最後の国語は、向坂くじらさんゲスト回。2024年度は教室にゲストを呼べた一年でした。

もう半月前になるけど、3月14日、詩人の向坂くじらさんをお迎えしたのが今年の国語の授業の締めくくりだった。2024年夏に出た最初の小説『いなくなくならなくならないで』が芥川賞の候補に残られたのもあって、このところ大変お忙しい日々を送られている向坂さん。僕の正式な打診が遅かったせいもあって(これは反省)、今回は授業最終日にぎりぎりおいでいただけることになった。今日はそれについてのエントリ。

「ようこそ先輩」とワークショップ

今回はそんな時期ということもあって時間割調整が難しく、時間は45分一本勝負。相談の末、詩を完成させることを目指すのはやめて、「ようこそ先輩」と、20分くらいのワークショップの構成にした。でもこの「ようこそ先輩」がなかなか面白かったな。最初に僕がくじらさんに5〜10分くらいインタビューをして、あとは子どもたちがホワイトボードに書いた質問から選んで答えてもらう形式だ。「年収はいくらですか」「どんな時に詩を書きますか」「小さい頃はどんなお話を書いていたんですか」….くじらさんは相手の顔を確認しながら、結局全部答えてくださったと思う。そこでの具体的返答はこのブログでは伏せることにして、「詩の自由さと厳しさが好きです」という言葉が記憶に残ったな。

その後はオノマトペと単語をずらして新しい言葉をつくるワークショップ。「できればワークシートの形に残って、その後も教室で使えるように」というこちらのリクエストに答えてくださってのワークだった。ここでも最初に「誰かがすでに言った言葉、よく言われる言葉で書かないことが大事」とおっしゃっていたのが印象に残ってる。自分もよくそうしちゃうからな〜。子どもたちは、「運だめ詩(ラッキーディップ)と似てるね」なんて言いながら、次々に言葉をつくって、勝手に隣の子とも交換して遊んでいた。こういう感じ、いいよねえ。時間があったら、これでできた言葉を一行目にして詩を書いてもいいな。

くじらさんに来てもらうのは3年目

くじらさんには、3年連続で風越に来ていただいている(初年度のは下記エントリを参照)。

詩人の向坂くじらさんをお迎えしてことばのワークショップを開きました

2021.07.23

過去のメールを検索したら、向坂さんにはじめて連絡をとったのは2021年5月のことだった。全国大学国語教育学会の研究部門委員を務めていたときに企画した講座「詩の書き方は教えられるか」を視聴してくださっていて、調べると詩の創作ワークショップもされている方ということで、興味を持って声をかけた。思えば当時はまだ最初の詩集『とても小さな理解のための』も刊行されておらず(しろねこ社より2022年刊行、百万年書房より2024年復刊)、熟慮してお願いしたというよりは、若くて子どもと距離も近そうでワークショップもされているし…という、今思えば失礼なお手軽な感じや、「どんな方なんだろう」という興味もあったのだと思う。最初の年に、臨機応変に子どもに対応してくださったことや、詩をつくるワークが面白くて翌年もお願いすることにしたのだけど、その頃から次々に出る詩集、エッセイ、小説の刊行の早さに、ちょっとびっくりしているのが正直なところ。

[読書]詩人であり国語を教える人である著者の、言葉をめぐる刺激的なエッセイ。向坂くじら『犬ではないと言われた犬』

2024.07.20

でも、月並みな表現だけどこの方は本当に詩人なんだなと思う。たとえばかつて働いていた「しょぼい喫茶店」での活動に関するエッセイ「鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと」をあとから読んでも、さまざまな遊び、特に制約を持ち込むことでその場に偶発的に詩を生成させようとする試みの数々やそこからの思索が面白くて、いまこうやってリンクを貼るために再び開いても思わず読み込んでしまうほどだ。

今は、別のお仕事でもご一緒していて(これはいつかちゃんと告知できますよう!)、表現に対する視点の面白さに、刺激をいただいている。この人はこんなに考えて文章を書いているんだ、文章を読む目もこんな厳しいんだ…と、思わず背筋を正すような、自分にはとうてい真似できない覚悟を感じることがある。でも、向坂さんのコメントが面白くて、どんどん聞きたい。できれば来年度以降も、お忙しいとは思うけど、風越においでいただきたいところ。

また来年も教室に人を招きたい

それにしても、今年は何人かゲストを教室に招けたのは嬉しかった。ノンフィクションライターの篠原匡さん&編集者のひのなおみさん、児童書作家の杉山亮さん、詩の研究者の中井悠加さん、サイエンスイラストレーターの菊谷詩子さん、そして、詩人の向坂くじらさん。広い意味で実際に書くことを仕事にされている方達のお話を聞いたり、一緒に活動したりすることが、僕と同様に、子どもたちの心にもどこか残ってくれたらいい。大人になっても書いている人がいること、その大人たちの経験と「作家の時間」での自分たちの経験が、実は地続きであること。そんな感覚が、言語になるかならないかのレベルで残ってくれたらいいなと思う。まあ、実際に子どもたちに残るのは、詩人の年収くらいのことかもしれないけど(笑)

2025年度にも、教室に人を招きたい。今度は外のゲストを招くのではなく、学内のスタッフや保護者の「書く」「読む」経験を聞いてみてもいいな。本を作ろうとしている同僚、雑誌の編集をしている同僚、絵本を作っていた同僚…何人かの顔が浮かぶ。保護者にも、読むことや書くことに関わっている人がいるのも風越の強みだ。大人がどう読み書きと関わっているのか、その例をできるだけ子どもたちに見てほしい。このブログを書きながら、改めてそう思った。

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