少し前の話になりますが、2019年6月から一年間(12回)、東京学芸大学の渡辺貴裕先生と一緒に、「内外教育」誌で書評コーナー「良書発掘」を担当していました。個人的な備忘録も兼ねて、扱った本をここでまとめておきます。基本的には、紹介の前後にブログでも読書記録を書いてきた本ばかりです。
目次
現代日本の教育を考えるには欠かせないこの2冊
「内外教育」誌の読者は主に公立学校の先生方、特に管理職の先生たちということで、それを意識した選書が多かったかなあと思う。ご一緒した渡辺先生が変化球というか、ちょっと異なる分野から切り込まれることも多かったので、そういうときは教育系ど真ん中を選んだ。そういうかけあいも楽しかったですね。
中村高康「暴走する能力主義」と松岡亮二「教育格差」は、現代日本の教育を少し大きな視野から語る上で欠かせない本。今更「発掘」するまでもないかな?と迷ったのですが、多くの先生方に読んでほしいと思って書かせてもらいました。
いじめ、ブラック部活、不登校…身近な教育の問題を考える本
先生方に読んでほしいといえば、部活やいじめなどの生徒の生活に密着した話題も。荻上チキ「いじめを生む教室」、中澤篤史・内田良「『ハッピーな部活』のつくり方」の2冊は、いじめやブラック部活を生みやすい学校の風土を改めて捉え直し、具体的にどのようにすれば良いか処方箋を示してくれる。
同じく、学校や社会の風土を扱った作品としては、貴戸理恵「『コミュ障』の社会学」が面白い。不登校の問題を中心的に扱いつつも、僕たちが生きる社会の生きづらさを明瞭に切り取ってくれる。
授業や研修を見直す具体的な処方箋
直接授業に関係しそうな本を取り上げた機会は、意外に少ない。チャールズ・ピアス「だれもが<科学者>になれる!」は、いわゆる吉田新一郎訳本シリーズの一冊で、吉田さんの本だけにかえって紹介もしにくかったのだが、やはりおすすめ。探究的な学習を設計する参考になるし、理科の本のふりをして実は国語の本でもあるのだ。
ファシリーテションの本も1冊入れようと思って選んだのが青木将幸「ファシリテーションを学校に!」。授業や校内研修の改善などの実用に役立つファシリテーション本であることはうけあうが、同時に、ファシリテーションとは異なるあり方に惹かれる筆者の姿を見せてくれる点も興味深い。
「教えること」と「子どもを認めること」を考える2冊
特別支援教育や福祉の本も2冊取り上げた。赤木和重「目からウロコ!驚愕と共感の自閉症スペクトラム入門」と福森伸「ありのままがあるところ」だ。「子どもの視点で見る」ことの大切さとともに、「教える」と「ありのままを認める」ことの間に僕を置く。それは不安定な、居心地の悪い状態ではあるが、この仕事をする上で向き合わねばならない矛盾でもある。
教育以外の本から得るものも大きい!
直接教育を題材にしていなくとも、教育の参考になる本も多い。諏訪正樹「身体が生み出すクリエイティブ」は「創造性」を、冨永京子「みんなの『わがまま』入門」は「社会運動」をテーマにした本だが、学校教育への応用可能性がとても大きい。諏訪本は、学校教育で「創造性を育てる」時にできること/できないことは何なのか、冨永本は、学校がいかに「社会運動をしない主体を育ててきたのかを教えてくれる。
近藤雄生「吃音」は、吃音治療をしようとする人々を追ったノンフィクション。それを今回の連載で取り上げたのは、吃音治療をしようとする一人の言語聴覚士・羽佐田に心を揺さぶられたからだ。自身も吃音を患っていた彼は、患者のため以上に自分のために訓練をしている。自分が吃音を完全に克服するため、そして吃音に苦しんだ自分の過去を清算するために。近藤の筆致は、そんな羽佐田のひたむきさに共感を寄せつつも、どこかその「教育」のいびつさも描いていて、そこがたまらなく魅力的だった。
一年間、ありがとうございました!
というわけで合計12冊。毎月1冊探して書くのはなかなか大変だったけど、新しい本を必死に探すきっかけにはなるし、また、こういうお仕事があれば引き受けてみたいなと思うくらい、楽しい経験でした。何より、書評チームのfacebookグループで、現行の下書きに渡辺先生たちからいただくコメントが刺激的で、そこが一番緊張したんじゃないかと思います(笑) 心残りがないわけじゃなくて、小説と、あと学校図書館関係の本は、どこかで入れたかったのだけど、書ききる前に時間切れになってしまったのが残念。でも、それも含めて一年間、良い経験をさせてもらいました。どうもありがとうございました。もし連載を読んでくださっていた方がいたら、改めてお礼を申し上げます。