[読書]実践知と理論知で導く、熟達における言葉の役割。為末大・今井むつみ『ことば、身体、まなび』

為末大・今井むつみ『ことば、身体、まなび』は、スポーツをはじめとした、身体をつかって学ぶ学習と言葉の関係を軸に、言葉と学習の関係について元陸上選手の為末大さんと今井むつみさんが対談をしている本。現役時代のエピソードにもとづいた為末さんの実践知と今井さんの理論知がかみあって、ことばと身体運動や、熟達におけることばの役割について考える格好の入門書になっている。かなり面白かったので、オススメです。

 

「コーチングには言葉が適している」

僕が風越に来ていまさら関心を持ちつつあるのが、「言葉が、スポーツや音楽や絵画、木工といった非言語的活動にどのように関わっているのか」という問い。これは、国語だけを担当すれば良い中高国語科教員時代と異なり、テーマプロジェクトなどでこれらの教科に触れざるをえない自分だからこそ生まれてきた関心だ。と書くと上っ面はいいけど、実際のところは「なんらかの観点で国語の領域と関連づけないことには、これらの授業が退屈でやってられない」のが真相です(笑)

というわけで、以前にも書いた「わざ言語」には興味があるのだが、この本でも元陸上選手の為末さんが、ことばと競技技術の向上について実感をともなう発言が多数出てきて、面白かった。特に膝を打ったのは、スポーツのフィードバックとして映像を見せることについて、

  1. 映像には非常に多くの情報があるが、人間が意識できるのはせいぜい一箇所である。
  2. 映像に現れるのは身体の内部から力が生まれた結果としての最終形であり、そこのところしか見ることができない。

とその欠陥を指摘して、大事なところにスポットライトをあてるための「究極の編集行為」としてのことばのほうが、コーチングに最適だと述べているところだ(p20-21)。なるほど。最近はスポーツに限らず、自分のパフォーマンスをiPadで録画して見直してフィードバック…という実技教科の実践はごく普通になっていると思うけど、その効果についての重要な問いかけだと思う。

コーチングにおけるオノマトペの効用

また、本書ではオノマトペ(的言語)とスポーツの向上の相性の良さについても触れられたのも新鮮だった(ハードルが「タタタタ・ズッ・ターン」や、ゴルフのスイングが「チャーシューメン」)。それは、オノマトペが、記号というよりは身体的感覚と紐づいた言語だからなのだろう。こういう観点で実技系教科(体育、図工、調理、音楽…)のインストラクションを見直すと、どういうオノマトペがどういうタイミングで使われていて、どんな効果をあげているのかがわかりそう。そういうテーマの本、ないのかな、ぜひ読んでみたい。

熟達とは、ゆらぎの中に身を置けること

こんなふうに、本書では「ことば」と「身体」の関係について、為末さんの実践知が今井さんの理論知と結びついてクリアになっていくのがとても面白い。そして、それ以外にも僕はもともと今井先生の本は何冊か読んでいるので、すでに出会った知見もたくさんある。読むということの複雑さ、読み聞かせや読書習慣の重要性(p104-p109)、学んだことを書いたり話したりしてアウトプットする重要性(p219のICAPモデルの話)…などは、まさにそれだ。同様に熟達の話(第4章)や学びの過程の話(第5章)も面白いのだが、ここでも為末さんの実践にもとづいた知見が、今井さんの理論によって補強される関係がある。

為末さんは、熟達することを「修正能力の高さ」「毎回異なる状況に対して対応できる」ことだと指摘して、のちには熟達において言葉が果たす役割を「ことばで説明できるようになるということは、取り出し可能になるということ」(p132)とも指摘している。これらを受けて今井さんが解説するのだが、その解説よりも、為末さんの出す具体例が正直言って面白い。一流のスポーツ選手とは、自分の状態をここまでメタに把握して、微細な調整をしているのかと驚いてしまった。

この「熟達」の部分は、でも授業でも同じだな、とも思う。授業者は、どのクラスでも同じ授業を繰り返すのではない。一日の授業の中でさえ、何時間目か、前の授業は何で生徒のコンディションはどうか、といったことをはじめて、授業を微細に調整する(せざるをえない)。また、もう少し長い目で見れば、教員として熟達する中で数年前にやっていたことに違和感を覚えてちょっと変えることもある。変えてすぐ良くなるほど単純ではなく、一部を変えたことで全体のバランスやメッセージの統一性が崩れることもある。ある場合は自分で、ある場合はフィードバックを受けることでそれに気づいて、全体と部分の関係をまた調整したりする…。こんなふうに、短期的にも長期的にも、さまざまな「ゆらぎ」の中にいるのが教師である。今年の自分はカンファランスをしない方向に舵を切ったのだけど、それがどうなのかなあと思う部分もあって、「果たして自分は熟達の道を歩んでいるのだろうか…」と色々と考えながら読書してしまった。

とまあ、身体とことばの関係についてや熟達について、為末さんの実践知と今井さんの理論知が結びついて、とても面白い本だった。おすすめです!為末さんに興味を持ったので、彼の『熟達論』も読んでみよう!

 

 

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