石田喜美(編)『集団で言葉を学ぶ/集団の言葉を学ぶ』は、学校を主とした言葉の学習の場での人々の関わり合いを論じた論考のならぶ論文集。学びを個人の中でとらえず、人と人との相互作用、人と道具との相互作用の中で生起するものという関係論の立場にたち、教室で何が起きているのかを丁寧に記述しているのが印象的だ。そして、そこにあるのは、教室の出来事をより豊かに語ろうとする記述者たちの意思である。
教室の出来事をどんな言葉で記述するか?
まず、読んで目がさめるように感じたのが、序章に掲げられた、本書全体に通底する次のような問題意識である。
「個別最適な学び」「協働的な学び」という語が、私たちに、個/集団という二分法によって教室での学びを捉えることを促してしまうように、私たちの教室に対する見方は、それを見るための言葉、語るための言葉によって貧しくも、豊かにもなりえる。(石田喜美「序|集団に埋め込まれた言葉へのまなざし」)
本当にその通りだと思う。教室の中で起きている、名付けられる前のただの「できごと」。それをどのように記述するかによって、そこから無数の異なる意味を僕たちは編むことができる。そして多くの場合、僕たち教師は教師の見方で、あるいはそれを叙述するための言葉で記述しがちだ。たとえば「目標」とか「評価」とか「達成できる/できない」「やる/やらない」などの言葉を使って。そこではしばしばアクションを起こすのは教師であり、生徒はそれに対して情報を受け取り、課題を遂行する受動的な立場として語られる。そうした語り方からは、名前と教室の場所を変えただけで、事前の指導目標をどの子がどれくらい達成できたかというような、いってしまえば単調な解釈や記述しか生まれてはこない。
より豊かに語るための「関係的な視点」
本書が全体を通して提案しているのは、そうでない、教室の中のできごとをより豊かに語るための語り方である。第1章「教室での出来事を記述する言葉(伊藤崇)」では、生徒が決して受動的な存在ではなく授業を成り立たせている一方のアクターであることを示したあとで、教室内のできごとを「授業」以外の枠組みで語ることの可能性が提示される。それを受けた第2章「集団での言葉の学びはいかに成立するのか(髙岡佑希)」では、生徒にとって教室は学習課題の場であると同時に、学級内の人間関係を構築・維持する社会的課題を遂行する場でもあることを受けて、その観点から、教室内の教師・生徒、生徒同士の会話が分析される。特にこの第2章は印象深くて、例えば僕の「読書家の時間」でも読書に集中しないでおしゃべりばかりしている(と僕からは見える)児童たちがいるのだけれど、彼・彼女たちから社会的課題の遂行の場としての読書家の時間を記述したら、まるでちがった風景が描けるのだろうと思えた。
他にも、「論理的」とされる感覚が社会や集団の歴史に埋め込まれたものであり、教室において「論理的」というコンテクストが集団で作られていることを指摘した第3章「歴史・社会・文化の中のリテラシー(石田喜美)」、教室での集団の読みが社会的文脈の中にあることを指摘しつつ、クィアという別の視点を導入することで抑圧されて不可視化された声を浮かび上がらせようとする第5章「個-集団の読みを変革する(吉沢夏音)」、アクターネットワーク理論に基づいて、主体性を人間だけでなく道具も含めたハイブリットな集合体としてとらえなおす第8章「ハイブリッドな集合体という視点(青山征彦)」など、「こういう視点を導入すると教室のできごとはこう語れるのか」というヒントに満ちた論考が並ぶ。
いずれも、言葉の学びが集団のなかで生起することもそうだが、それ以上に、こうした視点で語ることでその姿が浮かび上がってくる、その語り方が印象深い。さまざまな文学理論で読むと一つの作品でも多様な切り口があることを思い出した。自分はふだん授業をどのような語り方で語っているのだろう、別の語り方があるとしたらそれは何だろう、ということを自然に考えてしまう本だ。
大人の実践コミュニティの記述、面白い!
その中でも個人的に出色だったのが第6章「読むことと書くことの集合的な学び(岡部大介)」。ファンコミュニティのような、大人の読むことと書くことの実践コミュニティの記述が扱われた章なのだが、ふだん目にするのは学校教育における「書くこと」の場だけに、「なるほど、こういう場も書くことの研究のフィールドになるのか」ということも含めて面白かった。僕自身は学校の教室に身を置く人間だが、そこが「学校」である以上、どうしても自分は「権力者」であらざるをえないし、子供達はさほど自由でいられるわけではない(もちろん子供だって勝手に抑圧されるだけでなくその余白を狙って遊んだりよろしくやっているのもまた、この本が示す通りであるのだが)。それよりも比較的自由な大人の書くことの現場でどんなことが起きているのかは、個人的に興味があるのだ。趣味的なライティング・サークルや、小説投稿サイト、アカデミックな論文を書くコミュニティ…そういう場でどんなことがおきているのか、ぜひ知りたい。こういう分野の論文、もっと読んでみたいな〜。
教育的語りからこぼれ落ちるものを描く
というわけで、言葉を学ぶ現場でおきている、人々のあいだの「できごと」そのものに焦点をあてた本書は、「目標と評価・達成」のような教育的文脈の語りからこぼれ落ちてしまうものを、生き生きと描いてくれる。単一の語りに収斂しがちなぼくたち現場教師が読めば、教室はほんらい無数の語りが生起する場であることが思い出されるだろう。こういうアプローチ、社会的・文化的アプローチっていうらしい。「書くことを教えること」や「教育」よりも、どちらかというと「書くことそのもの」に興味がある僕は、こういうアプローチ好きだな。書くことの現場でどんなことが生起しているのか、自分も単一の語りに絡め取られずに、より豊かな語りができるようになりたいと思った。
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