12月に入ってしばらく入ってしまい、久しぶりの更新は11月の読書エントリ。この夏から続いた「登山読書ブーム」もひと段落して、読書ジャンルとしてはなかなかバランスのとれた一ヶ月だった。なかでも、ベストにあげた『逃れの森の魔女』は、出会えてよかったと思う名作。超のつくおすすめの一冊だ。
目次
今月のベストは「ヘンゼルとグレーテル」のパロディ
今月のベストは、ドナ・ジョー・ナポリ『逃れの森の魔女』。実はいまテーマプロジェクト「パロディ演劇」のメイン設計担当者をしている関係で手に取った本で、あの「ヘンゼルとグレーテル」のパロディである。お菓子の家の魔女を主役&語り手にした作品で、娘思いで人々の病気を治していた醜い女魔術師が、油断から悪魔の侵入を許し、娘の命を守るために悪魔と契約を結んでしまう。そして、人里離れた森で暮らすも、そこにヘンゼルとグレーテルがやってくる…という展開。自分にとりつく悪魔から自分の精神を守り、愛するわが娘を、そしてその代理とも言えるヘンゼルとグレーテルをぎりぎりまで救おうとする、「わたし」の心情が本当に切ない。魔女に肩入れて読んでしまう傑作。
テーマプロジェクトつながりでは、ユージーン・トリビザス『3匹のかわいいオオカミ』も面白い絵本。レンガの家からどんどん過剰になっていく前半の展開も面白いが、前半の展開を裏切るような最後の逆転もいい。パロディの面白さが詰まっている絵本だ。
『同志少女』より好きかも!『歌われなかった海賊へ』
逢坂冬馬『歌われなかった海賊へ』は、あの『同志少女よ敵を撃て』の作者の次の作品だが、もしかして同志少女より好きかもしれない。ナチの支配をこばみ、自由を得ようとした3人の10代の子供たち、ヴェルナー、レオンハルト、エルフリーデ。この3名が爆弾好きの少年「ドクトル」などを仲間に加えて、強制収容所に続く線路の爆破を目論むのだが…という話。この作品、子どもの周囲の大人たちがみな自分の命や地位を守る方向に動くのだが、それを責める気にもなれないのは、僕もその場だったらそうするからなのかな….。タイトルの通り、歌は歌われなかった。でも、その場では歌えなくても、希望をつなぐ結末なのも素敵だった。
安房直子『春の窓』は、地元で開かれた読書会に参加するために読み直した本。安房直子の本を読んだことは、2023年の最良の「再会」だったのだが、この日は安房直子の本についてみんなで語る一時間半という、とても幸せな夜を過ごしたのだった。安房直子の作品の魅力を、ぼくはつい人の失敗や欠落を描くところに求めがちで、この短編集だと「日暮れの海の物語」がその極北なのだが、一方で妻が好きな「ゆきひらの話」のような、おいたおばあさんが子供の頃に戻れるような話もあって、そんな明るさをイメージさせる作品もたしかに多い。不穏で、安心して、不思議な魅力のある作品群だ。
作文教育にも参考になる2冊!
