前回のエントリで書いた通り、この夏、山関係の本を読んでいる。特に多いのは遭難の本。僕を知らない人のために誤解を招かないように書くと、僕は岩登りや沢登りはもちろん、危険度の高い登山はしない「読書系インドア派ハイカー」だ。「山登り」より「山歩き」「ハイキング」という呼称がぴったりの登山ばかりの僕が、なぜ遭難の本を読んでいるのか、そしてそこからどんなことを考えているのか。国語に関係ないこの夏の雑記エントリその2として、ちょっと書いておきたい。
目次
きっかけは読書と乗鞍岳登山研修
僕がいま遭難に興味を持っているのは、(こういう言い方が適切かどうかは別にして)遭難ドキュメントの名手・羽根田治さんの羽根田治『ドキュメント気象遭難』の影響である。雪崩、突風、落雷、低体温症、凍死、暴風雪など、気候の変化による遭難死亡事故の事例が多数あり、読みものとしてとても興味深いのだ。そして、この本を読んだタイミングが良かった。というのも、この翌日、長野県総合教育センター主催の乗鞍岳登山の研修があって、その前日に宿で読んだ本だったのだ。
翌日の乗鞍岳研修は、あいにくの曇天。雨は降らなかったが、登山口から気温は8℃。ガスっていて展望がなく、特に山頂付近は、講師の方が「15メートルはあるかも」という強風で、ちょっと気を緩めると体が煽られるくらいの強さだった。山登りとしてはあまり楽しくないが、逆に研修としてはちょうどいい。雨といい風といい、もっと天候の悪いケースが山ではいくらでもありえる。「もし引率中に風越の子が低体温症になったらどうするか」「いや、そもそもこの天候を予想して登山中止の判断をするにはどうしたらいいのか」などを念頭に、登山引率者として必要な持ち物や心構えについて、講師の長野県山岳総合センターの方に質問しながらの下山となった。
興味深い世界だなあ…山の「リスク管理」
その日から、羽根田さんの著作をはじめ、山の遭難やリスク管理に関する本を何冊か読んでいる。山のリスクの話の興味深い点は、「何がリスクなのか、知識のない人には見えない」ことだ。例えば、これまで僕は全く現実的には考えてこなかったが、一人でひとけの少ない低山に入り、急にそこで心臓発作を起こしたら、それでほぼアウトだ。それ以外にも、道迷い遭難、ハチやクマの襲撃、落石、滑落、テントの盗難…。山のリスクは無限にある。浅間山同様の活火山である御嶽山噴火の本を読めば、噴火警戒レベルが1だからといって、突然の水蒸気爆発は予知が難しく、完全に大丈夫なことなどないこともわかる。なるほど、これだけのリスクに自分は囲まれていたのか、と、改めて自覚した。
そして、もう一つ大事なのは、「リスクは外側にあるわけではない」こと。同じ道でも、そこを歩き慣れた人や地形が読める人とそうでない人で比較した時に迷いやすさがまるで違うように、ある人にとって高いリスクであることが、別の人にとってそうでないことが普通である。同じ人の中でも、その日の体調や落ち着きによってもリスクの度合いは異なってくる。つまり、リスクは、その日の登山者と外の世界の関係性のなかで、高くもなったり低くもなったりするものである。
となると「リスク管理」とは言うけれど、リスクが完璧に「管理」「コントロール」できるはずもない。それができるというのはただの危険な思い上がりだ。僕たちにできるのは、リスクを知ってそれに準備することだけ。具体的に必要なのは、まずは自分の状態を知ること、そして外の世界を(知識を持って)適切に見ることである。
その中でリスクを考量するのだが、この時、考える対象はリスクだけではない。リスクに対処するのが目的ならそもそも山に登らなければいい話で、山に登るにはその人なりの楽しみ(目的)があるからだ。例えば、グループ登山に比べて単独行(一人で登山すること)は圧倒的にリスクが高い。でも、僕は、よほど気心の知れた人でないと誰かと一緒に山には登れない。もともと、一人になって歩いたり、たどり着いた先で読書をしたりするのが、僕の山登りの楽しみだからだ。だから、単独行がいくらリスクが高くても、それは仕方がない、とわりきる部分も必要になってくる。それを前提として、どんなリスクがあるのかを具体的にイメージして、それに対応できる準備をしていくしかない。そう考えると、ひとくちに「山のリスク管理」と言っても、とても複雑で、興味深い世界だ。
リスクに対して準備する
山登りのリスクに対応できる「準備」とは、大きく分けて2つある。一つめの「準備」とは、まずは「持ち物」「道具」のことである。例えば熊スプレー、救急セット、避難用簡易テント。登山では「荷物の重さは不安の多さ」とも言われるし、荷物が多いと実際に疲れるので、最近はUL系(ウルトラライト系)と呼ばれる軽量化登山がさかんだけど、少なくとも「何がリスクか」をイメージしきれない素人の僕がUL系に走るのはまだまだ危険。まずは、過剰に思えても必要な持ち物を検討して、それをちゃんと持っていこうと思う。まあ、荷物が重くなるぶんは、本当は自分の体重を減らせばいいんだよね、論理的には…。
もう一つ、「準備」として必要なのは「自分の体力・知識・技術」だ。体力の有無はもちろん、天気図から今後の天気の動きを読む、地形図を読む、山で怪我をした場合の応急処置をする…などの知識があるかないかでも、リスクの度合いはかなり異なってくる。僕の場合、ここが圧倒的に不足している。本を読んだだけだと実践的知識は身に付かないので、どうしようと考えた結果、実はこの夏、地元の山岳会に参加することに決めた。山岳会は、要は山登りのサークルだが、全国的な組織の山岳会は、ちゃんと山登りの知識や経験が豊富な人から学ぶことができる。グループ山行が苦手な僕も、山の知識を得るためとここはわりきって参加することに。実際の活動はこれからだけど、ベテランの先達から勉強したいと思っている。
こうやって、「道具」と「自分(の体力・知識・技量)」の相談をしつつ、リスクへの準備を高めていけたらいいな。
引率登山では…どうする??
