どうする? 見直しが必要なブックトークのやり方

In the Middle関連のエントリが続きます。ナンシー・アトウェルのIn the Middleを読んでいて驚くのは、アトウェルや生徒のブックトークの影響力がとても大きそうなことだ。学年の終わりに生徒にお気に入りの書名を尋ねると、なんとお気に入りの本の90%程度が、アトウェルや他の生徒のブックトークで紹介したものだというのだ(p93)。ちょっと尋常ではない高率である。なぜなんだろう?

目次

アトウェルのブックトークのやり方

アトウェルの学校のブックトークは、アトウェルがすることも、生徒がすることもある。やり方はとてもシンプル。「10段階で9以上のお薦めできる本を紹介すること」これだけだ。後は決まった形がない。だいたい複数の本を紹介することが多いようだが、同じ形式やテーマのものをまとめて紹介したり、一人の作家の古い作品と新しい作品だったり、その組み合わせは色々(p94)。小道具もポスターも感想文も相互評価もない。「ちょうど大人の本好きの人が、友人に、大好きな本についてどう思うかを話すような感じ」で話し、後は質問を受け付け、読みたい人がいないかどうか尋ねておしまい(読みたい人に本が手渡される)。

なぜ効果的なの? このやり方

一見、たいした工夫もなさそうだけど、このブックトークが強力な威力を発揮しているのだ。おそらく、「良い本を紹介する」のが徹底されているのが良いところなのだろう。そして、リーディング・ワークショップの仕組みの中にブックトークが埋め込まれているのも大事なのだ。紹介された本は学校の本なので、読んでみたい人はすぐに手にとることができる、そしてそのままリーディング・ワークショップの最中に読むことができる。本にアクセスできる環境と読む時間がしっかり確保されていて、それと結びつくときに、ブックトークは大きな効果を発揮するのではないか。

ひるがえって、反省の多い自分のやり方

この「ブックトーク」、実は僕もやっているのだけど、アトウェルのブックトークと比べると反省しきりである。僕はもともと司書さんからブックトークなるものを教わった。その時知ったブックトークは、単なる本の紹介というよりも、「複数の本を、共通のテーマでつなげて紹介するもの」。上手い司書の方のブックトークは、ちょっとした名人芸である。その後、他校の先生の「生徒によるブックトーク」参考に授業でも取り入れるようになった。現在、僕がよくやっているのは、次のようなルールのブックトークだ。今年も中学生に、毎回の授業の最初に2人ずつやってもらっている。

  1. 分類が異なる2冊以上の本を、共通のテーマで紹介すること
  2. ただし、そのうち一冊は学校図書館の本である
  3. 制限時間は5分
  4. 他の生徒は、ただ聞くだけ

このブックトークのルールには「日本十進分類法について知る」「学校図書館で本を探してもらう」という教育目的もある。また、落語の三題噺じゃないけれど、連想をつなげて話さないといけないので、単に好きな本を紹介するよりもこういうほうがハードルがあって面白いかなと思ってはじめた。

でも、やっていて感心するブックトークもあれば、正直いまいちなところもあるのだ。その第一のパターンは、一冊に力を入れるあまりもう一冊のほうはあまり話さない、下手するとまともに読んでもいないパターン。また、本の紹介というよりその場限りでの話芸になってしまっている場面もある。何より、実際に読む時間を与えない状況下だと、どんなにブックトークをしたところで、あまりその後の読書につながらない。そんな実感もあって、ブックトークも少し見直さないといけないな、と思っている。

いまリーディング・ワークショップの授業では、ブックトークをする代わりに冒頭に僕が「その都度読んでいる本」の紹介をしている。この目的は、「教師も毎日本を読んでいるんだよ」と示すこと。だから、読んでいて面白かった本も紹介するけど、ハズレの本や、「まだ読み始めたばかりでこの先どうなるかよくわからない本」も紹介している。

実際にやってみると、この形式のメリットも感じた。読書行為について紹介できるのだ。「この本、名作って言われてるから読んだんだけど、個人的にはイマイチなんだよね」とか「前の本に関連して今はこの本を手にとってみました」みたいな「読書のリアル」について語れるのは、「その都度読んでいる本を紹介する」ことのメリットだ。

一方のデメリットは必ずしも「良い本のおすすめ」にはならないこと。昔読んだおすすめしたい本がけっこうあるのに話せない!そして、そもそもブックトークの結果として「生徒が本をよむ」ことが促進されていることがあるのだとしたら、やはりストレートに「良い本のおすすめ」のほうが良い気がしてくる。

