[ITM]アトウェルはなぜルーブリックに批判的か

In the Middle読書日記。ここまで何度か、アトウェルがルーブリックに批判的だ、という話が出てきた。今回は、なぜそうなのかということについて、自分が思ったことをメモ代わりに書く。

参考)アトウェルがルーブリックに批判的なエントリ
 

[ITM] アトウェルが批判するもの(2)

2015.02.25

[ITM]授業中に「書く時間」を確保する意味

2015.02.09

 
 
結論から言うと、アトウェルがルーブリックに批判的なのは、アトウェル自身が書き手でもあるからではないか。


自分の文章をルーブリックを使って書く作家が、フィクションやノンフィクションを問わずいるだろうか。あるいは、自分の作品をルーブリックを使って善し悪しを判定されて、喜ぶ作家がいるだろうか。調べたことはないけど、どちらもちょっと考えにくい。

パフォーマンス評価の方法として注目されるルーブリックは、「学校の教室で」「教育活動をする人が」「評価をする方法として」たしかに便利なものではある。しかし、それはあくまで教師にとって便利というだけで、実際の読み書きやその受容のあり方からは遠くかなり離れている。ルーブリックは、教室の中でしか通用しないフィクションである。


もちろん、教育は教室の中で行うものだし、ルーブリックはそのために開発されたものなので、「ルーブリックが教室の外で通用しない」ことはルーブリックへの正面きっての批判にはならない。ルーブリック自体が教室の外で通用しなくても、ルーブリックを使って向上した生徒の作文能力が教室の外で通用すればいい話だ。

だから、ルーブリック自体の善し悪しはひとまずおこう。しかし、実際に日々文章を書いている作文教師であればあるほど、ルーブリックという発想に違和感を持つ傾向が、もしかしてあるのではないか。


Writing Voicesを読んでから、僕は「作文教師の作文観や文章創作経験がどのように実際の作文の授業に影響しているのか」について興味を持つようになったけど、アトウェルのルーブリックへの批判的態度も、その観点から捉えられるのではないかと思う。

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