軽井沢風越学園では、来週から本格的に授業が始まる。僕の授業は、下記エントリで書いた通り先学期末に「作家の時間」出版に失敗してしまったので、出版から始まる予定だ。今回は、それを目前に先学期のこの作家の時間のふりかえりを書く。
目次
「子どもを自由にする制約」へのチャレンジ
ここ一年以上、僕は毎回ではないが、「ジャンル」ではなく「テーマ」という形で子どもに制約をかけることを試みている。それは、ジャンルという形で制約をかけると(例えば「今回は意見文ね」とすると)どうしてもモチベーションが下がる子が多いからだ。そうではなく、どんなテーマであれば「子どもを自由にする制約」になるのか。それを試行錯誤している。
このテーマの条件としては、次の2つの点を考えている。ただ、両方にぴったりくる制約はなかなか難しい。
- 物語でも説明文でも意見文でもエッセイでも、どのジャンルでも書けそうか
- 書く力がある子でもそうでない子でも、自分なりのチャレンジを設定できそうか
今回のテーマは「視点を変える」
そんななかで、今回のテーマ「視点を変える」は良い制約だった。やっている途中から、子どもの様子を見て手応えを感じた。第一に、多くの子には「知っている物語の視点を変える」「動物や虫の視点で書いてみる」というハードルの低さがあったのだ。ミニレッスンで絵本の『三びきのコブタのほんとうの話』を使った直後には、「浦島太郎では…」「桃太郎では…」と躍動して喋り出す姿や昔話の本を手にとる姿があった。
また、一人称の語りと三人称の語りについて教えることもできた。視点が切り替わるだけで物語の印象はグッと変わる。このレッスンには、絵本の『空からのぞいた桃太郎』(三人称視点)と『桃太郎が語る桃太郎』(一人称視点)を使った。
さらに、一つの物語の中で焦点化人物(語り手が焦点を当てる人物)が切り替わるタイプの物語も扱えた。今回は光村の小学校6年の教科書にある森絵都「帰り道」(『あしたのことば』所収)を使った。
ショートショートに続いて今回も「書き出し選手権」(魅力的な書き出しの投票)をしたのだけど、書き出しのミニレッスンで使った森絵都『クラスメイツ』も、焦点化人物が切り替わる話だ。
色々なレベルでチャレンジできる課題
こういうミニレッスンの反応や途中の様子からもある程度の手応えはあったのだけど、提出された作品を読んでみて、その手応えは強くなった。
このテーマ、多くの子は、桃太郎や三匹の子豚や浦島太郎などの「有名なお話を、『〜〜から見た◯◯』と視点を変えてリライトする」形をとる。これはまず子どもたちにとって楽しかったようだ。一番人気だったのは桃太郎で、「鬼視点」「鬼の子ども視点」や「桃太郎の一人称語り」はもちろん、意外な「桃視点」「きびだんご視点」まで多様な作品が生まれて、その比較読みも面白かった。2人で相談しながら桃太郎のパロディのストーリーを考え、一人がその鬼視点を、もう一人が桃太郎視点を担当する「共作」も素敵だった。また、これなら書くのが苦手な子も取り組みやすくて、もとのお話を再度読みながら、その表現を少し変えるだけで作品を作ることもできた(僕の授業では、真似はおおいに奨励されている)。
森絵都「帰り道」の構成を真似て、2人の登場人物の思いを、それぞれの視点で描く作品も書かれた。双子の姉妹、仲良しの友達など、人間関係の感情ののすれ違い(Aさんから見たらこうだったけど、実はBさんはこう思っていたetc)を書く。この構成の作品をとるのは女子が圧倒的に多く、この年齢の男女の社会性の差なのかもしれない。
もともと書く力がある程度育っている子も、このテーマにそれぞれのチャレンジを見出していたと思う。芥川龍之介の「藪の中」のような「複数の目撃者がいるミステリ」を書こうとした子、ちょっと安房直子を連想させる美しくも不気味で喪失感のあるファンタジーを書く子、途中から登場人物が「作者」の存在を意識して自分の自由意志を疑いだすという、メタな作品も生まれた。うまくいった子も、そうでない子もいたが、結果はどうでも良いことだ。自分なりのチャレンジを設定できたことが大きい。
こんなふうに、書く力が高い子にもそうでない子にも、それぞれのレベルでの挑戦があった。それはきっと、良いテーマだったんだろうと思う。
