僕は過去にライティング・ワークショップの授業を研究会で公開したことがある。その時、たまたま科研費をとって予算があったものだから、一回の授業だけだとこの授業のことが何も伝わらないと思って、自分なりにライティング・ワークショップについて書いた冊子を作って配布した。その冊子のPDFファイルが、検索していたらたまたまヒットして、思わず読みこんでしまった。
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たった5年前のものなんだけど、今の自分には眩しい文章だ。 全部で47ページ。この授業法への出会いから、授業でやっていることから、課題と展望から、参考文献まで。自分が毎回の授業の記録を勉強会の仲間に書いて送ったメールの記録まである。当時の自分の熱を感じて、かなりノスタルジックになってしまった。もちろん今よりもライティング・ワークショップについての理解は浅い。今の自分は、作文教育史における位置づけとか、ライティング・ワークショップへの批判とか、もう少し客観的な目でこの授業法を見られていると思う。でも、ライティング・ワークショップの本質についての理解は当時から変わっていないし、何より文章全体に「のめりこんでいる」熱っぽさ、勉強したくてたまらないという好奇心があって、今の自分にはこんな文章は書けないなと、なんだか泣きたくなってしまった。
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それにしても…。他の学年も含めた授業をやって、担任もやって、毎回の授業を勉強仲間にメールで報告して、公開研究会に向けた準備もして、その上でこの冊子を書いていたのか。いったいどうしたらそんなことが可能なんだろうね。妻にそう言ったら、こんな反応が返ってきた。
「あの頃のあなたはつかれていたわ。tired(疲れる)じゃなくてpossessed(憑かれる)ね」「授業や勉強以外の、私や子供のために使う時間はすべて無駄という感じだった」「友達に、この後どうしようかと考えちゃうって言ったもの」
僕が目眩で倒れて最初の入院をしたのは、この約半年後のこと。「そういうこと」だったんだと思う。それ以降の自分の変化や葛藤については、年末にこの記事に書いた。