鹿毛雅治『モチベーションの心理学 「やる気」と「意欲」のメカニズム』を読んだ。学校教員なら、児童生徒のモチベーションをどうやったら高められるかに関心を持たない人はいないはず。僕も、同僚のようへい(佐々木陽平さん)がこの本を読んでいるのに触発されて手にとったのだが、面白い本だった。メモを取りたいこともたくさんあり、その一部だけこちらに書かせてもらう。もちろんおすすめの一冊です。
目次
モチベーションの「複雑さ」が概観できる本
この本、のっけから「モチベーション研究の隆盛を支えてきたのは、人をコントロールすることに対する関心やニーズだった」(p2)と書かれてて、こちらの内心を見透かされる思い。苦笑しながら読み進めるが、モチベーションの定義(第1章)やその理論(グランドセオリー)の展開(第2章)に始まり、それだけでは説明できない現代のモチベーション研究の多様性が、5つのミニセオリーの紹介を通して見えてくる、という構成だ。そして、この5つのミニセオリーがいちいち興味深い。
- 目標説:適切な目標の設定がモチベーションを高めるという説
- 自信説:成功する見込みがあることがモチベーションを高めるという説
- 成長説:人間には元々成長しようとする動機があるのだという説
- 非意識説:意識に上らない習慣などの自動化されたモチベーションの役割を明らかにする説
- 環境説:場やシステムなどの外的要因がモチベーションを生み出すという説
断っておくと、もちろん「どれかが正しい」わけではない。例えば教育界隈だと「成長説」の考え方に人気がありそうだが、そう単純な話ではないのだ。筆者が後段で解説するように「モチベーション理論の背景には、人間をどのような存在ととらえるかという「人間観」が潜んでいる」(p340)。そして、人間存在が複雑で多面的である以上、モチベーション理論も複雑にならざるを得ないのだ。このことがわかるだけでも、本書を読む価値がある。
自律化する外発的動機づけ
さて、以下は僕の個人的関心に触れた部分から。まずは「自律化する外発的動機づけ」という話だ(p213)。通常、外発的動機づけというと「行為自体への興味ではない」「仕方なくやらされる」意味合いがあり、特定の人間観を持つ人からは内発的動機づけよりも一段低く見られる傾向がある。しかし、学校という場において全てが本人の行為自体への興味=内発的動機づけで学べることなどあり得ない。とすれば、僕ら教員に必要なのはいかに外発的動機づけを使いこなすかという技術なのだ。
その観点で、本書の有機的統合論では、外発的動機づけを「自律性の度合い」に応じて「外的調整」「取り入れ的調整」「同一化的調整」「統合的調整」の四段階のモデルで捉えている。つまり、「外発的動機づけの内発的動機化」への道を示しているのだ。そして、こうした自律化へのプロセスをサポートするのが、次の3つの社会的文脈(p211)だという。
- 自律性サポート:他人の行動をコントロールしようとしたり強制したりするのではなく、彼らの自律性を支援しようとすること
- 構造:環境側の提供する情報が無秩序でも不明瞭でもなく、達成結果へと導く有意味な情報を含んでおり、達成へのサポートを提供するような構造を備えていること
- 関わり合い:対人関係が敵対的なものではなく、思いやりのあるものであること
こうした知見は、僕ら教員を大いに勇気づけるものだ。全てが子どもの興味から始まる必要はない。そうでない動機から始まったものも、適切なサポートがあれば彼らに「内在化」させることはできるのである。
モチベーションという語の「息苦しさ」
そのほかにも、本書では、報酬システムの問題点(p262)や、フィードバックの中でも「方略フィードバック」が効果があるという話(p279)など、特に教育関係者には興味深い話がたくさん並んでいる。だからぜひ読んでいただきたいのだが、それらを差し置いて、ここではもう一つだけ印象に残ったことを書こう。
それは、本書の「終章」に書かれた、モチベーションという言葉の持つ「息苦しさ」である。モチベーションとは、一般的に何か(能力・資格・肩書き・実績など)を「得る意欲」や何か(実力者など)に「なる意欲」を指す。そのため、モチベーションとは「達成」と結びつく未来志向の言葉であり、時に「今を犠牲にしても未来のために頑張る」息苦しさとも無縁ではない。
しかし、そのような視点でモチベーションを語る時に軽視されるのは、(未来志向ではなく)「今、ここ」を充足させようとする「生活の意欲」である。筆者は、目の前の当たり前のことを当たり前にやろうとする「誠実さ」のことを「居る意欲」と名づけて、これが結局は達成の基盤であると論じている。そして、こうした「今、ここ」のモチベーションを支えるのが、身体的・心理的コンディションが良好に保たれるような環境なのだという。その環境は、人間の非意識に働きかけ、モチベーションの社会的伝染(ある人の感情や態度や行動が、意図や意識をともなわずに、別の人へと広がる現象)を起こし、達成へとつながっていく(p335)。僕の理解で平たくいうと、「ご機嫌に日々を過ごすことが、達成の基盤になる」のだ。終章になって「未来に向かって努力する」系のモチベーション理論を相対化するような話が出てきたのは、個人的にとても印象深かった。
風越学園の校舎とモチベーション
この話題を、僕は風越学園の校舎のことを想起しながら読んだ。校舎の建築も、立派な環境だが、風越学園の環境は、子どもたちの意識や無意識に何を働きかけて(モチベートして)いるのだろうか。
率直なところ、何事かを意識的に「なす」「なる」系の取り組みと風越学園の校舎は、あまり相性が良くないと感じる。というのも、遊環構造を持つ風越学園校舎は、視覚的にも聴覚的にも多刺激で、「落ち着いて何事かに向かう」のには正直向いていないからだ。意図的に何かを教えるのだったら、普通の学校の校舎の方がよほど向いている。その辺の思いはこちらのエントリにも書いた。
しかし、子どもは、自身や教員の意識的な働きかけのみで育つわけではない。例えば、風越の子は年齢が上がるにつれて寛容の度合いが増していく傾向が指摘されているが、それは別に「寛容になりなさい」と教えられた結果でも、「寛容になろう」と意図的に思った結果でもなく、異学年ホームがある風越の環境が彼らの無意識に訴えた結果なのだ。
それと同様に、風越の校舎環境が子どもたちの無意識に働きかけているものはきっとある。見通しの良さやつい動きたくなる構造が生む偶然の出会いだったり、隠れられる場所が多いことだったり…風越の校舎が、「落ち着いて学ぶ」には向かなくとも、子どもたちにとって居心地の良い場であることは間違いない。そして、そういう「今、ここ」志向の居心地の良さ も、広義のモチベーションとして達成の基盤になるのだ。とすると、一見勉強に向いていない校舎が、実はそれを根っこで支えている可能性にも思い当たる。果たして本当はどうなのだろうか。無意識に働きかける場の力に、もう少し自覚的になりたいなあと思った。
モチベーションの入門書
最後は風越学園の校舎に話題が逸れたが、こんなふうについ身の回りのことと引き比べながら読みたくなる本だ。人間が複雑であれば、モチベーションをめぐる議論も自ずと複雑になる。しかし、研究の蓄積によって、確かに支持される傾向もある。モチベーションについて多方面から切り込んでいる本書は、少なくとも僕と同業の方であれば、興味を喚起する話題が盛りだくさん。ぜひ手に取ってほしい一冊だ。