仕事と家庭のバランスって? 今年一年を振り返る。

年末にありがちな記事だけど、まあいいでしょう。今年一年を振り返ります。

僕は2010-11年にかけて、メニエール氏病の影響で、入退院したり自宅安静で学校に行けなくなったりした。今思うと、授業でも担任学年でライティング・ワークショップに取り組んで、関連する英語の本もたどたどしく読み始め、子どもはちょうど保育園の送り迎えが大変な時期で…と、完全なオーバーワークだった。

その時に、わりと真剣に「自分はいったいどう生きたいんだろう? 死ぬ最後の時に自分の人生をどう振り返りたいんだろう?」と考えた。考えた結果、仕事に向ける労力を家庭に向けるようになった。また、仕事に関係ない趣味を持つように医者に言われた事もあって、ウクレレを始めた。

その延長上で少しずつ仕事とそれ以外のバランスを探るようになり、2014年は、意識的に家庭に力点を置いた年だった。残業しない日を無理にでも作る。職場の飲み会は基本的に行かない。できるだけ早く仕事から帰って夕食を子どもたちと食べる。その後の家事育児に関わる。仕事のない土日は子供たちと外に出て、体の弱い妻に休んでもらう。また、妻と共通の趣味を持つために、11月には新しく二人でダンスも始めた。スカイプの英会話スクールで、週に1〜2回英文学専攻だった先生と一緒に英詩を読むのも楽しい。授業準備以外に自分の勉強もしたいから、夜や朝の30分を割いて勉強する。家族で来年の計画を立て、その準備もしている。

幸福か?と聞かれたら、きっとイエスと言える。家族の絆、特に妻との信頼関係は仕事中心の頃よりもずっと強くなった。病気をした当時とくらべて、ゆとりやバランスを意識して生きられるようになった。

ただし、時間は有限だ。家庭や自分の趣味や、目の前の授業に直接関係ない勉強に割く時間が増えたということは、当然、直接の授業準備に割く時間が減ったということ。自分で授業をしていて、それを随所に感じる。前より質が落ちた。熱がなくなった。そうなんだろうか。本末転倒ではないのか。そう自問することがある。

そして、そんな時に、20代後半〜30代前半の、独身だったり、あるいは結婚していてもお子さんがまだいなかったりで、教材研究をバリバリやっている人、いい教材を見つけてくる人、土日のたびに色々な研究会に行かれている人を見ると、その人の熱気や勢いを感じて、憧れと感嘆と、そして焦りを覚える。どんどん離されていくような不安を感じる。僕はそういう時期を「過ぎた」人なんだろうかと。

僕はもともとデモシカ教員なんだけど、でもプロフェッショナルとしてこの仕事を選んだ以上は、もっと勉強したいし、いい授業をしたいと思う。でもそれ以上に、まずはもっとも身近な人である家族を大切にしたい。僕が「いい授業をしたい気持ち」を優先して毎晩学校に遅くまで残ったり、土日も読書や研究会に励んでいたら、確実にその負担が妻に行き、彼女の時間や体力を奪う。子どもには寂しい思いをさせる。それは間違っている。そうはしまいと決めた。

この声は、自分自身を納得させようと言い聞かせている言葉だ。そして、同時に言い訳の言葉でもある。僕は自分でそれを知っている。だから、この声はやや声高で、他人に対して発せられる時には攻撃的になる。まだ僕にはこの気持ちをコントロールするのは難しいようだ。

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同じ葛藤を抱えている人、一緒に頑張りましょ。そして9月からはじめたこのブログ、目標どおりほぼ毎日更新できました。作文教育を中心にマイナーな話題のブログですが、読んでくださった皆さんありがとう。よいお年をお迎え下さい。

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