[読書]独学を支援する人の手引き書でもある。読書猿『独学大全』

この冬休み、読書猿さんの『独学大全』全752ページを一気読み。タイトル通り、独学のための百科事典である。この種の本としては異例の(前例もあまりなさそうなのでこの表現も変かな…?)ベストセラーなので、どんな本かという紹介はたくさんあると思う。ここでは、あくまで僕の視点でまとめておきたい。

目次

どうしたら学び続ける人になるのか?

この本は、独学をしたい人のための本だが、独学を支援する人のための本でもある。独学を支援する人、それは僕たち学校教員だ。よく言われるように、教員の仕事が「生徒が自分の存在を必要としなくなること」なら、自ら学び続けるための独学の方法を生徒に手渡すことは、僕たち教員の大切な仕事である。

では、どうしたら子どもは自分で学び続ける人になるのだろう。動機づけられれば子どもは勝手に学び出す、というのは、あまりにバラ色の、実際の人間を無視した夢想だ。これまでの認知心理学の研究の知見は、人間が好奇心が強い一方で、飽きっぽく、面倒臭いことを嫌がることを示している。多くの子にとって、好奇心だけでは学習は続かない(下記文献参照)。

[読書]認知心理学の成果を教育現場に活かす。ダニエル・ウィリンガム『教師の勝算 勉強嫌いを好きにする9の法則』

2019.05.01

モチベーションは学び出すには効果的だが、学び続けるにはそれだけでは足りない。また「やる気が上がる→やる」のではなく、「やる→やる気が上がる」というのも、よく知られた研究知見だ。自分で学ぶ、学び続けるのに必要なのは、モチベーション以上に、人間の認知特性を踏まえた「学習に向かい続ける仕組み」なのである。

自分でコントロールする仕組み

この点、従来の学校教育は、確かによくできている。時間ごとにリフレッシュされ、必要な学習事項を用意した時間割。閉じられた教室という空間。学習に向かう合図としてのチャイム。前を向いて整えられた机や椅子。周りの人も同じことを学ぶピア・うレッシャー。そして宿題。これらは、確かに子どもたちが「学習に向かい続ける仕組み」である。ただし、子どもたちが自分で自分をコントロールするのではない。空間構成や時間管理、ピアの存在などの外部の力によってコントロールし、子どもが学習を継続できるようにするのだ。

さて、僕の勤務する軽井沢風越学園では、チャイムも、閉じた教室も、固定された時間割もない。いわゆる学校的な、子供を外部からコントロールする仕組みに乏しいのだ。授業をしている実感としては、こうした道具立ての乏しさが子供たちの学習姿勢にも影響しているように感じる。チャイムがなくて時間に集まってくれないとか、子どもが自分で決めた時間に授業に来てくれないとか、みんなでこっちを向いてくれる机がなくて床に座ってる生徒たちに授業をするとか、授業者としては正直「ハンデだな」と感じる場面も多い

でも、見方を変えれば、こういう「外部からコントロールする」仕組みが乏しい風越学園でこそ、子どもが自分で自分の学習を管理できる仕組みが求められている。もちろんそれは学校が目指す「自分で自分の学びを作る」「自由な人になる」上で必要なことでもある。そうでないと、国語・数学・英語はもとより、子供が自分で学びたいことを見つけて探究していく「セルフビルド」の時間も充実しない。独学のためのスキルを知り、それを子供達に適切なタイミングで手渡していく、それが、僕たちに求められるスキルなのだろう。

最大の壁「続けること」をどう乗り越えるか

どんな学習も始めるのは簡単だが、続けるのが難しい。身内自慢だけど、僕の妻はものすごく学習が得意な人だ。去年から始めたDuolingoのスペイン語を、毎日コツコツと続けていたら、年末には獲得ポイントが世界Top1%に入ってしまった。逆に言えば、毎日継続できるだけで、上位1パーセントに入ってしまう。それくらい、人間にとってコツコツ続けることは難しい。

というわけで、独学大全の第1部は、学ぶことの最大の壁である「続ける」を支援する様々な手立てについての章である。動機付けを高め、時間を確保し、継続するための様々な手法が紹介されている。とりあえず作業を始めてしまう「2ミニッツ・スターター」や、日常の習慣に結びつける「習慣レバレッジ」は僕も似たようなことをやっている。風越の子は、どれが合うんだろうな。きっと、人によっても違うだろう。どんな風にやり方を提案するといいんだろう。そんなことを考えながら読んだ。スタッフの役割は、時にゲートキーパーとなり(やがてはそれもピア活動に組み込んで)、こうした独学の方略を子どもたちが使うのを支援し、ともに振り返ることにあるのかもしれない。

