教育の世界でもあちこちで聞くようになった「非認知能力」(非認知スキル)。ペーパーテストで測れるような、言語や数字を中心にした「認知能力」とは別に、「目標や意欲、興味・関心をもち、粘り強く、仲間と協調して取り組む力や姿勢」を中心とした能力だとされています(無藤隆「生涯の学びを支える「非認知能力」をどう育てるか」)。
確かにそういうものもあるんだろうけど、でもそれを育てるとか評価するってどういうこと?胡散臭い…と思っていたあすこまですが、職場が中高から幼小中に移ったこともあって、向き合わないといけないなあとも思っています。というわけで、このエントリは、この領域のド素人の僕が自分なりに「非認知能力」に接近するための基礎的な覚え書き。あまりたいした内容ではないし、むしろ単純な理解の誤りは積極的に教えてくださるとありがたいです。
「非認知・能力」なのか「非・認知能力」なのか
この非認知能力(non-cognitive abilities)という言葉、「非認知・能力」と捉えるか、「非・認知能力」と捉えるかで立場の違いがある。そんな話を、同僚の保育スタッフが教えてくれました(遠藤利彦「非認知的な能力の源にあるアタッチメント」、『げ・ん・き』158号)。
この記事によれば、前者の「非認知・能力」は、「認知的な能力以外の能力」という意味で、粘り強さや協調性を、認知的な能力と同様に育成可能な「能力」として育てることを含意しています。よく聞く「非認知スキル」という言い方は、特にこちらの立場を強調した言い方でしょう。
一方、非認知能力を「非・認知能力」(認知能力ではないもの)と捉える見方は、「非認知能力」の存在自体は認めても、それが計算能力や言語能力と同じ意味での「能力」とは捉えません。どちらかというと個人の「特性」に近いものとして見る。前者の「能力」派が非認知能力を「あれはあるほど良いもの」と見るのに対して、後者の「特性」派は、それが個人の特性と環境との相互作用によって様々に現れるもの、とみます。
なるほど確かに、例えば協調性は周囲の環境によって発揮のされ方が変わるもの。Aさんはこのグループの人たちとは協力できるけど、他のグループに行くとイマイチ…というふうに、個人の協調性の発揮のされ方は相手が誰かによって左右されます。もちろん、どの人を相手にしても協調性を発揮する人はいるので、「協調性」という非認知能力自体は存在するのだろうし、それが高い人もいるのでしょう。でも、計算や言語のような個人に内在する能力に比べると環境要因が大きい。「能力」ではなく「特性」と見る捉え方は、「非認知能力」のそういう面を反映しているのでしょう。
非認知能力をどう「育てる」「評価する」の?
「非認知・能力」か「非・認知能力」かという立場の違いは、それを「育てる」「評価する」時の姿勢にも影響するはず。非認知能力を「能力」と捉えれば、それは当然「育てられる」したがって「評価もできる」という立場。一方、能力とは別の「特性」と捉えれば、それを「育て」「評価する」ことには慎重になります。
しかし、ここでの罠は「能力」「特性」の二分法を絶対視することだと思います。「能力」派だからといって一足跳びに非認知能力を数値でスコア化できると考えるわけではありません(しかし、「人生の成功に必要なあなたの非認知能力をAIでスコア化します」みたいな商売は出てきそうだなあ…)。また「特性」派の立場をとるにしても、人間の協調性や粘り強さが、生涯を通じて全く「変化しない」前提に立つこともないでしょう。非認知能力の発揮のされ方には環境との相互作用が大きいということは、それが「変化する」ことを意味するのですから。そして、「変化しうる」ものである以上、社会的に望ましい方向に変化する(=育つ)ことも、それを見とる(=評価する)こともありうるわけです。
非認知能力を育てること、評価すること
おそらく、「これをやれば非認知能力が必ず育つ」プログラムもなければ、非認知能力の伸びを数値で評価することもできない。非認知能力とは、基本的にその人の「特性」と関わって、生涯をかけて付き合っていくもの。けれど、人が安心して何かに没頭したり、周囲と関わる経験をつんだり、自分の思うままにならない対象物と関わったりする中で、非認知能力が自然に(望ましい方向に)変化する可能性は、たしかにある。
教育現場の大人にできるのは、子どもの非認知能力が自然に変化しやすい環境を整え、もしその変化が起きたらそれを見とって言及してあげること。非認知能力を「育てる」「評価する」って、具体的にはそういうことではないでしょうか。そして、国語の授業のような「認知能力」を育てる場面でも、非認知能力が育つ場を整えることは可能なはず。認知能力を育てることと、非認知能力を育てることを別物として捉えないで、読み書きを教える中で、非認知能力が自然に育つ環境を整えられたら。そう思いました。