今年も行ってきました、高校生直木賞の本選考会! 昨年に引き続き、今年の本校メンバーもやる気十分。12人の生徒が選考に参加し、本選考会も、代表生徒のほかに6名の生徒が傍聴参加しました。簡単にレポートします。
目次
「書くことは筋トレ」! 須賀しのぶさんの講演会
今年は午前中に第4回受賞作品「また、桜の国で」の著者である須賀しのぶさんの講演会もセッティングされる豪華版。去年の代表生徒も参加できて喜んでたので、これは実行委員会のみなさんの配慮に感謝!
講演会は、高校生直木賞を受賞した時の気持ちから、ご自身の作家としての経歴を振り返りつつ、書くことにどう向き合っているかというお話、どうやらとてもディープに好きそうな野球観戦の話、そして生徒たちからの質問への応答と、とても充実したもの。うちの生徒たちも何人か手を挙げて質問してた。
講演で一番印象的だったのは、「書くことは筋トレ」という一言。大量に書き続けているとスランプが来た時に効く、スランプの時も筋肉は裏切らない。そんな言葉に、やっぱりブログにしろ、ライティング・ワークショップでの自分の作品にしろ、書き続けないといけないなあ…と改めて思った。
また、須賀さんがこの講演会の中でお勧めしていた本も興味深い。須賀さんが高校生の時に読んで世界が広がったという「第三帝国の興亡」(むっちゃ分量多そうなんですけど…)、そしてSFのお勧めを聞かれた時にこれはすごいとお勧めしていた「ゲームの王国」、どちらも読んでみたい。
午後の選考会、受賞したのは彩瀬まる「くちなし」
須賀さんの講演会&その後のサイン会(僕もサインしてもらいました)を経て、午後はいよいよ第5回高校生直木賞の本選考会。ここまでの予選会で残った佐藤正午「月の満ち欠け」、宮内悠介「あとは野となれ大和撫子」、門井慶喜「銀河鉄道の父」、彩瀬まる「くちなし」、澤田瞳子「火定」の5作品から、議論と投票を経て受賞作品が決まることになる。
もう報道されているので結果を先に書くと、今年の高校生直木賞を受賞したのは彩瀬まる「くちなし」。
で、実はこの作品、各学校での予選会での評価を点数化した事前ランキングでも、15.5点とトップ評価だったのだ。2位の「火定」は3点離されての12.5点。他の3作品は11.0〜11.5点だった。では、予選の結果通り圧勝ムードだったのかというと、決してそんなことはなかったのである。以下、僕の感じたまま書いてみよう。
最初はやや低調に思えたけれど…
この本選考会、予選の得点が低い順番に議論が進んでいく仕組みになっている。ちなみに、同点で一番低かったのが、「月の満ち欠け」と「銀河鉄道の父」という本家直木賞受賞作品だったのが面白い。「月の満ち欠け」、僕は好きなんだけど…。
で、その選考の仕組みのせいなのかどうかわからないけれど、正直なところ、最初はやや議論が物足りなく感じた。というのも、点数が低いことが影響しているのか、どうしてもマイナス点の指摘が多く、中には「共感できない」とか「ご都合主義の設定」とか「カタカナの人名が読みにくい」みたいな指摘も多く混じっていたからだ。うん、これは高校生の素直な感想なのだとは思う。でもさ、例えば「銀河鉄道の父」に対して、「父の視点から描かれているから自分には共感できない」だと、それは作品の批評ではないんじゃないかなあ…と正直に思った。父の視点から描くことがこの作品の中でどう機能しているのか、作者がやりたかっただろうことは成功しているのかどうか…という視点で見る方が、作品の魅力を引き出せるんじゃないかなあ…と思いながら聞いていた。
もちろん、なかには「月の満ち欠け」に対して「ラノベでありがちな輪廻転生もの」、「銀河鉄道の父」に対して「ラノベっぽい文章の書き方だと思う」という、これは大人だと出て来にくいなあという感想もあり、それはそれで面白く聞いていたのだけど、全体としては、僕はやや物足りなさを覚えていた。
後半の議論を経て…
ところが、そうした議論の質が、やはり得点の高い(つまり、集まっている生徒の思い入れの強い)後半の「火定」「くちなし」を議論することで変わってきたように感じた。「火定」について「死の描写が生々しくて、高校生全般にお勧めできる本ではないが、こういう本こそ推すべき」という意見や、「くちなし」について「この作品を、共感するかどうかという点で判断するのは違うと思う」と言う生徒も出てきて、全体として、「共感できる/できない」を超えた議論に発展していたので、聞いていて楽しくなった。
