先日、横浜で開かれている「大人のブッククラブ」に参加した。このブログでも何度か出てくるけど、「読書家の時間」の執筆者でもある先生たちが中心になって開いている読書会だ。
今回の課題本はミヒャエル・エンデ「モモ」。僕自身は3回目くらい?の読書になるので、その感想を書いてみたい。
目次
背景知識が邪魔をしてしまう…
実は今回の読書では、「入り込めない」時間が長かった。序盤の「暴風雨ごっこと、ほんものの夕立」のようなオムニバス形式の部分は楽しく読めたのだけど、時間泥棒が出てくるあたりから、色々と教訓臭く思えて、お話に入れなかったのだ。
これは、おそらく僕がすでに「モモ」について語る言葉をたくさん知ってしまったことの弊害だと思う。「モモ」は色々な文章で言及されている。近代的な「時間」意識を論じる本でも言及されるし、ファシリテーター関係の本では「傾聴することの大切さ」という例示で出てくる。そういう背景の文脈を通してこの本を読んでしまうので、なんだか情報を取り出すような読み方になってしまった。これは大きな反省というか、読み方をコントロールできていない感じだ。
善良で平凡な時間節約家たち
物語が面白くなってきたのは、文庫本で300ページも近くなってきたあたり。時間の国から帰ってきたモモが、自分の町がすっかり変わってしまったところを目にするところ。時間を大切に生きようとする平凡な善意の人々が、「子どもの家」を作って、大勢の「放置された子供たち」を保護してあげようとするところ。小さな酒場をファーストフード店に変えて大繁盛しているニノが、それでもモモを邪険には扱えないところ。こういう、善意でちっぽけな時間節約家たちに、いちいち共感してしまう。
特にしみじみ読んでしまったのはジジの台詞だ。かつて面白いお話をいくらでも作ってモモに聞かせていた観光ガイドのジジは、物語作家ジロラモとして、同じ話を何度も作り変えて、金銭的には豊かな生活を送っている。それでも、モモの前では昔の自分でいたくて、昔の生活に戻りたいと思っているジジ。今の生活が地獄だと思う一方で、その快適さを捨てきれないジジ。そして、結局は自分のためにそばにいてほしいとモモに懇願してしまうジジ。そのどれもがとてもいとおしく見える。僕はモモじゃなくって、ジジだなあ…。
「だから時間の使い方を見直しましょう」という教訓に還元されない、生きてる人たちの姿。「モモ」は、そういうのをきちんと描いていて、それが良い。
生きようとする灰色の男たち
同様に、灰色の男たちの、もうすぐ自分たちの命が尽きてしまうとわかってからの行動も胸を打つ。少しでも長生きするために葉巻をうばいあって、とっくみあい、おびえた表情で消えていってしまう灰色の男たち。最後、少しでも葉巻を長持ちさせるために、生き残った自分たちの中から誰を「殺す」かをくじで決め、くじに外れてもおとなしくしたがう灰色の男たち。
混乱と恐怖の中で最後まで生き残った男。彼は、命を長らえる時間の花を手に入れようと叫んだ瞬間に、葉巻を落としてしまう。そのアクシデントの絶望の中、モモに「花をくれ」と懇願し、断られると、「いいんだ、これでいいんだ」とつぶやいて死んでいく。この「いいんだ、これでいいんだ」って、どういう意味の言葉なのだろう? この一言がとても印象に残った。
「モモ」を学校で読むってどういうこと?
全体として、僕は平凡な時間節約家や灰色の男たちの側の人間なのだろうと思う。そして、率直に言えば、ほとんどの大人はそうなんじゃないかな。「この本を読んで自分の時間の使い方を見直しましょう」的な発想が、すでに時間節約家の発想だもの。ブッククラブの中で、「学校の先生が生徒にこれを読めっていうのはどうなんだろう」という疑問を呈している方がいて、本当にそうだよなあと思った。少なくとも制度としての学校教育って、モモを矯正する「子どもの家」だ。モモを学校で読むとき、そういう矛盾した場所に子供を強制的においていることには、自覚的でないといけない。学校の限界を自覚しつつ、でもそこでできることをする。そして、そこではできないことへの橋渡しもする。僕たち教師にできることって、そういうことなのかなとも思った。
他の参加者の方達の感想へのリンク
最後に、「大人のブッククラブ」の他の参加者の方が書かれた「モモ」の感想へのリンクを貼っておこう。注目するところがずいぶん違っていて、面白い。
トミーのアイデアルーム
http://tommyidearoom.blogspot.jp/2017/03/blog-post.html
妹尾昌俊アイデアノート
http://senoom.hateblo.jp/entry/2017/04/01/220302
「モモ」は面白い。大人は否応なしに自分の生き方について考えさせられてしまうところがあるし、このお話を子どもの頃に読むのと大人になってから読むのとでは、ずいぶん印象が違ってもくるだろう。僕は、この本の初読が大学生になってからだったので、小学生の頃に読んでないのが悔やまれる。そう考えてみると、やっぱり子どもにも読んでほしい本かな。こういうお節介が「学校の先生」っぽいところなんだろうけど(笑)