苦しかった6月前半。「お互いの知恵を持ち寄る」ことの難しさ。

「多様なメンバーが集まってお互いの知恵を持ち寄る」って、口で言うのは簡単だけどとても大変。そんな当たり前のことで苦しんだ6月前半でした。

写真は家の近くにあるカフェの庭。まだ朝は気温1ケタのこちらの地域ですが、それでも緑が生い茂っています。

僕の昨年までの職場は、偏差値で選抜された生徒たちがいて、大人も似たような専門性への志向や考え方や経験を持っていて、学校の世間的ポジションや校風も確立されていて。一言で言うと有形無形の様々な「常識」が、大人や生徒の間で共有されていました。その常識が、何しろ母校でもあるので自分にとって大変心地よく、それに乗っかって仕事をしてきたのだなあと、振り返ってつくづく思います。

軽井沢風越学園も学校が掲げる理念に共感した人たちの集まりである以上、共通した「常識」ももちろんある。けれど、幼稚園から高校まで、それまでの現場が違うこともあって、大事にしていることや常識が違うと感じることもたくさんあります。「そういう違いを持ち寄って良いものを作りたいね」と言っていた4月当初から、実際にカリキュラムを作る段階になると、具体的な局面で意見が対立して「苦しいな…」という思いで過ごすことも増えてきたのが6月前半でした。

いま自分で認識しているのは、僕は、「失敗しても新しいものを作る」欲求よりも、これまでの自分の実践の延長上で良いものを作りたい気持ちが強いんだな、ということ。それに加えて、自分の職業人としての責任感が、「風越の児童生徒にちゃんと学力をつけさせたい」という思いになると、失敗しない方向、安心できる方向、見通しのつく方向でカリキュラムや教員の動きを考えてしまう。これが自分自身の足かせになってる。

また、もう一つ痛感しているのが、僕は第一に国語科教員としての自分の成長を望んでいること。これまで教科の専門性を大事にする環境で育ち、働いてきて、それが良いところ悪いところ含めて自分を形作ってきました。僕はいま小学校の免許を取ろうとしているけど、あくまで国語科の教員として、アトウェルら偉大な先達を先生にしながら進んでいきたい。その気持ちには揺るぎはない。

今は、前任校時代よりも明らかに国語の勉強の機会・時間がなくなり、職場でも教科内容の話をすることがありません。該博な同僚の話に自分の勉強不足を恥じる機会もない。夜も小学校免許取得の勉強に時間を割いてて、読書ペースもがくんと落ちました。正直なところ、今、国語の勉強仲間たちに自分が置いていかれる不安を感じています。環境が変わった以上これまでとは違う方向を模索するしかないという気持ちと、これで本当にいいのだろうかという気持ちが、自分の中でせめぎあっています。

で、そういう不安定な気持ちを抱えながらカリキュラムの話をすると、信念や前提となる考え方が違うときに、つい正面から意見が対立してしまう。しかも、児童や生徒がいないままカリキュラムを議論すると、これまでの経験をもとにしたお互いの信念の披瀝しあい、ぶつけあいになりがち。でもこれって「お互いの知恵を持ち寄って」ない。「良いものを作るために対立を恐れずに意見をたたかわす」というのとも違う。

そういう状況に、ちょっと疲れがたまってました。そんな日々を振り返って感じるのは、お互い正面を向き合って議論することよりも、「間に仕事を置く」ことの大切さです。同じ仕事の方向を一緒に向いて、一緒に手を動かす中で、その人の大事にしているものを感じ取ったり、その人の頑張りに自分も励まされたり、助けてもらったり、その人の凄さに驚いたり。自分に足りないのは、きっとそれだな。そういう接点を増やしていけば、相手の大事にしていることや、その背景ももっとわかるようになって、信頼感や関係性も増して、話をしてももっと違う展開になるはず。

まだ学校は開いていない軽井沢風越学園。でも幸い、地元の小学校と連携しててその授業に入れたり、小学生向けの放課後学び場「風越こらぼ」があったり、7月からは入学希望者を対象にした「風越ワークショップ」が始まったりする予定。今後、同僚たちと色々な仕事に取り組んでいく中で、今の不透明な気持ちが前向きに解消されたらいいな、あるいは、不透明なままでも、それを受け止められるようになったらいいな。そう願ってます。

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