[読書]新しい出会いも再読も、それぞれに充実の2022年8月の読書。

風越は夏休みに入るのが遅く、二学期が始まるのが早い(若干の恨み節感あり…笑)。とはいえ、やはり夏休みに入るといつもより時間の余裕も生まれてゆったり本も読める。数えたら今月は16冊と、やはり冊数的にも多い方だった。というわけで、2022年の8月の読書のまとめエントリ。

目次

教育系読書で勉強になったのはこの2冊

まずこの夏の教育系読書で印象深かったのは、すでにブログにも書いた2冊。中でも、岩下修『イラスト図解・AさせたいならBと言え』は印象深い一冊だ。まだまだ小学生向けの語り掛けが不十分な自分にとって、いわゆる「指示」の技術を、「指示の技術」でも「子供を動かす技術」でもなく、「話し言葉におけるレトリック」として受け止められたのがよかった。この秋から冬にかけて、自分の日々の中で大事に意識したい一冊だ。

H・リン・エリクソン他『概念型カリキュラムの理論と実践』は、下記エントリで書いたように、もともと概念型カリキュラムにあまり馴染めないところのある僕が、自分の勉強のためにいま進行中のテーマプロジェクトを概念型学習で設計しようとして読んだ一冊。

今回のテーマプロジェクトは僕がメイン設計担当者で、「森の再発見プロジェクト 〜見方を変えて世界を見つける〜」という理科が中心のプロジェクト。始まったばかりだけど、この1冊を読んだおかげで、ある程度見通しを持って進められているとは思う。

そうそう、テーマプロジェクト関係といえば、『生き物としての力を取り戻す50の自然体験』という本も面白かった。森を五感で感じ、森に親しむためのさまざまなアクティビティ集。結果的にテーマプロジェクトの導入では使わなかったのだけど、でも、やってみたい楽しそうな活動がいっぱいだった。

ペア読書用に再読多数。湯本香樹実はやはり素敵

二学期の「読書家の時間」はペア読書から入ろうと思っていたので、夏休みの物語系読書の多くはその予習用。再読したり新規開拓したりなのだけど、改めて感じ入ったのは、やはり湯本香樹実の作品は素敵だということ。ペア読書の15冊の本の中に、『夏の庭』『ポプラの秋』と、結局2冊も入れちゃった。特に、『ポプラの秋』は胸がいっぱいになりながら読んだ。『西の魔女が死んだ』もどこか想起させる、温かい再生の物語。

他でも何冊か読んだ中で印象深かったのは須川邦彦『無人島に生きる十六人』。明治時代の実話を描いた漂流記で、『十五少年漂流記』や『エンデュアランス号大漂流』が好きな子なら絶対にハマること請け合いの一冊だ。

ノンフィクションもたくさん再読。新規開拓では…

ノンフィクションでは、ここでは詳しく書かないが、秋に出す仕事に関連してヤングアダルト向けのノンフィクションを何冊か読み直した。その再読を除けば、一番好きだったのは広瀬友紀『ことばと算数 その間違いにはワケがある』。これもすでにブログに書いたけど、算数を切り口に言葉について考えるには、とてもキャッチーな本で楽しく読める。『小さい言語学者の冒険』に続き、岩波科学ライブラリーでのおすすめ本。

詩歌では向坂くじら『とても小さな理解のための』

詩集では向坂くじらさんのデビュー詩集『とても小さな理解のための』。詩集に対してこういう言い方は失礼かもしれないが、まず「コスパ」の良さに驚く。というのも、詩集って詩が20篇くらい入ってて1500円とかも珍しくない中で、200ページ超の厚さなのだ。最初の詩「星座」が素敵で、一気に引き込まれて読んだ。人との違和感やすれ違いを描きつつ、でもつながることへの祈りも感じさせる詩集。特に、「誤認」「怒りだ」「潮鳴り」と続く一連の詩や、「性的な誘い」などの詩に心を惹かれた。amazonに取り扱いがないので、僕のように地方在住の方は、版元のしろねこ社のウェブサイトから注文するのが良いと思う。

いま、詩人の文月悠光さんの詩の創作講座を受講しているのだけど、その講座でも向坂さんのこの詩集が取り上げられててびっくりした。向坂さんは、去年の夏に風越学園にも来て詩の創作ワークショップをしてくださったご縁もある。また風越に遊びに来てほしいな。

詩人の向坂くじらさんをお迎えしてことばのワークショップを開きました

2021.07.23

今月は、木下龍也さんのデビュー歌集『つむじ風、ここにあります』も読んだ。木下さんの歌には好きなものが多いのだけど、デビュー歌集もため息をつきながら読んでしまう。叙情的な「かなしみはすべて僕らが引き受ける桜の花は上に散らない」「消えてゆく歌もみんなが口ずさむ歌もひとりが歌いはじめた」「ハンカチを落としましたよああこれは僕が鬼だということですか」から、「B型の不足を叫ぶ青年が血のいれものとして僕を見る」「「千円になります」と言い千円になってしまったレジ係員」というシニカルな歌まで、自分には描写できない圧倒的な才能を感じる。

風越ではちょうど7月に俳句創作の授業をしたばかりだけど、俳句と短歌の違いも改めて感じる。短歌は歌なのだ。とすると、その「歌」であることを感じられる授業だといいのかなあ。

というわけで、短い夏休みだったとはいえ、いろいろなジャンルで読むことができた。今年は「読書の夏」だったかも。これが実りの秋に結びつくといいなあ。風越はもう二学期の授業も本格化。エンジンかけて楽しく頑張っていこう。

 

 

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