第2部は、調べるための技術

第2部は、風越学園で本格的に使うにはちょっと難しいかもしれない。中心になるのは、レファレンスツールを用いた文献調査の技術だ。でも、個人的にはとても親しみがあって、大学時代を懐かしく思い出した。もう20年以上も前なのだけど、大学4年生の時に、大学きっての「鬼」教官として有名だったK先生(古事記の研究者)の文献調査法の授業をとったことがある。好奇心でとってしまったら初回の授業の出席者が僕と中国人研究生の2名だけで、もう逃げようがなかった。毎週、徹底的に書誌を調べる授業で、当時はこの授業が生活の中心になるくらいハードだったのだけど、とにかく「自分が思いつく程度のことは、ほぼ必ず文献がある」「文献が見つからない時は、自分の探し方が悪い」という確信が持てた授業だった。『独学大全』第2部は、レファレンスツールについての情報が詳しく、その時の授業を懐かしく思い出す内容だった。

なお、同じ第2部にある、文献をまとめる方法としての「要素マトリクス」は、読書猿さんのウェブサイトにあったのを見て、イギリス留学中に修士論文を書く時に実際に使わせてもらった。これは本当に役に立つ先行研究のまとめ方だった。何しろ、論文の要素ごとにソートして先行研究を整理できるのが素晴らしいのだ。先行研究を自分の関心に沿って整理するプロセスを実行する上で、これ以上有益なまとめ方を僕は知らない。英語を読むのが苦手だった僕にとっては、いったん論文の内容を打ち込んでしまえばこのマトリクスだけを見れば良いのも助かった。これから卒論や修論を書く学生さんには、悪いこと言わないから要素マトリクス作ることをおすすめします。

とまあ、個人的には色々と思い出を刺激された第2部だけど、中学校までの風越学園では、十分には活用できないかもしれないな。

読む技術、プロジェクトの中で教えないとな…

第3部では、「読む」技術を中心に扱っている。文学の授業での読み方というより、調べる際の読み方で、風越だとプロジェクトの中でこういう読み方をちゃんと教えないとな…と反省した。まだまだ全然できていないや。これまでも、生徒の文献調査をその場その場で手伝ってはいるのだけど、それだとそれを技術として十分にて渡せていない。予読、スキミング、考えるための外部ノート….。調べる時にどんな読み方をすべきなのか、もっと積極的に教えたいことだと思う。この本を参照しながら、カリキュラムに組み込んでいきたいのだけど、実際どうすればいいのかな。ここはまだうまく決定打が見出せない感じ。

また、復習をモジュールとして定期的学習の中に組み込んでしまう35ミニッツ・モジュールは、それこそ風越の子が受験勉強する時に使えそう。Ankiのようにスペースド・リハーサルの考え方を使ったアプリの存在は知っていたけど、こういうやり方もあるんだな。

書物の優位性は、待ってくれること

そんな風に、「ここは風越でも使えそう」「ここは自分の授業で足りないところだな」と考えながら読んでいた。楽しい読書だった。最後に、一番印象にところをあげよう。インターネット時代における書物の意義を論じた箇所だ。

しかし過去とは、二度と省みられない廃棄物なのではない。それは、我々の現在を支える大地なのだ。焦りに我を失い、浮わついた自身に気付いた時、自分がどこへ向かっているのかさえ見失った時、再び現在という地表を踏みしめるために、書物の遅さ・変わらなさは救いとなり恵みとなる。

ある部分で未来を追い求めていても、それ以外の部分では、人は旧態依然とした存在にとどまらざるを得ない。書物は、人の改訂されざる部分を、静かにいつまでも待っていてくれる。

書物は、「遅く、変わらない」メディアだからこそ、過去と現在をつないでくれる。同じ書物をめぐって、遠くの人と時空を超えて話をすることもできる。いい言葉だ、と思った。よく考えると、こういうことを、20年以上も前に、僕は大学の授業で学んだはずなのだった。人文系の学問を学んだ意味って、そのはず。

『独学大全』、第二部を読んでいてK先生を思い出したように、どこか懐かしい、学問への憧れや敬意を抱いていたころを思い出させてくれる本だ。まるで、マスター・キートンの「屋根の上のパリ」を読んだ後のような、懐かしく、ちょっと痛みをともなう読後感。それを抱えながら、僕は、今の場所でできることを頑張ろうと思う。自分が学び続けることと、学び続ける人を育てること。その2つ、頑張ろう!

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