先週、国際バカロレアのPYP(Primary Years Program)を実施している某小学校の授業を見学してきました。PYPといえば、概念ベースの国際バカロレアの中でも最も自由度が高く、教科横断的で面白いとも聞くプログラム。風越学園の探究の参考にすべく行ってきた訪問メモを残しておきます。
目次
セントラル・アイデアに基づく探究
国際バカロレアのPYPとは、IB校共通の6つの教科横断的テーマに則って各学校で設定された「セントラル・アイデア」に基づいて行われる探究型授業です。僕はIBについては素人なので、詳しく知りたい方は「PYPのつくり方」をどうぞ。この日は運よく、小学4年生の今年度最後・6つめのユニット(単元)を始める日。しかもありがたいことに、3時間目からの授業見学の前にコーディネーターの方にカリキュラム全般についてお話をうかがう機会もいただきました。
その事前のお話で一番印象深かったのは、この「セントラル・アイデア」を事前に決めるのが一番大変で、かつ楽しいところなのだ、ということ。決められた教科融合テーマと目の前の生徒の実態を見て、スタッフ同士でいくつものアイデアを出し、最終的には探究を担当するスタッフが決める。内部資料である探究のプランニングシートを見ると、この日、僕たちが見学させていただく探究のテーマが「美の追究は新たな世界を構築する」であること、そして、そこに至るまでにたくさんの没案があることがわかりました。加えて、シートには、この探究で重視されるキーコンセプトや、どういう働きかけで探究を駆り立てるのかまで書かれています。話には聞いていましたが、探究といっても決して子どもの好奇心任せではない、事前計画の丁寧さが改めて印象的でした。
このテーマをどう子どもに手渡すの?
さて、この日のセントラル・アイデア「美の追究は新たな世界を構築する」がわかった段階での僕の疑問は、このセントラル・アイデアをどうやって生徒に手渡すのだろう、ということ。小学4年生が考えるには、そのままでは難しすぎるテーマだと思ったからです。どんな導入をするのか。3・4時間目の授業見学の僕の興味は、自然とそこに集中しました。
ところが、この導入の場面は僕にとって意外なものでした。担当の先生(仮にAさんとします)が、教科融合テーマ「私たちはどのように自分を表現するのか(How we express ourselves)」をストレートに提示し、美の鑑賞についての探究であることを伝えると、小1の頃から探究のユニットを経験してきた子供たちは「美術館とかいくのかな」と早くも先を予測します。すでに前のめり。さらに、教室後方にいた先生たちも同じ探究をし、同じく発表をする(こういうのって大事!)ことを聞いて子どもたちが沸く場面もありました。
意外な?ド直球の展開!
そのあとは、さらに超のつくド直球の展開です。まずは子供達が「美」についてのキーコンセプト(Form, Function, Causation, Change, Perspective, Responsibility, Reflection)が書かれたマンダラートのような探究シートを各自で埋めます。例えば、Formの欄には、美しいものってどんなものか、Functionの欄には、美はどんな働きをするか、というふうに、自分の考えを書く。これは、小4の子にはかなり難しい活動のはず。見てみると空欄の子も多かったのですが、Aさんは途中でヒントを板書したり、Reflection(美と自分のつながり)についてだけは書くように伝えたりして、全部書かせることを目標にはしていません。
その後、Aさんは、黒板に模造紙を貼ります。そこには、セントラル・アイデア「美の追究は新たな世界を構築する」がそのまま書かれていました。こんなの、子どもたちは意味がわかるのでしょうか?….でも驚いたのが、子どもたちがそれをすぐに書き写し、このセントラルアイデアの意味を自分なりに考え始めたこと。しかも、その考えるアプローチが実に多様で面白かった。イメージマップを書く子、1つ1つの単語から思いつく問いを書く子、イラストと吹き出し付きの問答マンガを書く子、考えたことをビックリマーク付きで書く子、漢字が得意で「追求」と「追究」の違いを調べている子…みんな、自分なりにこの難解な一文へのアプローチ方法を持っているようでした。もちろん中には「これ考えるの無理だわ…」と突っ伏してしまう子も。でも、この子がこの後の発表の場面で真っ先に手を上げて指名されたのも面白かったのですが…。
