やっぱり本が好き!軽井沢ブックフェスティバル2023、参加してきました。

9/23(土)-24(日)に開催された軽井沢ブックフェスティバル、下っ端スタッフのポジションで参加してきました!いやー、とても面白かった。書評家、出版社、編集者、ブックコーディネーター、装丁家など、「本」に関係する多様な専門家が集ってのセッションは、とても贅沢な時間でした。コア層向けのイベントで、そのぶん集客は期待よりも少なめだったのかなと思うけど、これは読書好きや本の将来に関心がある人はぜひ来るといいイベント。来年もやる予定のようで、今から楽しみです。

写真はブックフェス2日目の第3ステージの時もの。暑いくらいの日差しの中、軽井沢の自然を感じながらのセッションとなった。

目次

本の紹介、出版社、本の届け手….贅沢な5つのメインセッション

このイベントの柱は、2日間で合計5つ開かれたメインセッション。それぞれのセッションの詳しい情報は軽井沢ブックフェスティバルのサイトを見てほしいのだけど、

書評家が集まってお題に沿った本を紹介してくれたり、「一人出版社」を作った人たちの鼎談があったり、広い意味で本を届ける仕掛け人たちのトークがあったり、『物語のカギ』のスケザネさんが登壇して編集者の河野道和さんと『ハンチバック』について語ったり、装丁家が本のデザインについて裏話をしてくれたり…どれも1時半ほどのセッションなのだけど、聞き応えのある時間が流れていた。

選びにくい中であえて印象的なセッションを選ぶと、第2ステージの「一人出版社が語る『僕たちが未来に向けてつくる本』」。センジュ出版の吉満明子さん、ブックレーベル・八燿堂の岡澤浩太郎さん、あさま社の坂口惣一さんの3名の鼎談を、ブックコーディネーターの内沼晋太郎さんが司会でサポートするシンポジウムだ。新書であれば「発売後3日」で本の将来が決まってしまう厳しい社会の中で、二百年後まで届く本を作ろうと一歩歩き出した人たちの勇気と逡巡、生々しい資金面の話、そしてそれでも前を見て進んでいこうとする姿勢に、個人的にかなり感銘を受けた。勇気だけでは語れないけど、勇気がないと始まらない。そして何より、生きている甲斐がない。そんなことを感じたセッションだった。

また、第3ステージ「本との出会いはこうして広がる〜本を届ける挑戦者たち」は、事前に一番楽しみにしていたセッション。ブック・コーディネーターの内沼さん、NPO法人「読書の時間」の田口幹人さん、アカデミック・リソース・ガイドを刊行する編集者の岡本真さん、ブックマンションの中西功さんの4名のお話を、「誰が本を生かすのか」連載中のジャーナリストの浜田敬子さんが、見事な司会ぶりで引き出していく。出版された本をいかにして読み手に届けるかという視点は、学校教育の現場にいる僕にも大変刺激的だった。「読書の時間」というパッケージを学校現場に普及させようとする田口さんの試みや、ZINEを作って「つくることと読むこと」を繋げようとする中西さんの試みは、それこそ風越で「読書家の時間」「作家の時間」に取り組んでいる自分の営みとつながるところもある。自分も広い意味で彼らと同じ「届け手」なんだ、本を若い読者に届けることが自分のやりたいことなんだ、と思えた時間でもあった。

他にも、第5ステージ「本の世界を変えるデザインや装丁、印刷」のセッションも素敵。稲葉俊郎さんのコレクションを見て楽しみ(寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』初版があんなデザインだったとは、恥ずかしながら初めて知った)、矢萩多聞さんによる、シリーズ「あいだで考える」の装丁裏話や、日本と韓国の装丁家の待遇をめぐる格差なども聞いていてとても楽しかった。僕が編集した『中高生のための文章読本』の装丁を手がけてくださった鈴木千佳子さんのお名前もちらっと上がっていたしね。それにしても、皆さんのお話を聞いていると、自分が本を出すときには想定家さんときちんと相談してこだわった作品を作りたい….!などという妄想が湧き上がってきて困った(笑)

サブセッションも素敵….!焚き火の絵本読み聞かせが沁みる

こうしたメインセッションの合間合間に挟まれたサブセッション。風越の中2生徒が頑張って一つのセッションを運営したのだけど、その「未来の本を考える」ワークショップがとても面白かったり、別のブックトークのセッションでは、おすすめ本のリストがたくさんできて嬉しかったりした(中でも『「アマゾンおケイ」の肖像』は絶対に読もう)。2日目初回の座禅も良かった。