僕個人の山登りについては当面この方針でいくとして、考えてしまうのは「引率登山」(ここでは風越学園のアドベンチャープログラムでの登山)でのリスクだ。風越には特徴的な「アドベンチャー・プログラム」があり、「登山」「ロッククライミング」「沢登り」「トレイルハイク」などの挑戦的なプログラムの中から子どもが選択して、一年間合計3回、同じプログラム&メンバーで継続実施するもの。僕もこのプログラムで「登山」を担当しており、それなりに思い入れも持つようになって、以下の2回、ブログでも書いている。
ただ、今回、山のリスク読書の中の1冊として溝手康史『登山者のための法律入門』を読んで、考えてしまった。本書はタイトル通り、登山に関する様々な事案・トラブルを法律の観点から解説してくれている本で、登山をするならぜひ読んでほしい一冊だ。
そしてこの本でも、学校をはじめとした引率登山の事例が扱われている。学校登山で心配なのは、なんといっても大きな事故が発生したときだろう。実際、古くは『聖職の碑』として小説化された1913年の木曽駒ヶ岳の高等小学校修学旅行大量遭難(11名死亡)や、1967年の高校生の西穂高岳落雷遭難(11名)、そしてまだ記憶に新しい2014年の高校山岳部雪崩遭難事故(8名が死亡)など、学校登山では多数の遭難事故が発生している。
学校登山で遭難事故が起きたときの法的ポイントを本書から簡単にまとめると、以下のようになる。
- 山岳事故に関する法的な責任には、民事責任と刑事責任がある。通常、民事責任では損害賠償責任、刑事責任では業務上過失致死致傷罪が問われる。
- 学校登山では、引率する教師に児童・生徒の安全を確保する注意義務があり、遭難にあった場合には、引率教師の注意義務違反が問われ、刑事・民事の責任を負う可能性がある。
- 公立学校教師の場合は、国家賠償法により、教師を雇用する自治体が損害賠償責任を負う。
- 私立学校教師の場合は、教師と学校法人が共同で損害賠償責任を負う。
なるほど、風越学園は私立学校なので、引率した僕も学園と共同で損害賠償責任を負うというわけだ。まじかー。ここは職場にも確認して、実際そうならアドベンチャーを引率する同僚にも周知しないといけないな、と思う。
本書の著者・溝手さんは、学校ではまず児童・生徒の安全確保が第一であり、登山がもたらす一時的な教育効果よりもそちらを優先して、「学校行事ではリスクのある登山を実施すべきではなく、リスクの低い登山で教育的効果を追求する工夫が必要」(p159)という立場だ。
これは、小中学生でも八ヶ岳などの本格的な山にのぼる風越学園のアドベンチャー登山とは、だいぶ方向性が違う。登山に限らず、そもそもアドベチャープログラムの理念の根っこにあるOBSの考え方は、「リスクをとる、ぎりぎりのチャレンジをする」体験がもたらす学びを重視しているのだが、本書では「そもそもリスクをとる登山をすべきではない」とする立場なのだから。
前にも書いたが、「リスク」とは外的条件だけでなく個人の状態もふくめて大きさが変化する関数である。天気が良ければなんでもない道が、雨が降ると危険が増すし、ある子とっては低リスクなことが、別の子にとっては高リスクにもなる。風越ではもちろん専門の山岳ガイドも雇えば人数も抑えられていて、通常の学校登山に比べるとだいぶリスクを考慮した体制がとられているとはいえ、それでも、こうした「リスク」に対して、引率者としての責任が持てるのか。自分にそれだけの準備があるのか。そして、自分ひとりならまだしも(本当は「まだしも」ではない)同僚にもそれを要求できるのか、となると、うーんと考え込んでしまうのも、正直なところ。ただ、リスクを考え出したらどんどん活動が矮小化して、しまいには「包丁を持たせるのもリスクだから調理はやめましょう」みたいな話にもなりかねない。というか、今の時代の学校は全体としてはそうなっており、そこであえて野外保育やアドベンチャーなどの別の価値を掲げることに、風越の価値があるのだ。そういうリスクや学校の意義なども視野に入れながら、ここは、同僚や保護者ともしっかり話をしたいところだと思う。
リスク・テイカーになるとは
