鳥羽和久さんは、長年学習塾を経営している経験をふまえての教育論でよく知られている。ベストセラーの『おやときどきこども』『君は君の人生の主役になれ』はもちろん、最新刊の『それがやさしさじゃ困る』も早くも評判だが、それを読む前に僕が手に取ったのは、「まったくあたらしい紀行文学」と帯に書かれた『光る夏 旅をしても僕はそのまま』という本。著者の初めてのジャンルである。
文章の中身とは関係がないことだが、本書を手にとって、まず表紙や口絵の絵画が鳥羽さん自身の手によることに驚いた。絵も描ける人なの? 絵の素人の僕でもわかるみごとな絵。何より人物の目がいい。力のある子供の目、生気をうしなった生首の目、暗闇の中で全く見えない兵士の幽霊の目、そして後ろ向きになっている少女…。隠されたものも含めて、目の力を感じさせる絵に圧倒されながら本のページをめくる。
本書全体に漂う「収まりの悪さ」
第一章、第二章と読み進めていくうちに、紀行文としての本書の特徴というか、独特の魅力が見えてくる。それを一言で言えば、「収まりの悪さ」だ。鳥羽さんは、目の前の風景や人を細かく想起して生き生きと書いているのだが、通常ならもっとエモーショナルに描けるところで身を引いたり、目の前の人物に親しさを覚えた直後にその人物への違和感に冷めていたりすることがままある。そういう筆者の姿勢は、例えば次のような文章に表れている。
僕はその衝撃的な話を聞きながらも、意識がどこか上滑りしているのを感じていた。頭の半分は熱心に翻訳しようとしているのだが、もう半分は妙に冷めていて、まだ見ぬ別の聖堂のことを考えていた。(「受難のメキシコと今村」p107)
子供がいない「僕」の不幸を嘆き、子が生まれることを祈るメネラオスに対しては、筆者はひそかにこう反発する。
だが、もし僕にとって結婚というものがひどい病気のときに処方される薬を意味していたとしたらどうする。子どもを持たないことが愛の選択であったとしたら、あなたはその嘆きをいったいどこに仕舞ってくれるのか。(「その男メネラオス」p176)
他でも筆者は、バリ島で仲良くなった男がその後に急に金を無心してきた時には警戒をふくんだ返信を送り(「バリ島のゲストハウス」)、アッシジの街で筆者に「フルノミノルさん」からトバカズヒサさんのことを聞いたと言ってくる女性には、「僕は本当にミノルさんのことを知らないのです」と告げる(「アッシジ、小鳥への説教」)。こういう、紀行文ではむしろ「雑音」として処理されそうなエピソードがもたらす「収まりの悪さ」が、本書には各所に散りばめられているのだ。まるで、
パリの空は曇っていた。あるいは曇っていなかったかもしれないが、僕の胃腸はその日、明らかに壊れていた。つまり、曇っていたのかもしれない。(「オルセー美術館のサイ」p111)
と描写される空のように、この紀行文の記述のしばしばで、僕たち読者はどっちつかずの気分に宙吊りにされてしまう。筆者と対象の間には、美しいだけの感動や相互理解の物語は成立しない。
世の中の「近ければ近いほどいい」という判断は、おそらくことごとく間違っている。「近づきすぎないこと」を人生の標語にしたい。(「ハワイの神々の囁き」p198)
と語る筆者は、この紀行文でも全体を通して、対象に「近づきすぎない」姿勢を保ち続けているのである。
「近づきすぎない」批評的スタイル
僕にとって、この筆者の「近づきすぎない」記述スタイルは、『おやときどきこども』や『君は君の人生の主役になれ』で浮かび上がる筆者像に色濃く重なる。例えば『おやときどきこども』の中で、筆者は「白黒つけることより矛盾のほうがほんとうならば、その矛盾ととことん付き合ってみよう、それをよく噛んで味わってみようと最近は考えるようになりました(p147)」と自らの姿勢を明らかにする。また、『君は君の人生の主役になれ』では、親を厳しく批判もすれば、赦しもする。そういった対象に対する姿勢は、「曇っていなかったのかもしれないが、曇っていたのかもしれない」パリの天気を想起させる。
「近づきすぎない」とは、対象に没入せず、批評的距離を保つということだ。そういう意味で、本書の中でみずみずしい筆致をふるう筆者は、同時に徹底的に批評的である。それは、単に旅の中で出会った人物に対してだけではない。先のパリの天気の箇所のように自分の記憶に自信がないことを明記するあたりは、筆者は「語り部」としての自分自身にも批評的である。そもそも本書に収められた紀行文のうち、もっとも古いものは2008年に訪問した旅をもとにしている。おそらくは、ここに記された出来事は、原理的にも実際にも過去そのものではないだろう。それはもしかすると絵筆の助けも借りながら、筆者によって解釈され、いまふたたび生き直され、創られている過去である。「収まりの悪い」エピソードをあえて書くことで、「過去の物語化」に抵抗しているのは、筆者自身もその限界に自覚的だからではないか。
「紀行文学」批評としての紀行文学?
帯文にある「まったくあたらしい紀行文学」が、実際どのような意味で「まったくあたらしい」のかは、正直なところ、僕にはわからない。単に僕が紀行文学をあまり読んできていないので、どうにも判断できないのだ。しかし、そんな僕でも感じるのが、本書がもしかして「紀行文学」に対する批評をはらんだ紀行文学ではないかということ。対象を書き手の権力を行使して自己の物語の中にとりこまないように、ストーリーを部分的に破綻させる「収まりの悪さ」を各所で書いていく。それによって、ぎりぎりのところで「紀行文学」であることを回避しようとしている。そう、それはまさに文学的な営みだ。
たぶん、僕たちの日々の現実には、こういう「収まりの悪さ」がたくさんあるのだろう。僕らがしばしば自分に都合よく目をふさいでしまう、その「収まりの悪さ」を、筆者はこれまでも教育論の仕事で正面からとりあげてきた。その批評的姿勢が、この紀行文全体を貫いている。副題にあるように、「旅をしても僕はそのまま」なのである。
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