10月が終わり、いよいよ11月へ。この間、ショートショートの企画やらテーマプロジェクトやらと色々と仕事に追われて読書時間をゆっくり確保することが難しくなった。そうなるとつい「仕事に関連する本」を中心としたノンフィクションに読書が偏ってしまう。もう少しバランス良く、物語も読んでいきたいな。そんな反省もありつつ、今月の読書を振り返っていきたい。
目次
今月はやはり『中高生のための文章読本』
今月を代表するのは、やはり僕にとってはこの本。『中高生のための文章読本』だ。10月15日の発売以降、自分で何度か手に取ってしまいました。もちろん、「この本を入れるか迷ったんだよなあ」「このレーベルから1冊入れたかったなあ」などふりかえって思うところはあるものの、今読み直しても、贔屓目抜きで(というのは無理な話だが)面白いラインナップだと思う。
すでにいくつか嬉しいご感想もいただいて、ありがたく思っている。何しろ1000円を切る値段設定なので、筑摩書房さんにご迷惑をかけないためにも、多くの方に手に取ってほしい1冊だ。「物語は読むけど評論文は面白くなくて….」という中高生の方、あるいは学校の先生や保護者など中高生のそばにいる方、ぜひお読みください。
読んで楽しい『考えると楽しい地図』
今月のベストは、今和泉隆行・梅澤真一『考えると楽しい地図』。空想地図作家と筑波大附属小の社会科教諭という面白い組み合わせの本である。「ラーメン屋を開業するなら地図のどの場所に開業する?」という問いなど、思わず地図を読み込んでしまう仕掛けが随所にある。読んでも楽しい、授業でやってみてももっと楽しいだろう一冊だ。テーマプロジェクトの切り口になりそう。
甲乙つけ難かったのが、倉持よつば『桃太郎は盗人なのか?』。「図書館を使った調べる学習コンクール」で最優秀の賞をとった小学五年生による作品の書籍化で、昔話の桃太郎がどのような変遷をたどってきたかがわかる労作。ノンフィクションの作品として、風越の子たちにもぜひ紹介したい本だ。
アンディシュ・ハンセン『スマホ脳』も読んだ。実のところ、この著者をどの程度学術的に信頼して良いかはよくわからないのだが、デジタルメディアが注意力を散漫にさせる面があるのは間違いない。今の僕は、デジタルデバイスが子どもに与える影響について、筑駒時代よりもずっと悲観的である。
古田徹也『いつもの言葉を哲学する』は、こう言っていいのかどうかわからないが、実に現代文教師好みの1冊である。日常使う言葉を、いろいろな切り口で丁寧に眺めて、深めていく、言葉についてのエッセイ集。個人的には「やさしい日本語」の持つ危うい可能性に関する章が一番面白かったが、実に発見のあるエッセイ集だ。長さも短いので、授業や入試問題でも使いやすい。おそらく高校入試、下手すると中学入試あたりで使われる可能性もある。という意味でも同業者におすすめの一冊。
テーマ「森の再発見プロジェクト」関連
今月は僕がメイン担当のテーマプロジェクト「森の再発見プロジェクト」のアウトプットの日があったこともあり、森の写真絵本を多く読んだ月でもあった。特筆したいのは、誰よりもお世話になった森の写真家・小寺卓矢さん。
小寺さんの写真絵本は、初期のものが比較的饒舌で、その後は言葉数が少なくなっていくのが印象的。そのせいか一つ一つがよく練られていて、自分達で写真絵本を作る際に言葉の技法を学ぶのにも使わせていただいた。
その他、幾つも印象的な森の絵本/写真絵本はあったのだけど、そこから厳選して一冊だけ。ウィリアム・ジャスパソン『森はだれがつくったのだろう?』は、開けた草地がやがて森に成長していくまでの過程が丁寧に描かれている。森を見る重層的な視点が折り畳まれた一冊で、読んだ後には森を見る目が変わっているだろう。
今月の山読書
最後に今月の山読書。山と渓谷社『小屋番三六五日』は、山小屋で止まったこともないくせに、山小屋関連のエッセイばかり読んで憧れを膨らませている僕のような「引きこもり系山小屋ファン」にはぴったりの一冊だ。日本全国の山小屋の主人が書いた短いエッセイのアンソロジー。いながらにして、山小屋の雰囲気が味わえる。
この冬は、北八ヶ岳の森を散策したい。山は頂上を目指さないといけないが、森にはただ歩いているだけでいい気楽さと自由な雰囲気がある。森だとのんびり時間が過ぎていくのもそのせいだろう。スノーシューを用意して、冬の北八ヶ岳の森を高見石小屋まで歩いてみたいな。そう思いながら、八ヶ岳のエッセイをパラパラと読み直した。山口耀久『北八ツ彷徨』はやはりいい。この人の後年の書き振りはあまり好きになれないが、これは珠玉である。