各自の考えを持ち寄る時間
各自で考える時間を終えると、黒板の模造紙の前にみんなが座って集まり、各自の考えを持ち寄る時間。そう、まさに「持ち寄る」感じ。「美の追究は新たな世界を構築する」というアイデアの解釈が定まっているのではなく、各自がお互いの考えを持ち寄りながら、自分なりの解釈の構築が目指される時間でした。だから、Aさんはどんな意見に対しても肯定的に受け止めます。例えば「構築」の意味としてそれはおかしいんじゃない?と思える意見に対しても、「あなたはそう思ったのね」と否定しない。また、辞書を調べた子に対しても、辞書にそう書いてあったから正しいのではなく、あなたがそう思ったのね、と返す。真正面から子どもの発言に耳を傾け、「あなたがそう思った」事実を認め、みんなにも常に聴く姿勢を求める。そのファシリテートぶりが印象的でした。そして、子どもの発言から興味深い問いが出てくると、生徒全体に返していきます。「美の変化は、誰かが変えているの? 自然に変わっていくの?」「美の追究も限度を超えるとよくないの?」「自分だけの美ってありそう、みんな?」というふうに。
こんなファシリテートのもと、まるで哲学対話のような時間が、4時間目まででは終わらず、お昼休みを挟んで5時間目まで続きました。さすがに子どもたちの集中力が切れる時間も結構あったのですが、Aさんは、とにかく言いたいことがある子に言い尽くさせることを重視して、それを模造紙に書いていきます。そして、書き尽くした時になってふりかえり。いま感じていること、今後の授業の予想や希望、言い足りないことの3つをふりかえりシートに書いて、新しい探究ユニットのはじまりは幕を閉じました。
わからないことを楽しむ子どもたち
授業後や休み時間に子どもたちにも聞いたところ、多くの子が、この時間が探究の時間でも一・二を争う楽しい時間だと答えてくれました。理由は、もやもやを作り出すのが楽しい、自分がわからないことを出してそれをこれから解決して、また問いが生まれるのが楽しい、これから先の展開を予測するのが楽しい、などなど。これは、これまで探究する楽しさをたっぷりと経験してきたから、この先の展開に対する信頼もあるのでしょう。テーマが抽象的だからこそ、自分なりに引きつけて意味を構築できる面もあるのでしょう。とにかく、この子たちが「わからないこと」「考えること」を楽しく受け止める姿勢があるのに驚きました。
探究の入り口に必要なものとは?
それにしても、面白かった。最初はこんなに抽象的な、しかも「上から降ってきた」テーマは小4には難しいだろうとか、意欲的に探究に取り組んでもらうには、何か魅力的な学習材との出会いを通じてこのテーマに接近させるのだろうとか、勝手に思っていたのです。あにはからんや、こんなに直球だとは。しかもそれに子どもたちが食いついていくとは。
僕たち教員は、授業の「導入」にはあれこれ工夫して子どもたちの興味を引きつける、という発想をしてしまいがちだけど、そんなものはどこまでいっても小手先の小細工なのかも。そう痛感してしまう探究の入り口でした。今回の授業の鍵は、練りに練られた魅力的で抽象的なセントラル・アイデアと、構築主義的な知識観に基づいて心理的な安全性が保証された場と、探究する面白さへの信頼。こういうやり方もあるんだなー。風越のプロジェクトの導入について考える際にも、とても参考になりました。この授業を見てしまうと、自分たちは練らなくてもいいところを練って、練るべきところを充分に練れていない気になってしまう。プロジェクトを作る時の新たな視点をもらいました。ありがとうございました!