文化祭明けから、中学も高校も図書館を舞台にリーディング・ワークショップの授業を実施中。中学はショートストーリーの創作を視野に、いわば「ライティング・ワークショップの前段階としてのリーディング・ワークショップ」。高校は、新書や評論系単行本に絞ったリーディング・ワークショップ。
リーディング・ワークショップの必要性
もともとライティング・ワークショップをやっていた時に感じたのが「この授業はリーディング・ワークショップと一緒にやるべき」ということ。インプットとアウトプットは車の両輪だからだ。
常日頃、日本の学校では「教師が選んだ教材を生徒全員で何回もかけて読む」精読の授業が中心で、それ以外のバリエーションが少ないことも気になっていた。そしてアトウェルの学校に行って思ったのも「本格的にリーディング・ワークショップをやろう」ということ。
というわけで、留学を終えて帰国して、自分の中では「やるべくして」というタイミングで、リーディング・ワークショップを始めている。実際には以前に一学期だけやったことはあるのだけど、久しぶりということもあり、「そろりと試運転」という感じだ。
見えないハードルも感じてしまう
以前にもリーディング・ワークショップをやった時も感じたけど経験したけど、リーディング・ワークショップはライティング・ワークショップよりも精神的なハードルが高い。一つは、「国語の授業は全員で一つの文章を何時間もかけて読むもの」という日本での「常識」が、見えない圧力になること。これに加えて「定番教材をやらなくていいのか」というプレッシャーもこれに加わる。「高2なのに山月記をやらなくていいのか」というようなアレだ。別に山月記や舞姫をやらねばならない理由はないのだけど(学習指導要領にはそんなことは書いていない)、高校現代文における「定番教材」は事実上の標準となっているので、そのレールから外れるのは勇気がいる。
カンファランスの難しさ
もう一つは、「読む時間」の個人カンファランスができないこと。これは、「40人も生徒がいるからできない」という人数の問題だけでない。目の前に原稿があるライティング・ワークショップと違って、原則的にみんながただ読むだけのリーディング・ワークショップでは、「どの生徒に手助けが必要なのか」が把握できないという問題が大きいと思う。
というわけで「読む時間」の間はなんとなく手持ち無沙汰になってしまい、モデリングを意図して僕も持ってきた本を読むのだけど、ちょっと落ち着かない。ライティング・ワークショップと同様、カンファランスができないことを補うために大福帳を使っているんだけど、それでも限界は大きいしね…。
とまあ、そろり試運転といった感じの今学期のリーディング・ワークショップ。明日はこの種の授業に関心のある方に授業を見においでいただいて、ヒントをもらう予定でいる。それでちょっとずつ良い授業にしていければ。ぼちぼち頑張りましょう。