今回の出版はもう5回目。テーマとは関係のないところでも、それぞれの成長や頑張りが伺える作品が多くて、読んでいてつい嬉しくなってしまう。僕は彼らの全作品へのコメントを全てスプレッドシートに管理しているのだけど、時系列に沿って彼らへのコメントを読み返すだけでも、一人ひとりの成長が見てとれる。一つの戦艦シリーズを僕の授業の2年間ずっと書き続けている子がいて、2年間の最初の作品と比べたら比べ物にならない分量の多さと記述の細やかさ。好きなことを書き続ける力を感じた。
次回以降に活かしたいこと
とまあ、今回はけっこう手応えのあるテーマだったのだけど、反省というか、「もっとこうできたら…」と思うこともある。それについて忘れずに書いておこう。
他のジャンルへの挑戦をうながしたい
このテーマ制、どのジャンルでも書けるようなしつらえにはしているけど、実際はみんな物語を書いてくる。それをどう考えればいいだろうか。
前提として、僕は「ジャンル・アプローチ」の人ではない。つまり「物語」「エッセイ」「意見文」などのジャンル別の書き方を教えることが書くことを教えることだとは思っていない。それよりも、自分のモデルとなる作品の良さを見つけて、その良さを自分に取り入れるプロセスを身につければ、卒業後にどんなジャンルに出会っても対応できるだろうと思っている。そっちに力を入れたい。
あと、もともと人間の世界認識の基本はナラティブなのだから、子どもたちが物語を書きたいなら、基本はそれでかまわない、という思いも強い。説明文や意見文を書くときは必然的に読者の視点を意識した書き方になるが、そういうメタな視点を持つことは、小学生にはなかなか難しいはずだ、というのもある。
でも中には、物語を書くのが難しくて、「好きな文章のアンソロジーでもいいんだよ」「日記でもいいんだよ」と言っても、なかなかそれに踏み出せない子もいる(そりゃあ、周囲のみんなが物語を書いていたらそうだろう)。そういう、物語を書くことに難しさを感じている子が、気軽に別ジャンルを選択できるようにしたい。また、別にそういう子だけではなく、いろいろなジャンルに挑戦すること自体は良いことだと思うから、それをどうしたら強制ではない形で誘えるのかな、というのが課題の一つ。
その一つの対応として、次の作品集では、「特集コーナー」を募集しようかと思っている。雑誌に特集記事があるように、作品集にも特集記事コーナーを作る。例えば「この際だから言わせてほしい!」という特集記事への原稿を公募する形だ。そうすればその特集に寄稿する子は自然と意見文を書くことになる。そんな感じで一回やってみよう。
振り返りを充実させたい
いま、一番切実に思っているのはこれ。僕は、作品の出来不出来は本当にどうでもいいと思っている。もともと書くのは大変なことだし、書く力に差があるのだって、その子の個性や幼少期からの言語環境にも差があるのだから当然のことだ。
もっと大事なのは、読み手や書き手としての自分を作っていくこと。書くことで言えば、自分はどんな書き手で、どんな文章が好きで、どんな方向に向かって行きたいのか。小学5・6年生は、そういう自己認知をしながらどの子にも成長の手応えを掴んでほしい。そう思って、毎回の作品の終わりに振り返りを書いてもらっている。ふりかえりの項目はこんな感じだ。
- 今回の満足度(5段階)とその理由を書いてください。
- あなたは、今回のユニット「視点を変える」で、書き手として主にどんなことにチャレンジしましたか。自分が挑戦し、そこから学んだことを書いてください。それ以外にも、頑張ったところ、工夫したところがあれば、できるだけたくさん書きましょう。
- あなたが今回のユニットで作品をつくるにあたって、意図的に真似をした作品や、ふりかえってみると影響を受けたと思われる作品はなんですか。どんなところを真似したり、影響をうけたりしましたか。
- 今回の作品の書き始めから完成するまでの日々を振り返ってみましょう。そのなかで一つのエピソード(できごと)をとりあげて、そこからあなたが学んだこと/これから学べることを書いてください。
- いまのあなたは、自分のことをどんな書き手だと思っていますか。強み、弱み、最近になって成長してきた点、これから成長したい点など、なんでもかまいません。「書き手としての自分」について、できるだけたくさん書きましょう。