というわけで、この夏はずいぶんと、登山のリスクについて考えた。今回はあえて「ここから教育について言えること」のような教訓を引き出さないよう自制して書いたのだが、ほんらい、このリスクの話は、登山だけでなく色々なことにつながる話だと思う。自分で何かを決断して動くことは、周囲の状況と自分自身の状態を考量して、結果を引き受ける覚悟を固めて動くことだ。そこには、必ず選ばれなかった別の可能性があり、それに目をつぶったことで生じるリスクがある。リスク・テイカーとは、「リスクを知らずにたまたま平気だった人」ではなく、「リスクを承知で、それでも決断して動く人」だろう。その結果、成功したり、死なない範囲で失敗したりしながら、次の自分の決断を作っていく(運悪く死んでしまえば、そこで終わりだ)。できれば自分も、少なくとも登山においては、可能なら他の領域でも、そういうリスク・テイカーでありたい。教育分野で「リスク・テイカーを育てる」なんて大仰なことを言えるのは、少なくとも自分自身がそういう選択の仕方ができるようになってからの話かな。
溝手先生はご自身が山ヤなので、自然体験活動のリスクを熟知されてるんですよね。全員参加の学校活動だと、登山に対してやる気も体力レベルもまちまちな子供たちを引率することになるわけで。山をやればやるほどその怖さがわかると思うんですよね。“「リスクをとる、ぎりぎりのチャレンジをする」体験がもたらす学び”というのは、ハイリスクな自然体験活動じゃないと達成できないことなのか?もっと別の活動も考えられるんじゃないか?ってとこを問うてるのかなと。風越学園の「アドベンチャー・プログラム」は選択制ですし少人数パーティ、子供たちのやる気を高めリスクを減らす工夫を凝らしていると思いますが。
コメントありがとうございます! そうですよね、溝手さん、海外も冬山もガチでなさっているので、素人だとつい「大丈夫だろう」と考えてしまう山のリスクを、しっかり理解されてるのだろうと思います。僕も風越のアドベンチャーは、「行きたい子・意欲のある少数の子が、事前準備をして知識や装備もある程度整えた上で、プロのガイドもつけて」行くものなので、通常の学校登山(学年全員を強制的に、素人の教員集団が連れていく)よりもずっと良いとは考えています。でも、ヒドリガモさんのおっしゃる通り、「本当にそれはハイリスクな自然体験じゃないと得られない経験なのか?(他の体験で代替できないのか?)」を問われているんですよね。溝手さんのような方の提言はやっぱりちゃんと考えなくちゃな、と思います。
勉強になりました。今までも読んで勉強させていただいておりましたが、初コメントです。
山好きとしては、「山にしかないものがある」と考えているし、リスクがある中だからこそのチームワーク、なんなら知らない人とのコミュニケーションもある、あの達成感、充実感、美しい景色、自分が自然に身を置いているという非日常の感覚… 山には詩があり物語があり、言葉の学習にも事欠かないように思います。雑誌「山と渓谷」には短歌も俳句もエッセイもありますからね。
教員としては、絶対子どもを連れて行きたくないと考えたくなります。エスケープがあり、頂上近くまで救急車の入れる高尾山くらいならまだしも…
板挟みの気持ち、わかる気がします。
コメントありがとうございます。冬山も行かれるんですね!
(僕はピッケルワークが必要な山には行かないと今のところ決めているので、うらやましいです)
そうなんですよね、自分も山が好きになってきただけに、少なくとも自主登山なら連れて行きたくなる気持ちもあるのですが、学校の活動として引率するのはそれとは次元の異なる責任がありますよね。子どもの動きはコントロールできませんから…。
それにしても、たしかに山は、他のスポーツ?と違って文学との相性が良いですね。僕も読書系インドア派なので、ヤマケイやひと昔前の山のエッセイも楽しませてもらっています。それも不思議です。
やっぱり山は心が動く場所なんじゃないかと思います。だから言葉が生まれるんですね。
目的の達成のための体験であれば代替の可能性はありますが、体験自体が目的になっている場合、代わりはききませんよね。遠泳とか、体育祭の騎馬戦とか、夜通し歩く行事とか、近しいものを感じます。
山と国語の単元や教材を期待しています。
お手数ですが、前の投稿は消してくださいませ…
山は心が動く場所、そうですね。ただ、なんでも仕事に結びつけてしまうのは、やめておきます(笑)