[読書]オンライントークイベントに参加してきました。石井英真・編『流行に踊る日本の教育』

昨夜、『流行に踊る日本の教育』の著者の方4名と、この本についておしゃべりするオンライントークイベントにお招きいただいた。他の登壇者は石井英真さん(序章&第1章)、木村拓也さん(第8章)、杉田浩崇さん(第9章)、そして司会も兼ねた渡辺貴裕さん(東京学芸大学・第6章)。今日のエントリではこの本とトークイベントの感想を、記憶が褪せないうちに書いてみたい。

目次

全体的に穏当な印象の本でした

この本についてはやまもといちろうさんの書評が話題になっていて、賛否両論という事前の評判を聞いていた。また、facebookでもかなり辛い評価をしている知人もいた。でも、僕自身はそれでも「穏当な本」という印象を抱いている。経産省的な「未来の教室」的ヴィジョンに対して、「過去の日本の教育実践をヒントに、ちょっと立ち止まってみようよ」と言うような….。こういう「ツッコミ」を入れることこそ学者の仕事。やまもとさんが、ここでの筆者の提言を「執筆者個人の(根拠のない)感想」という受け止め方をされていたのに対しても、自分がすでに事前知識を得ている章については、「基本的な解説がまとめられている」印象を抱いていた僕としては、そうは思えなかった。

むしろ、すでに他の本を何冊か読んで「曲者揃い」の印象を持っていた著者陣なだけに、筆致についてもかなり抑制している印象の方が強い。名指しはしないけど、「この人、他の本ではもっといろいろなことを書いてるのに、なんか我慢してるのかな」と思った章も。そういう執筆者たちの抑制の反動がやや最後の座談会で出た感はあるけど、全体として「穏当」、事前の評判を聞いてから読んだのでちょっと肩透かし気味のところもあったほどである。

流行に踊っているのは日本の「どこ」?

これは、昨日のトークイベントの最後のクローズドな振り返りで、ある方が指摘していたことなのだけど、むしろこの本への大事な指摘は、『流行に踊る日本の教育』の「日本」とは一体どこを指しているのか、ということかもしれない。この本に並ぶ「キラキラした」言葉たち、例えば、「学びの個別化・共同化・プロジェクト化」なんて軽井沢風越学園も掲げているけど(笑)、仮にそういう言葉に踊っているとして、実際踊っているのは誰か。踊るだけの体力がある学校はどれだけあるのか。僕自身もずっと超進学校と言われる学校に勤務していて、今はまた特殊な学校に移ってきた経験から自己を相対化できないこともあり、そういう批判的視点は全く欠いている。ここにあるワードそのものを外国の言葉のように感じる現場で、日々奮闘している教師もたくさんいるのだろう。

トークイベントでは、6章(教師の研究)、9章(エビデンス)、8章(大学入試改革・高大接続)の3つの章について著者の方と直接おしゃべりでき、それぞれ「へえー」と思うことがあったのだけど、ここでは自分の大きな関心に絞って書く。

信念を強化する成長、変容する成長?

教師の研究というと、最近は「変容こそが学び」という文脈で、自己の実践や解釈フレームの問い直しが目指されているけれど(6章の著者の渡辺さんも基本的にそういう立場)、僕は、この「教師の成長とは変容」説には少し心理的距離もある。というのも、自分が授業をしていて手応えを感じる瞬間というのはあり、それがこの仕事のやりがいだったりもするのだが、それは基本的に自己の解釈フレームの強化を伴うからだ。例えば、作家の時間や読書家の時間をやっていて感じる手応えは、僕が仕事へ向かうエネルギーの源泉である。でも、この喜びは、作家の時間や読書家の時間という一手法への信念を強化し、自己を変容しにくくさせる側面を同時に持つ。実践をしながら、手応えを得ながら、信念を深めている。実践の手応えと「変容こそ学び」はどう両立するのだろう。

個人的には、手応えを得ることでの信念強化はマイナスというと、決してそんなことはないとは思う。教師の成長には自己の信念を強化する方向の成長もあって良いし、実際にある。渡辺さんがおっしゃるのも、それでも良いのだが、放っておくとそればかりになるので、あえて意識的にフレームの問い直しをしよう、ということなのではないか。その点では、軽井沢風越学園は、僕にとっては自分のフレームの問い直しをする機会にはたくさん恵まれている。

僕がこの「教師の成長とは変容」説に心理的距離があるもう一つの理由は、これを言っている人がなんとなくみんな似た顔ぶれなこと。無意識のうちに、特定の方向への変容が前提とされていないか、そこは気になっている。

エビデンスの棒でぶん殴り、しかも相手はノーダメージ…

あと、個人的に「あっ….」と思ったのは9章のエビデンスの章をめぐる話。この章はエビデンスの取り扱いについて基本的なことをまとめているパートで、前に別のところでエビデンスについて考える機会があった自分としては(下記エントリ参照)、問題意識を共有していたと思う。ただ、僕もレトリックとしてのエビデンスには警戒しているはずなのに、気がつくと自分もエビデンスの棒で人をぶん殴っていることに話しながら気づいた。しかも、相手がエビデンスとか全く気にしない教育信念の持ち主だと、殴ってもノーダメージでこっちが余計にイライラしているぞ、みたいな(笑)うん、ここは反省した…。

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トークイベント、隔週で続きます

僕は会話だと理解がなかなか追いつかないし話術もないのであまり面白いことを喋れる人ではないのですが(だからクラブハウスとか、絶対に自分の生息地ではないと思ってる。あんなのに手を出す暇があったら読書読書)、今回は自分にとって得るものがあって、お招きいただいて感謝しています。このトークイベント、次は第2回の3月12日(金)、第3回は3月26日(金)と隔週で続きます。申し込みはもう締め切ったけど、実はこのページからYoutubeLiveで視聴できるっぽいので、今からでも興味がある方は是非どうぞ。僕も一視聴者として見てみるつもりです。

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