In the Middle読書日記。下記のエントリの続きで、アトウェルは回想録のレッスンをどう組み立てているのかという話。クラス全体の評価基準を作った後のアトウェルのミニレッスンが、ちょっと面白かった。自作の「よくない回想録」の例を見せるというのだ。「悪いお手本」である(p429)。
Nancie Atwell
Heinemann (Txt)
2014-11-05
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悪いお手本を見せることのメリットは、生徒にとっても教師にとっても時間が節約できることだ。そしてもちろん、生徒の作品を悪い例に使うことはやめた方が良いから、悪い例を見せる時にはどうしても教師が作ったものを、ということにもなる。
生徒にも、このミニレッスンは好評らしく、最も役立ったミニレッスンにあげている生徒もいる。また、アトウェル自身も、この悪いお手本を批評する生徒の言葉に、最初のジャンルである詩で学習した語彙や視点が含まれていることに、喜びを感じているようだ。
さらに、この「悪いお手本」を使ったミニレッスンのフォローアップとして、アトウェルは同じテーマで今度は全力を尽くして書いた自分の文章も見せている。そして、前回のエントリで書いたことと同様に、やはり小グループで話し合って評価基準を作らせている。ここまでやってから、ようやく「書き出し」という具体的に書く技術の説明をする段階に進むのだ。
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驚くのは、アトウェルが、回想録の具体的な書き方のレッスンをする前に、ここまで時間をかけて授業を展開していることだ。ここで重視されているのは、「生徒が自分で評価基準を作るプロセスを用意すること」である。生徒が自分で自分の基準を作り、それに納得すること。それは、教師がルーブリックを与えることよりもずっと効果的だとアトウェルは言う。「良い作品を作るのではなく、良い書き手を育てる」というライティング・ワークショップの理念が、ここにも反映されていると感じる。
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ところで、僕は基本的に「悪い例」をわざわざ作ってみせることには批判的だった。それは、そういう作為的で不自然な文章をわざわざ作ることよりも、大人が自分で頑張って書いた文章を読ませたり、そのように文章を書いている姿を見せることのほうが、よほど大事だと思うから。大人と子どもでは視点も違うし、どうせ自分が名文を書けるはずもないので、自分が頑張って書いた文章でも改善点はいくらでもあるとも思っている(し、実際にそうである)。
しかし、アトウェルの場合は「悪い例」だけを示すのではなく全力を尽くして書いたものを示しているし、何より常日頃から自分の書いている文章をミニレッスンの素材として読ませてもいるのだから、僕の批判は彼女にはあたらないのかもしれない。
(参考)アトウェルが自分の書いた詩を使って行うミニレッスン