11月はノンフィクションの本も何冊か読めた。作文教育の観点から参考になったのは、小沼理(編)『みんなどうやって書いてるの? 10代からの文章レッスン』と、三宅香帆 『「好き」を言語化する技術』の2冊。
前者は10代に向けた、いろんな書き手の文章術本。石山蓮華「好きからはじめてみよう」での、電線が好きな理由を言語化できるまでにひたすら電線の写真をとった、というエピソード。古賀及子「根性を出そう、五秒を見つめて、繊細にユニークに書こう」での、行動をまず先に起こすことや、五秒間のことを200字で書くなどの提案。これらは、結局のところ「書くことは外からやってくる」という発想なのだと思う。
一番印象深かったのは、頭木弘樹「「わたし」のことがいちばん描きにくい」。とりわけ、「パターンから抜け出すにはさまざまなパターンを知るしかない」のところは、自分と考えがよく似ている。子供にも、たくさんのパターンを身につけてほしい。また、筆者の言う「言語隠蔽」の怖さ(いったん言語化すると、言語化できなかった要素が消えてしまい、もとの写真や映像を忘れてしまう)を自覚しているかどうかは、それでも言葉で表現するときにとても大きな影響を与えるだろう。
後者は、「好き」を言語化するための技術を書いた本。一番参考になったのは穂村弘の「共感と驚異」をひいて、「好き」の中身をこの2つのどちらかに分類し、共感の場合は「自分の体験との共通点を探す」「自分の好きなものとの共通点を探す」、驚異の場合は「どこが新しいのかを考える」など、パターンを提示していること。好きなものの具体例をあげて、この共感か驚異のどちらかで書くだけでも、だいぶ違うかもなあ。そして、本書の構成が、最初に「クリシェを使わない」「他人の言葉に支配されない」ことから始まりつつ、最後はお手本を真似することを書いている点が面白い。クリシェ、他人の言葉というものと、自分オリジナルの言葉との単純ではない関係性が、こういう構成からも垣間見える。本書は書くことの教育に関心のある国語科教員ならそう目新しい主張こそないが、それだけに実用的。おおいに参考にしたい。
作文教育以外のノンフィクションでは、千葉雅也『センスの哲学』が記憶に残る。「センス」の出発点を対象を上手に真似る(モデルの再現を目指す)ことではなく、自分基準をつくることであるというところからはじまる、センスを身につける本だ。意味にとらわれず、全てをリズムの並びとして見て、細部を見たり、構造を見たりすることを重視するのだが、最後に、一周回って、センスの良さに止まらない人間の過剰さ、ダサさを肯定するところが千葉さんっぽくて好き。
宇野常寛『ひとりあそびの教科書』はジュニア向けの14歳の世渡り術シリーズの一冊。さらっと読んだのだけど、宇野さん、三国志Ⅶが好きだったのか…!三国志Ⅱ〜Ⅴあたりまでやりこんでいた僕としては共感。身の回りのものをゲームとして捉えることで面白くなるというのはその通り。僕に取っての登山は、まさにゴールやルールを自分で設定できるゲームなのだ。
これは傑作!『とんでいったふうせんは』
今月は絵本でも新しい出会いがあった。中でも、ジェシー・オリベロス(文)・ダナ・ウルエコッテ(絵)『とんでいったふうせんは』は、まぎれもない傑作絵本。記憶を風船に例えて、おじいちゃんの風船がだんだん飛んでいってしまう悲しみを描いた作品だ。しかし、悲しみだけでなく希望がそこに隠れている。ミニレッスンにもいい絵本だ。
今月の山の本
最後に、今月の山の本はたったの2冊。夏の登山ブームもすっかり落ち着いた印象だ。小林紀晴『v。プロ登山家・竹内洋岳のルール』は、山岳カメラマンの著者が登山家の竹内洋岳に取材したエッセイで、竹内独自の考え方が各所にうかがえて興味深い。とりわけ、「山頂は通過点にすぎない」「登山は自分でルールを決められる」「登山に運は存在しない」などの言葉には、竹内さんの独特の考え方がうかがえる。とにかく、感情的にならず、論理的な人なようだ。他にも、歩き方が綺麗で靴がほとんどよごれない、行く前に買ったコーラが下山時にまだ残っているほど水分補給をしていない、ほとんど休憩しないなど、プロ登山家のストイックな面がうかがわれて面白かった。
とまあ、11月の読書は、ここ数ヶ月の中ではバラエティに富んだものになって、それぞれのジャンルで良い出会いがあった。12月はここまで(9日まで)が忙しく、帰宅したあとも疲れてしまってなかなか読書ペースが上がらないのだが、今週木曜のアウトプットデイが終われば、一息つけるはず。良い出会いを求めて楽しく読めたらいいな。
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