそのように変化してきました。その変化については下記エントリを参照のこと。

[ITM初版]カンファランスのガイドライン、25年の変遷

2016.03.05

また、カール・アンダーソンは、カンファランスを「その子の現在地の情報を集める」「その子の目標を設定する」「その子が目標に達するまでの学習をデザインする」という図式によって説明しました。これも端的に言えば「できていないことを発見し、そこを伸ばす」カンファランスであるわけです。

名人教師からカンファランスのやり方を学ぶ

2015.04.04

カンファランスをめぐる試行錯誤

僕のカンファランスは、これらの実践者の影響下にあり、また僕自身の真面目な性格や文章表現に関する知識を持ち合わせていることもあって、同じく「教える」カンファランスになりがちという癖があります。別にそれ自体が悪いわけでもなく、時には強みでもあるのだけど、ただ、その癖が悪く出ると、まだレディネスが整っていない書き手に対しても「こうすると良い」という助言をしがち。そのことを「魚を木に登らせようとしているよう」という表現で指摘してくれたのが、元同僚(現MIMIGURI)のあっきー(木村彰宏さん)だったわけです。

得意なこと、苦手なこと、これからのこと...自分の授業スタイルについて振り返ってみた。

2023.02.14

彼とのやり取り以降、僕は「自分の教師としての強み/弱みは何か」をより明確に意識するようになり、その結果、自分の性格やカンファランスが生じさせる悪影響をなんとかしようと考えます。それで、一旦カンファランスを手放そうとしたのが2024年の春でした。

「しばらくカンファランスとその記録をやめてみる」宣言

2024.05.01

しかし、これはうまくいかなかった。子供の様子が全く把握できなくなって、僕自身も面白くなくなり、結果カンファランスを再開させた事は、このブログで書いてきました。言語で把握しなくても、子供の様子がなんとなく雰囲気でわかったり記憶できたりする人は、カンファランスをしなかったり、それを記録しなかったりしても良いのかもしれません。でも僕にはそういう特技はないし、無理にそうしようとしても、逆に自分の強みでもある言語能力を殺してしまうことにもなると気づいたわけ。

やっぱり書かないとダメだった。カンファランスとその記録、再開しました。

2024.09.29

トミーの「今を認める」カンファランス

一方のトミーもまた、僕と同じくカンファランスを大事にする人です。しかし、その意味合いは僕とだいぶ異なります。その理由の一つは、彼が昨年度まで数年にわたって特別支援学級で作家の時間を行っていたことにもあるのかもしれません。彼のカンファランスは、子供の個性を認め、受け入れるカンファランスです。「なるほど、こんなことが好きなんだ」「こんなことに興味あるんだ」と子どもの個性を楽しみ、驚くことに彼のカンファランスの重心はあり、書き手に足りない知識を補ったり、教えたりすることにはさほど関心はありません。少なくとも特別支援学級の在籍児童にとっては、それよりも存在をありのままに受け入れることが必要だ、そうすれば勝手に後から力はついてくるというのが彼の立場です。いわば、その子の「いま」を認めるカンファランスが、トミーのカンファランスであり、だからこそカンファランスが重要だと彼は考えています。

もちろん、僕は今、図式的に両者の違いを語っているのであり、僕も児童の作品を面白がることもあればそれでいいよと言うこともいっぱいあります。それはトミーも同じで、今年度は通常級の担任に戻った彼は、成長したいと言う子供たちの気持ちに感応して、成長することや頑張ることの価値をたくさん語るようになったそうです。なので、ここまで単純ではないことを前提にしつつも、僕とトミーのカンファランスの違いをもとに、作家の時間の教師がカンファランスで行うことを、図式化できないだろうかと考えました。

カンファランスのマトリックス

そうやってできたのがこの図「カンファランスのマトリックス」です。

縦軸は、カンファランスの主体が誰にあるかを示しています。上に行けば行くほど、教師の発話量が多くなり、会話の主導権を教師が握っていることを示します。逆に下の方では、子供が会話の主体となり、教師は会話の主導権を子供に委ねるか、あるいは質問する形で会話の方向を調整する、比較的緩やかな主導権の握り方をします。