しかし、そんな豊作揃いのサブセッションでも個人的に強烈な印象を残したのは、初日夜の澤美代子さんによる絵本読み聞かせだ。もうすっかり日が暮れて秋口の寒さに覆われた頃に、焚き火を囲んで始まった絵本の読み聞かせ。僕と、やはりスタッフとして参加していた長女は、場所を見つけ損ねて少し遅刻しての参加となった。その時はちょうど1冊目のシルヴァスタイン『大きな木』を読み終えたところ。

ついで、静かな声で次の絵本の読み聞かせが始まる。水の中から響くような美しい伴奏は、ライアーという琴らしい。山中恒『ハルばあちゃんの手』は、ある村で生まれたハルという女性の人生をたどる絵本。鉛筆で描かれた力強く美しい女性の手が印象的だ。山中恒にこんな作品もあるとは知らなかった。

ついで読まれた、池井昌樹の詩に写真をつけた池井昌樹『手から、手へ』は、どこかで読んでいた詩だった。親から子供への愛が「血まみれ」という言葉で表されていることにドキッとする。

この2冊もよかったけど、最後の鈴木まもる『いのちのふね』は感動的だった。死んだ命が船に乗って空に上がり…というモチーフはそんなに奇抜なものではない。けれど、真っ直ぐに命の循環を歌い上げた絵本の言葉に、ライアーの調べと澤さんの声が重なり、時折、焚き火の中で爆ぜる音が聞こえてくる。その空間が他にないものだった。途中で新たに薪がくべられ、澤さんが読み終えたときに、薪がようやく燃え始めてひときわ大きな炎を燃え立たせる。それがまるで、絵本が終わったときに新たな命がそこに灯されたような、ドラマチックな終わり方だったのだ。その印象が忘れ難い。最高の夜だった。

自分がしたいのはなんだろう?

とまあ、軽井沢ブックフェスティバルはとても楽しく、元気をもらえる二日間だった。

今回、ブックフェスティバルに参加して、本をいかに人に届けるかという仕事をしている人たちとたくさん接したことで、やっぱり自分は「本の届け手」でありたいのだな、と感じた。それはきっと、子どもの頃から本が好きで、自分でもお話をたくさん書いていた小学生時代の原体験から真っ直ぐに繋がる、僕の人生を貫く感情なのだろう。今回、編集者、出版社、ブック・コーディネーター、装丁家など、本を生み出し流通させる仕事に関わる多くの方と出会った。他に教員はいなかったけど、でも僕はこの人たちに仲間意識を抱いた。僕も、彼らの中のひとり、届け手でありたいと思う。ただ、彼らの多くと違って、僕の場合は、本を届ける場所が「教育現場」であり、届け先が、小学生から高校生の若い読み手たちなのだ。でも、違いはそれだけである。

ちょっと前のエントリでも書いたけど、9月の僕は心身ともに低空飛行中だった。理由はわかっていて、仕事は忙しいのにその中の「国語成分」が少なすぎ、また、残業続きで疲弊してしまい、自宅で読書をする余裕もなくなってしまったからである。もちろん仕事である以上、好きなことだけをやっては生きていけない。そんなことはわかってる。でも、残りの人生、自分のやりたいことを大事に生きたい。いま自分が小学生を受け持っているからといって、僕が目指すのは「より良い小学校の先生」ではない。そもそも風越に来たのも、作家の時間(ライティング・ワークショップ)と読書家の時間(リーディング・ワークショップ)ができる環境を求めてのことなのだし、シンプルに、読むことや書くことに関することに、もっと自分の時間を使っていきたい。あらためて、そう感じた。

今回、僕の長女もスタッフとして参加して、行きと帰りの車中ではお互い将来何をしたいか、という話にもなった。高校3年生の彼女も、いずれは本に関係する仕事についてみたいという。そういえば、小さい頃に本がたくさんあるホテルのような夢の本屋さんの絵を描いていたっけ。そういうところは、親子で似ているのかもしれない。

次は「本日和」!

いろいろなことを考えた軽井沢ブックフェスティバル。実は、このイベントには風越の「本日和」(ほんびより)プロジェクトの生徒たちも数名来ていて、彼女たちが企画しているイベント「本日和」(ほんびより)の宣伝もしてくれた。風越の「本日和」プロジェクトの子たちは今、12月3日(日)に軽井沢中央公民館で、軽井沢の子たちが本を楽しむイベントを作ろうとしている。プロジェクトメンバーには軽井沢町内全7校の子たちが参加してくれて、この秋から、スポンサー集めに企画の内容検討に、いよいよ忙しくなってきたところ。せっかく軽井沢ブックフェスティバルと同じ年に実施されるんだから、「こどものブックフェスティバル」になれるといいな。読者の皆さん、応援してください!

 

 

 

 

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