In the Middle初版の読書日記152ページ。リーディング・ワークショップについての章なのだけど、ここでアトウェルが、リーディング・ワークショップではない通常の国語(アメリカでは英語)の授業で国語教師が教えてしまっていることをリスト化していて、とても面白いので紹介しようと思う。
[ad#ad_inside]教師が読むことについて伝えている21のこと
- 読むことは難しくて真面目な仕事だ。
- 文学は、なおさら難しくて真面目なものだ。
- 読むというパフォーマンスは、たった一人の観客に向かってなされる。それは教師だ。
- テクストの解釈には正解がある。教師の解釈だ。
- 理解や解釈の「間違い」は許容されない。
- 生徒たちは、自分で読むべき本を決めることができるほどには、賢くもないし、信頼もできない。
- 読むことには暗記が必要だし、情報や用語や伝統的な型や理論への熟達も必要だ。
- 読解の締めくくりにはテストが来る(そして、書くことは多くの場合、読解のテストとして使われる。読書リポート、批評文、エッセイ、選択式テストなどなど)。
- 読解にはある程度、線を引いたり穴埋めをしたりマルで囲んだりすることがともなう。
- 読者は、全体のテキストを細かな部分にばらばらにして、その断片ごとに読んで解剖する。
- 教師が与えた文章の断片以上の部分を勝手に読んで楽しむのは悪いことだ。
- 読むことは、そのグループの一員として行われる孤独な営みだ。
- みんなで一つの文章を読むことは協力ではなくズルである
- 本を読み直すこともズルだ。斜め読みも、読み飛ばしも、先の方を読んでしまうのも良くない。
- 面白くない本を捨てるのは良くないことだ。
- あなたは文学について、教師の解説を通して学ぶ。
- 教師は文学について多くを語る。しかし彼らは読まない。
- 教師は、彼らがあなたに読めといった本について、実際は退屈に感じていることも多い。
- 読むことは、授業中の時間つぶしである。
- 楽しみや満足のためにする読書は「別の読書」であり、それは休み時間か学校の外でやることだ。
- この「別の読書」ができてそれが大好きだったとしても、学校の授業で単位を落とすことはあり得る。
国語教師としてはドキッとすることの数々
どうだろう。けっこう皮肉が効いていて面白い。僕と同じ国語科の教員ならドキッとすることもたくさんあるんじゃないだろうか。教科書や、教師が選んだ短い文章を精読する日本の国語の読解の授業の基本スタイルの負の特徴を、このリストはうまく表していると思う。すでに下記エントリで述べたアトウェルのリーディング・ワークショップは、このような授業への代替案を提案していることになる。 [ad#ad_inside]