「情熱を手渡せる環境」が大事

アトウェルの学校で、ミニレッスンやブックトークの影響力がとても高いのは、やはり「10段階評価で9以上の本」だけを紹介して、しかもその本をすぐに手にとれ、読める環境と結びついているからかなあ。ブックトークをする側にその本への情熱があるだけでなく、話し手の本への情熱がすぐに受け渡せる環境になっているのだ。

そんなこんなで、ブックトークについては、「2冊をひとつのテーマでつなげよう」とか「今読んでいる本を紹介しよう」とか変に小細工するよりも、アトウェルがやっているように、単純に「おすすめ本について語る」ほうが良いのかなあと思い始めている。ブックトークのやり方、工夫したつもりが、実は邪魔だったかな。とりあえず、二学期後半のリーディング・ワークショップでは、「学校図書館にあって、すぐに貸し出せるおすすめ本について語る」でやってみようかな。

なんだか、一周回ってスタート地点に戻った感じ。こういうこと、一つのことを長くやってると、良くあることですよね…。

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7 件のコメント

  • ブックトークいいですね。
    強くおススメされる本の方が、その薦めてくれる人とその本がなんとなく重なって感じられて、本だけの魅力ではなくなるように思います。読み終わったらその人と語り合える切符を手に入れられそうな気がするような。。。
    ところで、話は少しかわりますが、ブックトークとはやり方のちがったビブリオバトルについてはどう思われますか?

    • コメントありがとうございます。ビブリオバトル、やったことないので何とも言えないのですが、結局は本というよりパフォーマンス勝負になってしまうのかな…という気がしています。読書につながるのか、確信が持てなくてやってない感じです。

      • ビブリオバトル、何回か大学生のものに参加してみたのですが、ご指摘の通り、パーフォーマンスの方に重点があるように思います。
        「読みたくなった本」ということで、まだ読んでいない本が期待されるようでいて、それもなかなか難しそうでした。知らない人との間に何がしかの関係を結ぼうとすると自分を語らずにはムリで、そのあたりをやると本にあてる時間もなくなります。質疑も制限があり、なんでもいいわけではなく、結局は話し足りない部分を言ってもらうだけになりがちかも。本についてやや開かれた仲間で語る機会があるという点ではとてもいいと思うんですが、物足りず、もったいない感じが私にはしています。
        昔人間の私には、オーソドックスな読書会がすたれて?いるのは残念な気がしますが、そういう時代でもないんでしょうね。たぶん。

  • うちの学校で数年やっていた「生徒によるブックトーク」は、どちらかというと書架めぐる口実を作り、生徒同士で本の話をする場を創出することに効果があったように思います。好きなキーワードを使うことが、そういう行為を後押ししてる感じ。
    あと、同時進行していた社会科の調べ学習で、さまざまな書架から資料を探す練習もリンクさせてましたね。
    読書へ誘うブックトークは、勧め手の思いがあるかどうかが大きくて、私も、生徒が熱く語る本は(リクエストで入れてほしくて)ラノベでも鉄道ものでも、つい読んじゃいます。

    • あ、今はS先生なさってないんですね。たしかに書架をめぐる口実にはなるのですが、うちの学校の場合、その場の面白いトークで終わってしまって、生徒同士で本の話をするとか、実際に読書をするところまではいってない感じです。何がいけないんだろ。

  • アトウェルのブックトークは、子どもたちの次の読書活動を促すものとして働くようにしている、と理解しました。そうすると、ブックトークは何回も行った方が良さそうですね。アトウェルはどれくらいの頻度でブックトークをしているのでしょうか? 澤田先生がアトウェル流のブックトークを実践しようとする場合、どれくらいの頻度で行いますか?
    私は後期の授業で個別自由読書をやらせようとしているのですが、その集大成としてブックトークをさせようと考えていました。しかし、この記事を読んで、集大成ではなく、途中で何度かやらせた方が良いのかな、と迷っています。

    • コメントありがとうございます。ブックトークの目的をアウトプットに置くかどうか、ですよね。アウトプットが目的なら集大成で良いと思いますが、その後の読書にはつながらないと思います(自分の場合は、そういうのは結局読書量を増やしませんでした)。途中で何度か、のほうが効果的だと思います。僕は毎回ブックトークしてます!