横軸は、カンファランスにおける教師の姿勢を示しています。左に行けば行くほど受容的で、子供の現状を受け入れ、承認することに重きを置きます。逆に右に行くと、教師は子供を促し、成長させようとします。言い方を変えれば、現状を超えてほしいという願いを持って関わるわけです。

では、この2つの軸からなる4つの象限で、カンファランス中の教師の振る舞いを捉え直してみましょう。

「みとめる」カンファランス

左下は、「みとめる」カンファランスです。教師は発話の多くを子供に委ね、子供の発言や子供の作品の現状を受け入れ、その良さを味わうことに集中します。子供は自分の好きなことや考えや表現が他者に受け入れられる安心感を持つことができるでしょう。おそらくは子供に限らず、多くの書き手にとって必要なのは、まずはこのフェーズなのかもしれません。トミーが特別支援学級で行っていたカンファランスも、このカンファランスが多かったはずです。

「みつける」カンファランス

左上のゾーンは「みつける」カンファランスです。子供の現状の良さを指摘する点では「みとめる」カンファランスと同じですが、ここでは子供ではなく、教師が会話の主導権を握っている点で異なります。例えば、自分の取り組みの良さや表現の良さについて、子供が自分で気づき、語れることは実はそう多くありません。子供が自覚せずにやっていること、意識しないで成し遂げている表現の面白さを見つけ、それを子供に伝えるのが、このカンファランスです。このカンファランスをするには、教師の側に書くプロセスや文章表現についての知識が必要になってきます。実は僕がある程度得意にしているというか、意識してやっているのがこの「見つける」カンファランスで、子供が自覚していない子供の文章の良さを指摘する自信はまあまああります。

「たずねる」カンファランス

次は右側のゾーンに移りましょう。右下のゾーンは「たずねる」カンファランス。ここでは教師は、子供に問いかけながら、彼ら自身が次にどんな作品を書きたいのか、どんな方向に自分の力を伸ばしたいのかを明確にし、そこに至る手伝いをします。これはコーチングそのものではないにせよ、「コーチング的な関わり」と言えるかもしれません。「あなたはここに行きなさい」と言うのではなく、あくまで「あなたはどこに行きたいの」と、ゴールを子供に設定してもらうのが、右下のゾーンの特徴です。

そうはいっても、ここで容認される子どもの目標は、やはりその教科や学校教育の設定する枠内に制限されます。その意味で最終的な主導権を握っているのは教師や学校制度であり、子どもではないので、その点で、クライアントが主導権を握るコーチングとは違うと言わざるを得ません

「すすめる」カンファランス

最後の右上のゾーンが「すすめる」カンファランスです。この「すすめる」とは、子供に推薦する意味の「勧める」でもあり、子供を書き手として、特定の方向に「進める」意味でもあります。ここでは、教師は、子供の現状と課題を把握し、子供の進むべきゴールや次のステップを考え、それを提案します。それは時に子供自身のニーズとは異なることもあるでしょう。しかしそれでも自分の専門知に基づき、信念を持って子供に「勧め」、それによって彼らを書き手として、次のステップに「進める」のです。これをするには、やはり、子供の読み書きの力を看取り、彼らに必要なステップを設定する読み書きの知識が助けとなるでしょう。冒頭に書いたカール・アンダーソンのカンファランスは、典型的な「すすめる」カンファランスと言えそうです。ちなみに僕はと言えば、実はこの「すすめる」カンファランスは、ブログに書くほどには風越では実際にはあまりしていません。たとえば「ダメ出し」は代表的な「すすめる」カンファランスですが、それをするには、される生徒の側にも意欲と能力が必要なのです(下記エントリ参照)。僕が受け持つ56年生は、まだそういう段階ではない子のほうが圧倒的に多いのが正直なところです。

どんな場合なら効果的?作文教育における「ダメ出し」について考える

2025.01.11

4つの視点でカンファランスを点検する

さて、カンファランスの4つの類型「みとめる」「みつける」「たずる」「すすめる」を意識することで、カンファランスについての見通しをスッキリ整理できるのではないか、というのが僕の考えです。