で、面白いのが、そういう議論を経ることで、前半の三作品にも新たに脚光が当たること。今回の場合、「くちなし」の魅力が浮き彫りになることで、それとは作風の異なる「あとは野となれ大和撫子」について、そのライトノベル的なキャラクター群像が織りなす魅力が改めてクローズアップされ、高校生直木賞にはむしろこちらの方がふさわしいのではないか、という論陣が張られる局面があった。
一瞬、動いた空気
そして、空気が動いた。5作品から候補作が絞られる途中の投票で、「くちなし」9票、「火定」9票、「あとは野となれ大和撫子」7票と、3作品がほぼ互角の接戦になる場面があったのである。
でも、この日の選考会の個人的なハイライトは、「あとは野となれ大和撫子」が7票を獲得して、場内に軽い驚きの声が走ったあの瞬間だったと思う。他の作品を議論することで、すでに話し終えた作品の魅力にも改めて光が当たり、票を伸ばす。複数の作品を同時に論じることの魅力ってこういうところにあるんだなと思わされた。
「高校生直木賞とは?」をめぐる3時間半
そして、去年の高校生直木賞でも思ったことだけれど、この賞の面白いところは、選考が事実上、「高校生直木賞とはどんな作品に対して与えられる賞なのか?」を議論する過程でもある、ということだ。
実行委員会側はこの件に関して(おそらく意識的に)何も表明していないし、まだ歴史が浅く「高校生直木賞とはこういうもの」という共通認識がないこともプラスになっている。「高校生が選ぶ、一番素晴らしい本を選ぶ賞」なのか、「読むのが好きではない高校生も好きになれそうな本を選ぶ賞」なのか「高校生が普通は手に取らないような、でも、だからこそお勧めしたい本を選ぶ賞」なのか、この賞にかける思いが人それぞれ微妙に違うのだ。統一見解を作るのは、おそらく無理だろう。
結果として、今回は、好き嫌いが分かれそうな、読み手を選ぶ本が選ばれた。でも、そこに集うメンバー次第では、数票差でまるで違う結果を生むことも十分にありえる。今回だって、途中段階では「くちなし」「火定」「あとは野となれ大和撫子」がほぼ互角で、一票違っていたら結果は変わっていたのだから。
本について語るときに考えていること
「私たちは、何をするためにここに集まっているのか?」「私たちは何をしたいのか?」高校生直木賞の核となっているのは、結局のところその問いである。全国から集まる高校生たちは、本について語ることを通して、自分たちについて考え、そして自分達が何者であるかを選択する。
そういう討論と選択を経るからこそ、事後の交流会では、彼らは一気に距離を縮めてくだけた雰囲気になって会話を楽しむのだと思う。そして、何人かは翌年のスタッフや観客としても参加する。去年、読みがキラリと光っていた女子高生は大学生スタッフとして須賀しのぶさんに花束を渡し、某高級スーパーマーケットと同じ名前で自分を印象付けた論客の彼は、先輩として後輩の活躍を見守っていた。卒業生の中には、「大学生芥川賞」という賞を自分達で作った人たちもいて、驚いた。
大学生芥川賞
https://ameblo.jp/daigakuakutagawa
今後も参加校が増えて欲しい
高校生直木賞の元ネタであるフランスの高校生ゴングール賞のことを、辻由美さんの「読書教育」で知ったとき、「パクリでもなんでもいいから日本でもこれが欲しい」と思ったことを覚えている。
もちろん1参加校の引率者としては、参加校が増えるのは、痛し痒しのところはある。今のところ、司会の方の巧みな差配でなんとかなっているけど、20校を超えて議論するのは、根本的に無理もあるのだ。今回の25校以上の参加となると、全部参加するのは難しく、未経験校を優先するような措置を取らざるを得ないかもしれない。
でも、東京の学校だったら、「東京予選会」みたいな形での参加も可能だろうし、有志の読書会だって、やろうと思えば作りやすい。だから、高校生直木賞の認知度が今後も上がって、まだ未経験の、地方の高校の生徒さんたちにも、高校生直木賞に参加するチャンスが行き渡って欲しいと思う。これ、本好きの子達には、きっと楽しい経験のはずだから。