このふりかえりを、作品とともに提出してもらっている。以前は「うまくいかなかったところや助言が欲しいところ」という欄もあったのだけど、今年の途中からそれはなくした。助言が欲しいところが具体的にわかる時点で相当書く力があるということだし、うまくいかないところよりも自分の強みに目を向けて欲しいからだ。
このふりかえりを、もっと充実させたい。今の所、書ける子はそれこそ5行も6行も書いてくるのだけど、そうでない子は、作品を仕上げることだけで精一杯なのだろう、ふりかえりは1・2行で終わってしまう。このふりかえりで求めていることが、高度すぎるのかもしれない。自分をメタに見て文章で書くこと自体、とても難しいことだから。無理なことをやらせているのだろうか、とも時々は思う。
でも、作品の質なんかより、そのプロセスの中にその子固有の学びがあるのだ。そこに光を当てたい。それをサポートする目的も兼ねて、作家の時間の最後にAuthor’s Talk(「作家の椅子」としても知られる共有の形式)をやっているのだけど、サポートはまだ足りてない。ひとまず三学期は、作品提出と同時にふりかえりを出すのではなく、ふりかえりを書く時間を1コマ取ろうと思っている。でも、それだとしても、書けない子は厳しいのではないかなと感じている。日々の小さなふりかえりを書かせるのも、ちょっと時間的にも厳しそうだ。どうしたらいいだろう。まだ答えはない。
「ダメ出し」をする機会もどこかで作りたい
今の僕は基本的にダメ出し(添削)をしない。ダメ出しとは、それを受ける側に受ける能力と意欲がないと本当に言っても意味がないからだ。ダメ出しの効果が限定的なことは、ずっと前の下記エントリで詳しく書いてある。
しかし、と言いつつも、実は去年まではどの子にも一つだけ改善点の指摘をしていた。それは、自分なりにその子の力を見定めて言ったつもりなのだけど、それが次に反映される打率の低さに、やめてしまった。句読点を適切に打てない子は、いくら直されても、適切に打てないままだった。つまり簡単に言えば、自分に一人ひとりの子の力と意欲の限界を見定める力量がなくて諦めたのだ。
だから、僕のコメントも基本的に「宝探し」のつもりで良いところばかり書く。自信がない子が、自分では気づかない自分の作品の美点や、できていることに、ちゃんと気づけるように。前回の出版からは、全員の前でそのコメントを音読して手渡すことにもした。あなたの文章には価値があるよ、ということを、全員の前で伝えたいから。
ただ、ごく最近「やっぱり一部の子にはダメ出ししてもいいかも」ということがあった。自分の中2の息子が、あるコンクールに出すレポートの文章を、提出前日に「読んでくれ」と言ってきたのだ。彼がそう言ってくるのは初めてのことで、「これはダメ出しを受け入れて改善する気があるな。この子にはきっとその能力もある」と判断したので、僕もわりとためらわずにダメ出しをした。簡単に言えば、「全体が一本のストーリーになっていない」とか「なぜこの順番で、なぜこう言えるのか、その『なぜ』に全部理由を持て」とか、「最初の『要旨』が要旨ではなく、映画の予告編のようになっている」とか、そういうことだ。
彼はこのダメ出しを、珍しく神妙に受け止めて、その夜から翌日の提出時刻ギリギリまで、本当に頑張って書き直していた。そして最終的に書き上げた文章は、材料は変わらないのに、見違えるほど良くなっていた。今回は彼にとっても学びになっただろう。
こういうことがあると、やはり、本人にその意欲と能力がある時のダメ出しの効果を感じてしまう。どういうふうにしてダメ出しの機会を設定するといいだろう。最低限、本人がそれを望んでいることが絶対条件だ。「こういう点で助言が欲しいところがあれば書いてください。なければ空白でいいです」という書き込み欄を、提出用紙につけるといいのかな。これももうちょっと考えたい。
とまあ、子どもたちの作品を読んでいると、いろいろな思いが湧きあがってくる。これを糧にして、三学期の「作家の時間」のことを考えていこう。授業時数が少ないから、それが一番の問題なんだよなあ…。でも、頑張ろう。三学期の授業も楽しみだ!