まず、教師には誰にでも、やりがちなカンファランスの傾向があるはずです。例えば、中高国語科教員の経験が長い僕は、その専門知識を活かしやすい「みつける」「すすめる」カンファランスを理想としがちです。同様に、おそらくトミーは「みとめる」「たずねる」カンファランスが多いかもしれません。このマトリックスは、こんなふうに、自己のカンファランスのスタイルを確認して、自分にできていないことにも目を向けるきっかけになります。

そして、理想的には、この4つの全てを使いこなす事が良いのだと思います。というのも、この4つのカンファランスのどれが相手にぴたっとはまるかは、書き手としての相手のタイプによるからです。

その時、こんな書き手であればこういうルートが良さそう、という一般的指針はあるかもしれません。例えば、自信のない傷つきやすい初心者の書き手に、いきなり「すすめる」カンファランスをする人はいないでしょう。まずは「みとめる」から入り、「みつける」や「たずねる」を経て、「すすめる」に至るのが、相手にとって受けいれやすそうです。

そして、あえて言えば、「みとめる→みつける→たずねる→すすめる」が、カンファランスの一番オーソドックスな道すじかもしれません。相手の話を聞くところからその良さを認め、本人も気づかない良さを指摘して、その後本人がどうしたいかを確認し、さらに足りないところや進むべき道を示す、というわけ。

しかし、誰もがこういうルートをたどるわけではないでしょう。同じ相手でも、今は「みつける」が良くて、もう少し経ったら「たずねる」ことが良いとか、逆に「すすめる」カンファランスがOKな子だけど、ちょっとそれが続いているから「みとめる」「みつける」を意識しよう、ということももちろんあるはず。ルートに拘泥しては、本末転倒です。

そんなふうに、どのカンファランスをするかは、相手の状態や自分と相手の関係性によって変わっていきます。また、この図は主に「言語によるカンファランス」を念頭においていますが、現実的には「非言語の関わり」もあるでしょう。ですので、これで全てが網羅できるわけではありません。

でも、カンファランスの4つの視点を意識して、自分自身の癖や、自分と相手との関わりを見直すことで、カンファランスを通して子どもが書く営みをより豊かな体験にできるのではないか。そんな気がするので、僕はしばらく、この視点を意識して自分のカンファランスを見直してみようと思っています。

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2 件のコメント

  • 僕たちの対立(もちろん生産的な)を4象限に構造化してくださって、ありがとうございます。カンファランスがより、高い視点で客観視できるツールですね。最後に出てくる矢印も、教師と子どもの関係が進むに伴って、カンファランスにも変化が現れることに、そのとおりと膝を打って納得しています。

    『読書家の時間』や『社会科ワークショップ』を読み直しても、カンファランスの入りは「みとめる」から入っていますね。まずは教師と子どもの関係性においても土台を固めて、土台に立ちそうな指導・支援の柱を選んでいるのだと思います。カンファランス中の思考の流れに目を向けても、4象限の中でコンパスのように方向性が変化しているのだと思います。

    ブログ中にある通り、子どもたちの置かれている環境や子どもの主体性に、教師は無意識的に大きく影響を受けているのだと思います。特別支援学級では、認めるがうまくいかないと、教室を抜け出してしまう子どももいるので、言いたいことを調整して相手の心を整えるよな言葉を使うように、身体感覚が研ぎ澄まされていますし、反対に、4月の6年生の期待に燃える眼差しを見ていると、「君ならこんなこともできる!」と発破をかけてしまいます。ふたつとも、その時の子どもの状態を教師の肌感覚で捉えてカンファランスをしているので、まずはアセスメントということはどの象限のカンファランスにおいても、必要なことなのだと思いました。

    ただ、肌感覚に任せて行なっていると、僕のように、「みとめる」から次の段階へ敢えて踏み出すことを忘れてしまうこともあると思います。子どもの成長を展望しながら、「すすめる」に向けて次の段階へ進む機会を伺うことが僕にとっては必要な感覚だと思いました。

    ありがとうございました。

  • トミー、ありがとう。まずは子どもの現状のアセスメントから、というのはその通りですね。ワークショップ形式は、子どもたちの自由裁量が大きいので動きの違いが目につきやすく、アセスメントしやすいのも良いところですね。

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