「探究の達人」とともに、坂本宿から軽井沢宿へ。中山道を歩く教材研究。

開校前の諸々の仕事をほっぽり投げて、先週、中山道を歩いてきました。歩いたのは、中山道の17番目「坂本宿」(群馬県安中市松井田町)から碓氷峠を越えて18番目の「軽井沢宿」に至る区間。地域に学ぶ探究学習の素材に十分になりうる場所なので、まずは自分たちが学習しよう!というわけです。

写真は、碓氷峠を登ると霧の向こうに臨める坂本宿。坂本宿は、旅人が碓氷峠を超えるために、いわば人工的に作られた宿場町。道がまっすぐに整備されているのが見えるでしょうか。

この中山道を歩く企画。当初は僕たち風越スタッフ数名で行く予定だったのですが、幸運なことに、この上ない方がガイドしてくださいました。それが、軽井沢町追分にある中山道69次資料館の館長・岸本豊さん。岸本さんは、かつて四国の高校の先生だった頃から中山道の探究に取り掛かり、江戸から京都まで少しずつ踏破した中山道の達人。歩くだけでなく、明治時代以降に廃道になった箇所を古地図を頼りに突き詰めて復旧もされています。出発前日におうかがいした時も、中山道の宿場町についての面白いお話をたくさん聞かせてくださって、その博識や探究の道のりに感嘆しきりでした。その成果は、日本で唯一の中山道69次資料館はもちろん、中山道に関する次の本にもまとめられています。

僕らは幸運にもこの岸本さんのガイドで碓氷峠の中山道を歩くことができたのですが、当日も本当に学ぶことが多かった。「一見こちらの道が中山道に見えるんですけど、中山道分間延絵図を見ると、正しくはこちらです」というプロにしかわからない道のお話。廃道になった箇所をご自身が復元され、その道を他の方が通った時に感じた喜び。江戸期から明治期にかけての道の歴史のお話。地層や岩石に反映された浅間山噴火のお話。地理・歴史・地学にまたがる膨大な知識量に、それを学んできた探究の個人史が垣間見えます。

もしも岸本さんが同行してくださらなかったら、僕たちは、単に中山道を(それも、本当は中山道ではない道を)歩いて、「江戸時代の人もこんな険しい道を歩いていたんだねー」と、通りっぺんの感想を持つことしかできなかったでしょう。まさに知は力。「現実体験と結びついた知識があると、こんな風に世界が見えるのか」と圧倒されっぱなしでした。

この岸本さん、今は甲州街道の探究を進めているそうです。生涯を通じて探究を続けていらっしゃる偉大な先達、「ホンモノ」の探究者の姿が見られたことは、探究学習を柱とする風越学園のスタッフとして、とても刺激的でした。軽井沢に観光にいらっしゃる方は、ぜひ追分まで足を伸ばして、中山道69次資料館を訪問してみてください(冬季は休業中です)。「避暑地」としてリニューアルする前の、江戸時代の軽井沢を含む中山道を知る、とても刺激的な体験が待っていると思いますよ。

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